ザーゲの旅 2004年


ソウル <11月5日~11月7日>

 

 作成中

 


ドイツ+オランダ+ベルギー+ルクセンブルク <8月20日~9月10日>

 

 昨年に続いて、ドイツ魔女街道ツアーの同行講師としての役目をなんとか果たすことができた。26日に参加者の皆さんとフランクフルトで別れてから、ザーゲの一人旅が始まった。以下は、その気ままな旅の断片である。

 

8月28日

 フランクフルトで半日ほどヒマができたので、動物園へ行ってみた。これが思った以上に面白くて、楽しく過ごせた。

 

 フランクフルトは、日本から到着する空港のある町、他の都市へ向かう乗り継ぎの駅として、素通りしてしまう人も多いが、ここの大聖堂やシュテーデル美術館は必見。日本語入力のできるインターネットカフェーもある。いっとき足を止めるのも悪くない。

 そのときは、ぜひ動物園も訪れてみたらいかがだろう。町の中心ハウプトヴァッヘ駅から2つ目の駅(Zoo)で降りたら、もうそこが入り口。

 

 特に夜行性動物だけを集めた館が面白かった。夜行性だから館内はほとんど真っ暗。入り口に「スリに注意」と書いてあるのは真面目な警告か、それとも愛嬌か。暗い中でガサガサ、ゴソゴソとうごめくさまざまな動物に目を凝らしていると、「なにが悲しくて、この暗い中蠢くのか」となにやら考え込まされてしまう。

 

 その後、ユネスコ文化遺産に指定されているシュパイヤーの大聖堂へ行く。大聖堂の宝物館で興味深い石のレリーフを見つける。弓矢をもったアルテミスの浮き彫りである。ギリシャ神話のアルテミスはローマ神話のディアナ、英語でダイアナのことである。

 アルテミスは太陽神アポロンの双子の妹で、月の女神である。エフェソス(トルコ)のアルテミス神殿にあるアルテミス像はよく知られている。胸にたくさんの乳房をつけて毅然と立っているその姿は、古代アジアで崇拝されていた大地母神の影響をはっきり残している。魔女の歴史を知るには欠かせない存在である。

 美しく若い彼女は狩りを好み、弓矢を持って、野を駆け回り、ときに産褥で苦しんでいる女性にその矢を射て安楽死させるとも言われている。

 

 エフェソスの像は写真でよく見かけるが、弓矢をもったアルテミスの姿を見たのは、ここが初めてだった。しかもいくつも展示されている。興奮した。しかし、ここではそれほど重視されていないのか、資料もなく、絵葉書にもなっていない。しかも館内は撮影禁止なので、ここに紹介することができず、とても残念である。タウリスには人身御供を要求するアルテミスの像があるというので、いつか行ってみたい。

 

8月29日

 「Am Brunnen vor dem Tore, da steht ein Lindenbaum ...」

 「泉にそいで繁る菩提樹 ・・・」

 

 ご存知、シューベルトの「冬の旅」の中の名曲「菩提樹」である。この泉と菩提樹の実物がメルヘン街道沿いのバート・ゾーデン・アレンドルフにあると言われている。行ってみた。

 

 菩提樹といえば、その樹の下でお釈迦さまが悟りをひらいたということで有名だが、それはインドボダイジュ(クワ科の常緑樹)で、ドイツのボダイジュとは別種である。ドイツのボダイジュはドイツ語でリンデンバウム、和名ではセイヨウボダイジュ、シナノキ科の落葉樹である。

 セイヨウボダイジュは、古代ドイツではその樹の下で裁判がおこなわれたり、神が宿る樹とみなされていた神聖な樹である。

 

 シューベルトの「リンデンバウム」(ミュラー作詞)は、この樹の下で、若者が甘い夢を見、いとしい人の名前をその樹皮に刻む。悲しいにつけ、嬉しいにつけ、いつもここへやってくるよ、という内容である。人間味にあふれる樹である。この樹と泉は写真でお見せできる。

 

 昔、多くの恋人がこの樹の下で恋を語らい、あるいはたくさんの旅人がこの泉で渇を癒したのかなと、その姿を思い浮かべて、ちょっとおセンチになった。ただし、この樹は何代目かだそうで、恋人の名も刻まれていなかった。

 

8月31日

 オランダのデン・ハーグで4日間滞在することにした。そのうちの1日を市内にある美術館や博物館巡りにあてた。

 

1)マウリツハイス美術館

・フェルメール「真珠の耳飾りの少女(あるいは青いターバンの少女)」

 画集で見るのといかに違うか、本物の素晴らしさを思い知らされた作品。

 

・レンブラント「デュルプ博士の解剖学講義」

 解剖している絵というのは 案外多い。比べてみるといかにレンブラントの腕が凄いかがわかる作品。

 

2)エッシャー博物館

 騙し絵といえばエッシャー、というくらい騙し絵で有名だが、彼がそれだけの画家ではないということがよくわかる。彼が描いた世界像はいったいどんな思想から生まれたのだろうかと考えさせられる。

 

9月1日

 デン・ハーグから電車で(チーズで有名な)ゴーダへ。そこからバスで20分、オーデワーターという小さな町へ行った。今回の旅の主目的の一つ、「魔女裁判所」があったという町である。

 

 ヨーロッパ全域に魔女狩りの嵐が吹き荒れた15~18世紀、オランダでも例外なく魔女狩りがおこなわれ、多くの人が魔女裁判にかけられた。裁判のやり方は、誘導尋問や拷問などさまざまあったが、オランダでは特に天秤を使った裁判が多かった。魔女の嫌疑をかけられた人は大きな天秤に乗せられる。

 魔女は悪魔に魂を売り渡しているから、通常の人間の体重より軽いとされたのである。魔女に仕立てあげて抹殺しようとする陰謀も渦巻いていたので、測量する役人が買収されることも多かった。しかし、ここオーデワーターの裁判は公平だったという。

 

 神聖ローマ帝国皇帝のカール五世が魔女裁判の実態を調べるために、1545年にオランダにやってきて、裁判を傍聴した。そのときの被疑者は2.5キロしかなかった。

 カール五世は、オーデワーターの裁判は公平だということを聞いていたので、被疑者をもう一度調べなおすよう、オーデワーターに連れてきた。役人に金を渡そうとしたところ、それを拒否し、量った結果も普通の人間の体重だった。

 

 そこで、カール五世は、オーデワーターで作成された無実の証明書は帝国中どこでも通用するという特権をこの町の裁判所に与えた。以後、魔女の嫌疑を受けそうな人々、恐れをいだいている人々がここの証明書をもらうおうと続々やってきた。そして、オランダの魔女裁判はほぼ1613年に終わるが、この地から魔女は一人もでなかったという。

 

 オーデワーターのかつての「魔女裁判所」があったところが、博物館になっていて、この天秤が展示されている。証明書もだしてくれる。ここを訪れた人は天秤に乗るとき、一様に神妙な顔になった。私も証明書をいただいた。名前と体重が書き込まれている。大切に持ち帰った。

 

9月2日

 デン・ハーグからベルギーのアントワープに移動。ここに5日間滞在する。アントワープといえば、日本では「フランダースの犬」で有名な大聖堂がある。大聖堂の前に「ネロとパトラッシュ」の記念碑がある。四角い石で、なぜかホンダの寄付。この小説は、アニメで日本人には人気があるが、ベルギーではあまり知られていないそうだ。

 

 アントワープはなんといっても画家ルーベンスの町である。大聖堂前の広場にはルーベンスの銅像が立ち、大聖堂に飾られた絵はルーベンス、そしてルーベンスの家、彼の墓。名所の多くはルーベンスがらみである。

 

 アントワープ滞在中、特に印象に残ったものを紹介しよう。

 

1)ノートルダム大寺院

 イギリスも、オランダも宗教改革の時代に、カトリック時代のイコン(聖絵)や聖人像、教会内部の飾りなどが徹底的に破壊されたので、特にイギリスの教会は見るべきものがほとんどない。

 ベルギーの住民の75パーセントがカトリックだという。そのためか、大寺院の内部の装飾はそのまま残り、実に素晴らしい。大寺院内にあるルーベンスの絵だけでなく、すべてのものが見ていて厭きない。たった5日の短い滞在中、3回訪れた。

 プロテスタントであれば、カトリックの息のかかった装飾過剰に拒絶反応を持つのかもしれないが、無宗教人にはありがたい。

 

2)王立美術館

 ガイドブックの説明では、フランドル派や中世イタリア、ドイツの画家の作品が1000点以上、特にルーベンスのコレクションは世界一と書いてあった。じゅうぶん時間をかけて楽しめた。その中で特に私の興味を引いたのは、15世紀に活躍したフランスの画家ジャン・フーケの「ムランの聖母」だった。

 幼子イエスに乳を飲ませるマリアの絵は意識して探すとけっこうある。ここで見たのは授乳するために、乳房をだしているマリアなのだが、その構図といい、色といい、とても15世紀の絵には思えない。写真があるので、ご覧になってほしい。

 

9月3日

 ベルギーへ行くといったら、ベルギー体験者のほとんどの方がブルージュを薦めてくれた。とにかく美しい町だからという。地図を見ると、「魔女の夜ヴァルプルギス」の名の由来となった聖女ヴァルプルガを祀っているのか、ヴァルプルギス教会というのもある。ドイツでもいくつか訪ねたことのあるヴァルプルギス教会がブルージュにもあるなら、行ってみる価値はあるかもしれない。そこで、ブルージュを訪ねることにした。

 

 ヴァルプルギス教会は普通の教会で、特別どうということはなかった。なぜこの名を持っているのか、聞いてみたかったが、あたりには誰もいず、果たせなかった。

 

 ブルージュは確かに素敵な町だった。ベニスには負けるが、町を流れる運河がいい。そして、町のどこもかしこも古びたレンガでできた家々が並ぶ。もはや日本では見られなくなった敷き石路は雰囲気がある。

 

 映画の、それもとびきりロマンチックな映画のロケーションとして申し分ない町だと思った。主人公は若いカップルでは似合わない。かなり中年の男女がいい。男が女を追ってこの街へ来る、いや逆かな。柄にもなくうっとりあれこれ想像しているうちに電車はアントワープに着いてしまった。

 

9月5日

 前々からゲントにある祭壇絵「神秘の仔羊」(フーベルト/ヤン・ファン・アイク作、1432年完成)を見てみたいと思っていたので、アントワープから電車で1時間10分ほどでいけるゲントは目的の一つだった。

 

 この祭壇絵は聖バーフ大聖堂の特別室(入場料3ユーロ)にある。どんな絵か、参考に写真を載せるが、本物は撮影禁止なので、これは大聖堂内にある複製画の写真である。実物と比べると完全に見劣りする。

 なにが違うかというと、やはり色である。天上から射す光の線の色は不思議なほど生き生きとした金色だった。

 

 解説用のヘッドフォンがよかった。無料で貸してくれる。きちんとした日本語による実に丁寧な解説だったので、知らなかったことがいろいろわかり、助かった。

 

9月6日

 この日アントワープからルクセンブルクに移動。特別な目的はなかった。オランダ、ベルギーに行くなら、せっかくだからベネルクス3国にしようと思って決めただけだった。

 

 アントワープで電車に乗り、ブリュッセルで乗り換え、ナミュールというところを過ぎたころ、車窓から見る景色が一変した。おだやかな丘陵がある。ゆったりと流れる川がある。変化に富んだ自然の風景があった。

 

 これまで私が訪れたオランダ、ベルギーのどの町でも見たいものが見られて確かに満足はしたのだが、いまひとつしっくりしないものが残っていた。それはなんだろうという思いがずっとあった。

 

 デン・ハーグもアントワープもブリュージュも確かに美しかった。しかし、町中は、信号が少なく、たくさんの車が走りぬけ、車に気を取られて、落ち着かない。レンガの家の並ぶ町並みは素晴らしかったのだが、そういえば窓にも、道端にも花がなかった。

 

 ルクセンブルクの町でも花は少なかった。そのあとドイツへ入って、はっきりわかった。潤いがなかったのだ。ドイツには潤いがある。そして、花がある。緑がある。町は自然の中にある。文字通り、それらが空気に潤いを与えているのだ。そう考えてやっと胸のつかえがおりて、すっきりした。これはドイツ贔屓でない。事実である。

 

9月8日

 ルクセンブルクは1泊だけの観光にして、翌日、トリーアで途中下車。そのあとはハイデルベルクに入って2泊。ハイデルベルクでは、昨年の春に見られなかった魔女の塔を見ること、もう一度ハイデルベルク城内の薬事博物館を見ること、それが目的だった。

 ところが、ハイデルベルクの近くに世界でただ一つという豚博物館があると聞いた。豚が特別好きというわけではないが、行ってみることにした。

 

 ウルムにパン博物館があるというのは知っていたが、あまり興味がわかず、なんどかウルムに行きながら見なかった。ところが一昨年だったか、時間があまったので、行ってみて、びっくりした。想像していたものとはまったく違って、大変面白かった。

 パンの歴史というのは、パンという食べ物の製造の歴史ばかりでなく、まさに人が生きるための必需品として食料の歴史でもあり、それは生命を維持する人間の歴史でもあった。言われてみればそうだが、そういう観点を濃厚にみせたパン博物館はとても新鮮だった。

 

 豚博物館でもきっとなにか面白い発見ができるかもしれないと、少しばかり期待して出かけた。ハイデルベルクから電車で40分くらいのところ、バート・ヴィンプフヘンという小さな町にある。

 しかし、ここはパン博物館とは違って、豚の歴史よりも、あらゆる豚グッズを揃えてみせる豚ファンのための博物館だった。あらゆるポーズの豚の人形やポスターが所狭しと展示されている。トイレのドアを開けた瞬間、間違って別の展示室へ入ってしまったかと思った。トイレ中に豚グッズである。

 

 帰りに幸運の豚人形と豚マークのティッシュペーパーを買った。ついでに、受け付けの女性に「豚の魔女かな、魔女の豚かな、そんな人形はないのですか」と尋ねてみた。気になっていたのである。あればいいのにと探したが見つからなかった。「そういえばないわね。それも面白いわね」という答えだった。ここでは実際に豚人形を作っている工房もあるので、ひょっとしたらそのうち作ってくれるかもしれない。

 

9月9日

1)魔女の塔

  ハイデルベルク大学の図書館の裏手に建っている。昨年は門が閉まっていて、見ることができなかったので、今回は目的が果たせて嬉しかった。ツタのからまる細長い塔は、たいていの魔女の塔と同じで、市壁に作られた13世紀の防御塔の一部だった。内部は大学のセミナー用の教室になっている。塔の入り口には、ハイデルベルクにおける15世紀の魔女迫害を忘れないようにというようなことを書いた標識がかかっている。

 

2)薬事博物館

 ハイデルベルク城内にある。薬事に興味と関心のある人はぜひとも訪れたいところである。ドイツにおける薬学の歴史がよくわかる。ドイツの薬局のマークがどんなふうに変遷してきたか、これはとても面白い。「ハリーポッター」で多くの人に知られるようになったマンドラゴラの実物も見られる。 

 

 こうしてザーゲの3週間の旅は終わった。おそらく来年の春までヨーロッパ旅行はお預けだ。今は、何を見に、何処へ行くか、次の旅のことを考えている。

 


ドイツ+ロンドン+コーンウォール半島 <4月27日~5月11日>

 

 今年も、欲張って、いくつも目的を立てた。そのなかでも、少しは「ヘー」と思ってもらえるもの、ザーゲの興味のありどころについてわかっていただけるものなどを紹介する。

 

 新しく購入したデジカメと愛用のカメラを持っていったが、ドイツに着いて早々カメラを落として壊してしまった。慌ててハンブルクで安物を購入したが、写りはいまいちで、デジカメも思ったほどよくは撮れなかったので、あまりよい写真を載せることができずに残念である。

 

 

ヴァルプルギスの夜とマイバオムを立てる行事(4月30日)

 これは2004年の魔女の夜にアップ

 

 

メルンのティル・オイレンシュピーゲル博物館とラッツェブルク(4月29日)

 昔、ザーゲはティル・オイレンシュピーゲルの伝説に興味をもって、いくつかその跡を辿ったことがある。今回はその一つメルンを再訪問することにした。

 

 ティル・オイレンシュピーゲルは北ドイツを中心に伝わる伝説上の人物だが、生まれたときからまわりをハラハラさせるいたずら者。遍歴しながら各地でいたずらを重ね、最後はメルンで生を終える。

 しかし、いたずら者ゆえ、死んだというのは本当かどうか、誰もが怪しみ、棺を開けてみると、案の定、中には数個の石が入っていたというお話。

 

 彼の名前のオイレンは梟、シュピーゲルは鏡。ドイツ各地でけっこう彼の像を見ることができる。手に梟と鏡をもっているので、すぐに見分けがつく。

 シュトラウスの曲「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」はよく知られている。ケストナーも子ども向けにティル・オイレンシュピーゲルの物語を書いている。

 

 メルンは半日を予定。午前中はラッツェブルクに行く。初めての町である。 ハンブルクからリューベック経由で1時間ほど。ガイドブックによれば「湖上に浮かぶ中世の町」ということだが、それは上空からみなければわからない。

 

 ここにはザーゲの好きな彫刻家エルンスト・バルラッハの生家があり、そこがバルラッハ美術館になっているという。それが行く決め手になった。期待してたがバルラッハの見るべき彫刻は少なかった。

ハンブルクやシュレースヴィヒにある彼の博物館は見ごたえがあったので、かなりがっかりした。ただし、館内で見られる彼の伝記ビデオは面白かった。

 

 それぞれ人によって見どころには好みがあろうが、ラッツェブルクは特別お勧めとは言えないかも。

 

クヴェードリンブルク(5月1日)

 今回で2度目。最初はただ歩き回り、観光名所を見て、魔女人形を買い求めただけだった。昨年だったか、この町のことが新聞で紹介されていた。

 初代神聖ローマ帝国皇帝オットー一世の母マチルデのために建てられた女子修道院が、商人の権限を奪いとり、市の権力を握って、長いこと女性統治が続いた町であるということだった。

 

 中世に女性が権力をもって市民を支配したというのは本当だったのだろうか。こういうことは資料にあたるのが一番、行ったところで何がわかるものではないが、まずは行ってみようと思った。

 マチルデが夫ハインリヒ一世の死後、城を女子修道院に建てなおし、商人から関税徴収権、貨幣鋳造権、市場を開く権利を奪い取り、町を支配していたのは事実らしい。この女性支配は966年から1802年まで代々続いたという。

 

 にもかかわらず、この町でも魔女狩りは行われている。1659年には一日で130人の魔女が処刑されたという記録が残っている。ときの権力者が女性だったとしても、キリスト教徒であるかぎり、魔女の排除は否定しなかったのだろうか。それについてはこれから調べてみたい。

 

 城内の販売店でマチルデの資料が手に入るかと思ったが、これといったものはなかった。女子修道院の隣りに付属の聖セルヴァティウス・シュティフト教会がある。この内部は一見の価値がある。

 特に木で出来た四角に区切られた天井は日本のお寺の天井によく似ていて、興味をそそられた。

 

人と再会

 

リューネブルク近郊に住む長年の友人シャルロッテに会いに行く(4月28日)

 息子さんのパートネリンであるクリステルの家にお邪魔する。天気がよかったので、かなり春らしくなった庭を見ながら、テラスでのんびり。夕方、近くのレストランで夕食をご馳走になり、21時頃の電車でハンブルクのホテルに戻る。

 

 シャルロッテは今年の夏で85歳になる。事情があって、半年前から老人ホームで暮らしている。

 会うごとに年をとってしまい(それはこちらだって同じなのだが)サヨナラするときが辛かった。

 

ヴェアニゲローデのゲルディーの家によばれる(5月1日)

 この日はお嬢さんのダニエラの誕生日だった。ダニエラの経営するレストランに出向いたときはすでにたくさんの親戚が集まっていた。乾杯のとき、いきなりゲルディーの妹さんとご主人が日本語で「かんぱい」と言ったので、びっくり。

 ヴェアニゲローデに空手の学校があって、彼女も通っているのだという。この ような土地にも空手が進出をしているのだ。彼らは私のために「乾杯」という言葉を教えてもらったという。嬉しいことである。

 

 この季節、夜の9時でもまだ明るい。パーティーの途中で、すぐ近くにある動物園に散歩に行く。面白い動物がたくさんいたのには驚いた。ここはお勧めかな。生まれたばかりのイノシシの子ども(ウリボウというそうだがー日本語)を初めて見た。可愛くて写真をたくさん撮ってしまった。

 

 木々に囲まれた園内にひときわ目立つ巨木がそびえている。スギ科のセコイア(マンモスツリー)だと教えてもらった。セコイアは世界でもっとも高い木だそうで、すばらしい眺めだった。

 

 本物の立派な鹿の角やバイエルンミュンヘンの真っ赤な応援マフラーをいただき、ほろ酔い気分でヴェアニゲローデのホテルに戻った。

 

アレックスのお宅に伺う(5月2日)

 アレックスは作家アレクサンダー・リースケさんのこと。彼の家はゴスラー近郊のアスフェルトにある。かつての領主館で、門から館の玄関までの道が素晴らしい。

 奥さま手作りの料理に舌つづみをうち、集まった仲間たちと一緒にワインを飲みながら雑談。この夜もほろ酔い気分でゴスラーのホテルに戻る。

 半年前にもお邪魔したばかりなのに、今回も気持ちよく招待してくださったのが嬉しかった。

 

 ハンブルクで3泊、ハルツで3泊し、5月3日にはヴュルツブルクへ移動すべく南下。南ドイツ文化のシンボルとも言っていい、リーメンシュナイダー巡りが目的である。ロマンチック街道沿いの町をいくつか回る。

 

・リーメンシュナイダーめぐり

・フォルカッハのマリア巡礼教会(マリア・イン・ヴァインベルク)にあるローゼンクランツのマリア

・クレグリンゲンのヘルゴット教会にある祭壇

・ローテンブルク・オプ・デア・タオバーのヤーコプ教会にある血の祭壇

・ヴュルツブルクのドームとマリーエンフェストングで同時開催されているリーメンシュナイダー展

 

 ヴュルツブルクで3泊、フランクフルトで1泊し、その後、ロンドンに飛ぶ。目的は二つ。一つはコーンウォール半島にあるボスカースルという小さい村の魔術博物館を訪れること。

 もう一つはロンドンの大英博物館。

 

魔術博物館

 魔術を勉強したイギリス人セシル・ウィリアムソンが1951年に作った博物館。最初はマン島にあったが、1960年にウォール半島にあるボスカースルに引越してくる。

 セシルの友人ジェラルド・ガードナー(1930年代、マン島に住む魔女からイニシエーションを受けて魔女となる。彼はウィッカ(ウィッチの語源ー賢い女)運動を広める。

 

 二人は共同して魔術博物館の運営にあたっていたが、ボスカースルへ来てから、どんなものをどんな風に展示するかで争うようになり、二人の仲は決裂し、ガードナーはこの地を去っていく。争点はセンセーショナルなものを求めるセシルとあくまで学術的な立場を崩さない二人の立場の違いにあったようだ。

 

 魔術博物館に入ってみると、セシルの方法によって運営されていることがわかる。呪いや魔よけの道具、サバトの儀式を再現する悪魔の人形などが主な展示物である。それらはほぼ本物であるから、それなりに見甲斐はあるが、いかにも怖いもの見たさの観光客を対象にしているという印象は残る。 魔術についての資料をじっくり見ることができないという不満は残るだろう。薄いパンフレットと魔術師の呪いを吹き込んだCDを買ってきた。

 

 ここボスカースルの近くにアーサー王誕生の地と言われているティンタジェル城跡がある。観光客はそこへの途中で立ち寄るという場所のようだ。ティンタジェルはユネスコ文化遺産に指定されているし、ボスカースルを含めて、このあたり一帯はナショナルトラストに指定もされている。ドイツとは違った自然の素晴らしさは満喫できる。

 ロンドンから電車、バス、タクシーを乗り継いで7時間かかる。でも、一度は訪れてもいいところだと思う。

 

大英博物館

 ちょうどこの時期、日本で「大英博物館至宝展」が開催されていた。見たいものが日本に来ていたら、日本でも見られるかと思い調べたが、ザーゲが見たいと思っていたものはどれも貸し出し中ではなかった。ということは至宝ではないということかしら。

 大英博物館の広さ、展示物の多さはあまりにも知られている。入る前によく調べておいたほうがいい。本やネットを利用して、見たいものの部屋番号を確認しておくことが大切だ。

 ザーゲが見たいものはいっぱいあったが、特に以下の4つはぜひとも見たいものだった。

 

1.リリト像のレリーフ

2.イシス神とオシリス神の像

3.アンズー鳥のレリーフ

4.古代エジプトの花のネックレス

 

 1.2.3.は魔女の祖形を考えるに重要な資料となるもの。特にアダムの前妻と言われたリリトについては別なところで説明しようと思っている。博物館に付随する図書館に入ると、すぐ右手にガラスケースに入っているのが見える。感無量だった。

 

 4.はマンドラゴラの花がデザインされたネックレス。マンドラゴラ伝説の原点を探る上で重要な資料だとザーゲは思っているので、とても興味があるもの。

 

 後半はほとんどメモ同然になってしまった。それすらしないと、夏の旅が始まってしまう。いつか時間をかけてしっかり報告します。乞容赦。(2004.7.21)