黒い聖母子像

黒い聖母を実際にこの目で見たのは、数年前、ミュンヘン近郊のプラネッグにあるマリア・アイヒ教会でだった。

これはイタリアのロレート産のレプリカだったが、いずれにせよ、ドイツで黒い聖母子像が見られたのは驚きだった。その後、たまたま立ち寄ったヴュルツブルクのケッペレでも見た。調べてみると、ドイツにもけっこうあることがわかり、魔女おっかけほどではないが、どこそこにあると知ればそこに出かけていった。今年(2006)の夏は、ミュンヘン、プラハ、ブダペストで黒い聖母子像を見てきた。

こうして、いつか私なりに黒い聖母子像について考えたことをまとめてみたいと思うようになったが、それには調べることが多くて、荷が重く、そのままになっていた。

そんなとき、たまたま、黒い聖母について詳しいクリスさんとメールのやりとりがあり、ドイツのアルトエッティングにある聖母子像の出自について、私が思い違いしていたことを指摘していただいた。

それをきっかけに、積んでおいた資料を読み返していたら、またも興味がぶり返した。とはいえ、調べれば調べるほど、疑問ばかりが湧いて、まとめるなど至難の技。身の程知らずということを痛感した。
 そこで、そうだ、それら疑問の数々を列挙するのはどうだろうと思った。今後の勉強のための土台にはなるかもしれない。従って、以下はその「黒い聖母についての疑問録」である。こんな素人の疑問にも答えてくださる方が現れたらいいのだが。 ひょっとしたら、おそろしく無知なことを書いているのではないかと顔を赤らめているのだが、別に研究発表でも、論文でもないのだから、許していただこう。

なぜ「黒い聖母」と言い、「黒い聖母子」とは言わないのか。

 世界には約450体の「黒い聖母」像があるといわれている。そのうち、約200体 以上はフランスで発見されたものだという。有名なものにル・ピュイやシャルトルの像がある。その他、スペインのモンセラット、イタリアのロレート、スイスのアインジーデルンもよく知られている。

 これらは、「黒いマドンナ」 「黒い聖母」 「黒いマリア」 「黒マリア」などいろいろに呼ばれている。私は、これらすべてを見たわけではないので断定できないが、「黒い聖母」としてよく知られている有名な像はほとんどが聖母子像であり、マリアだけでなく、イエスも黒い。

 それなのに、なぜ「黒いマリア」と言うのだろう。「黒い聖母子」のほうが実態にあっているのではないかと思う。

 

 

◆黒い聖母子像の2つのパターン

 上述したように、これらの像が「聖母子」であること、これは重要な鍵になるのではないかと思う。だが、それが私の単なる思い込みだったとすれば、以下の推論は成立しないことになる。しかし、素人の思いつきでも、なにほどかのヒントになるのではないかと厚かましくも思い、書いておくことにした。

 これまで知られている黒い聖母子像の姿を比べてみると、大きく2つに分けられる。
A  イエスを膝に乗せたマリア。二人は正面を向いている。〔例〕ル・ピュイ。

B  イエスを左腕に抱いているマリア。二人は正面を向いている。〔例〕ロレート。

B´ イエスを右腕に抱き、二人は見つめあっている。〔例〕アルトエッテイング。

 

 これ以外のパターンがあるかどうか更に調らべなければならない。

 「黒い」聖母子でなければ、いくつもパターンがある。特に絵画においては何種類ものパターンがある。Bタイプが一番多そうだ。Aタイプもある。マリアの母アンナを入れた3人組のパターンも多い。このときの聖母子の形はAとBの両方である。ほかにも、授乳するマリア像、多くの人を庇護するためにマントを広げる庇護マリア像もある。ある時代が、ある画家が、マリアをどのような女性として捉えていたか図像から読み取ることができそうで、興味深い。

 ◆黒い聖母子像に2つのパターンがあるというのが事実であるとすれば、それはどういうことなのか。

 

2つの像を見たときの個人的な印象。

・Aタイプ

 視点はまず中央に座すイエスにいく。マリアはその後ろでイエスを支えるものとしてある。マリアの支えなしでも背を伸ばして正面を見て座れるほどに成長したイエス。

・B、B´タイプ

 マリアがイエスを慈しみながら腕に抱いているように見える。この像を見る視点は聖母マリアにある。抱いてやらないと一人立ちできそうもないような幼子イエス。

 

 ところで、一般に母親は子どもを右腕で抱くのか、左腕で抱くのか。右利きの母親なら、たいてい左手で子どもを抱えるのではないだろうか。利き手の右は空けておく。マリアの利き手がどちらかわからないが、右手に抱くのは実際としては不自然な感じがする。そこで、B´の製作者は案外実際を知らない男性なのではないかとも思った。

 

 ところが、東方ビザンティン美術におけるモザイク画やイコンには決められたパターンがあり、それらのパターンを見ると、A 、B、 B´が入っている。

 特に、聖母と抱かれたイエスとがともに正面を向いているのは、ホディギトリア・スタイルといって、典型的なビザンティン様式なのだそうだ。次にリストアップするが、イタリアのロレートの聖母子像はその典型に見える。

 ビザンティン美術が西洋の聖母子像に与えた影響は大きかったと言われているので、黒い聖母子像がもしすべてビザンティン様式を受け継いだのであれば、上述のように2つのパターンに分けて、そこから何かを読み取ろうとするのは、私の思いつきにすぎないということになる。

 

 そこで、世界に450以上あるといわれる黒い聖母子像の出所を調べてみなければならない。私が黒い聖母をテーマにした研究者だったら、やってみたい。

 

 それぞれのタイプの写真を載せられるといいのだが、撮影禁止や著作権を考えると残念ながら載せられないものが多い。そこで、私が撮ってきた写真を載せることにした。Bタイプである。「黒い聖母」で検索すれば、Aタイプの写真の掲載されたサイトがたくさんあるので、それらを参照していただきたい。
◆2つのパターンの出自について。

 そこまでの力も時間もないので、よく知られている(あるいは私が見たことのある)黒い聖母子像だけで我慢して、それらの出自と製作年代を上記のAとB(B´)のパターンに分けてみた。

※黒い聖母子像のある教会、所在国、タイプ、製作年代の順。(1)(2)は2体ある場合。

 

1. Chartres シャルトル(フランス)

(1)(地下の聖母)A 12世紀。17世紀復元。

(2)(柱の聖母) B 1516年

 

2. Dorres ドレ (フランス)A 11世紀

 

3. Le Puy ル・ピュイ(フランス)

(1) A 13世紀(エジプトから持ち込む。フランス革命のとき焼かれる。1794年)

(2) A 17世紀に近くの教会から移管。

 

4. Molompize モロンビーズ (フランス)A 12世紀

 

5. Meymac メイマック (フランス)A 12世紀

 

6. Rocamadour ロカマドゥール(フランス)A 12世紀

 

7. Beaune ボーヌ (フランス) A 12世紀

 

8. Dijon ディジョン(フランス)A 12世紀

 

9. Clermont-Ferrand クレルモン・ファラン(フランス)A  12世紀

 (1972年に堂内の遺体安置所で発見)

 

10.Marsat マルサ(フランス) A

 上と同じ作者か

 

11.Err エール(フランス)B

 12世紀

 

12. Einsiedeln アインジーデルン(スイス)B

 15世紀無名の造形家

 

13. Montserrat モンセラット(スペイン)A

 880年羊飼いが洞窟で発見したと。

 

14. Loreto ロレート(イタリア)B

 最初はイコン。16世紀に木彫り像。1921年焼失、1922年に現在の像。

 

15. ブダペストのMatyas templom マーチャーシュ教会(ハンガリー)B

 17世紀末、公爵寄進。ロレート産

 

16. プラハのキュービズム美術館壁面(チェコ)B 不明。

 

17. プラハのロレート(Loreta)教会の中庭にあるサンタ・カーザ (チェコ)B

 ロレートの模倣。不明。

 

18. ヤスナ・グラ(ポーランド)B イコン。6-14世紀

 

19.ヴュルツブルクのKaeppele ケッペレ(ドイツ)B´

 アルトエッティングのコピー

 

20. Altoetting アルトエッティング (ドイツ)B´

 Oberrhein あるいは Burgundの僧制作か。 1300年頃。

 

21.プラネッグの Maria Eich マリアアイヒ(ドイツ)B 

 ロレートのレプリカ

 

22. ミュンヘンのLoreto Kapelle am Gasteig (ドイツ)B

 1820年。アルトエッティングのレプリカ。

 

23. コルマールのドミニコ教会(フランス)A 

 マルサのレプリカ。

 

 12世紀前後に作られたフランスの黒い聖母は圧倒的にAタイプに属する。一方、ドイツや東欧に見られるものは、イタリアのロレートの影響を受けたものか、そのレプリカであるものが多く、タイプとしてはBに属し、制作年代はAタイプと同年代かそれ以後のものが多い。

 

 英国博物館には、エジプトの女神イシスが彼女の子どもホルスを抱く像がいくつも展示されている。イシスは息子を膝に乗せている。これはAタイプになる。しかし、その膝に乗せた息子を腕で抱えている。つまりAタイプのように二人で正面を向いていない。これはBタイプになる。

 イシスの像が後の聖母子像のルーツだったことはほぼ間違いないと言われている。母子像というテーマではイシスの像が影響を与えたというのは納得がいく。しかし、聖母子のルーツだというのは、パターンや色から見て、納得しがたいものが残る。
黒い聖母について調べるには、ヨーロッパの造形美術や宗教画をもう一度おさらいしなければならない。

 

 

私の独断的結論

 

◆黒い聖母子像の原型は二つある

 ひとつはケルトやアフリカ系で、Aタイプに属し、これはそのままの形で今に伝えられている。ケルト系の代表はシャルトルである。像は黒いものもあるし、黒くないものもある。

 アフリカ系の代表はル・ピュイである。これも、シャルトルと同じように、先代と今の像がある。先代は13世紀にルイ9世が十字軍遠征のときエジプトから持ち帰ったものだといわれている。そして、フランス革命のときに、「エジプト女を焼き殺せ」と言われて焼かれてしまった。確かにその顔は平面的で、異国風である。今ある像は同じAタイプではあるが、顔は黒いが、立体的で、キリスト教の聖母像として違和感はない。

 

 もうひとつはメソポタミア、エジプト系の女神に由来するBタイプである。BタイプにはAタイプのような異国風な雰囲気はない。明らかにキリスト教の聖母子をイメージして作られた像である。ビザンティン様式の影響がよく見える。

 

◆なぜ黒いのかということ

 マリアが晩年を過ごし、そこで亡くなったという家がエフェソスにある。中には祭壇があり、聖母マリア一人(イエスはいない)の像が祀られている。この像は真っ黒い。しかし、黒い聖母とは言われてない。ブロンズだからか。

 

 これまでリストアップした黒い聖母子像は、すべて木製だった。「黒い聖母」と呼ばれるものはすべて木製なのか、これは調べないといけない。

 

 ブロンズなら黒いのは当り前。木製なら、教会側が説明しているように、長年にわたるロウソクの煤や汚れによるものであるという説も否定できない。むしろ説得力があるように思う。

 というのは、黒い聖母として信仰されてきた像を洗ったら、白木や彩色を施した像だったが、信者たちはこれまでの黒い像に親しみを感じていて、教会は洗った像をふたたび黒く染めたという例があったりするからである。

 

 ロウソクの煤や汚れで黒くなるのはお寺も教会も同じである。ならば、黒い仏像という言葉はあるのだろうか。聞いたことがない。日本の場合は完全に神仏混合だったので、どれも異教の像として「黒い」という形容詞をつける必然性がなかったのだろうか。

 ちょうど今上野の国立博物館で仏像展(2006/10-12)が開かれている。先日観に行ってきた。予想通り、黒い仏像が何体もあった。彩色を施されていても、顔や手足は黒かった。黒い聖母像のようにテカテカに黒光りしているものはなかったが、上にリストアップしたいくつかの像と変わりない黒さの像だった。

 

 この展覧会は1本彫りの仏像展だった。インドの木彫り仏像はビャクダンと決まっていたそうだ。中国や日本にはビャクダンはないので、別な木で代用してもいいことになっていたと解説にあった。日本では主にカヤ、カツラ、ケヤキが使われている。

 ヨーロッパでは大理石などの石像が多いが、ここで問題にしている聖母子像はほとんどが木彫りである。何の木であるのか調べなければならないが、木像の場合、オークが一般的のようである。

 

 木像の場合、まず考えるのは長持ちさせるためにどんな工夫をしたかということである。防腐剤を用いたか。それはどんなものか。漆のようなものを表面に塗ったりしたか。漆塗りには朱、黄、緑、黒、茶褐色がある。銀箔が酸化して黒くなったという説もあるが、こうした対策や素材と像の黒さは関係するのか。これも調べてみないといけない。さて、こうなるとヨーロッパにおける像の作り方まで調べないといけない。うーん、大変だ。早くも手に余ってきそう。

 

 それは置いておき、以下に前掲と同じリストだが、現在ある像と本来の像がどうであったかを比較してみる。

 

1.シャルトル

(地下の聖母)木製。黒くない。

(柱の聖母) 木製。真っ黒とはいえない。

 

2.ドレ 木製。黒い。 左膝に座る子ども。

 

3.ル・ピュイ

(1) 杉の1本造り。テンペラで彩色。十字軍遠征でエジプトから持ち帰る。

 今あるのは最近のレプリカ。黒い。

(2) 主祭壇の像は19世紀、サン・モーリス教会から移管。黒い。

 

4.モロンピーズ 木製。

 1954年に顔の表面についていた黒い顔料を洗ったら、製作当時の赤と緑の顔。

 

5. メイマック 「エジプト女」と言われている。ターバンを巻いた姿。黒いが衣装は彩色され、唇も赤い。

 

6.ロカマドール  17世紀以前に。黒いという記録はなし。今ある像は黒い。

 

7.ボーヌ   黒くない。

 

8.ディジョン 1513年は白木。1591年には「黒い」と記録。1960年代に洗ったら。白木。

 

9.クレルモン・フェラン 木製。彩色。顔は。黒い。

 

10. マルサ 上と同じ作者か。頭巾や衣装は茶色。顔、手は黒い。
11.エール   木製。真っ黒とはいえない。

 

12.アインジーデルン  15世紀無名の造形家による。黒い。

 

13.モンセラット   880年、羊飼いが洞窟で発見。黒い。

 

14.イタリアのロレート 木製。最初はイコン。赤みがかった黒い色と記録に。16世紀初頭に彩色された赤モミ材の像に代わる。1921年に焼失。今は1922年の作で、黒く塗ってある。

 

15.マーチューシャ   黒い。

 

16.プラハの壁面   黒い。

 

17.プラハのサンタ・カーザ  黒い。

 

18.ヤスナ・グラ テンペラ。板。イコン。浅黒い顔。

 

19.ケッペレ  アルトエッティングのコピーということだが、似ていない。黒い。

 

20.アルトエッティング  真っ黒とは言えぬ。

 

21.マリア・アイヒ 安っぽい土産物。黒い。

 

22.ロレッタ礼拝堂(ミュンヘン) 黒い。

 

23.コルマールのドミニコ教会   黒い。

 

 黒は確かに異端や異教と結び付けられやすい色である。だが、たとえば明らかに異教の影響をもつイシスを思わせる像やケルトの女神像が必ずしも黒かというとそうではない。

 聖母子像が異教の女神の影響を受けているという指摘は、異教の女神像が黒かったという証拠がないと納得いかない。また、異国からもたらされた異国の黒い女神像を教会がなにゆえ祭壇に飾ったかということも解明されないと納得いかない。

 

 よく引用されるのが、旧約聖書のソロモンの雅歌(1章5-6節)である。「エルサレムの娘たち。私は・・・黒いけれども美しい。」

 これは古代イスラエルで歌われた恋の歌だろうと言われている。この1節が黒マリアと結びついているという説がある。でも、私にはこじつけのような気がする。というのは、この歌の続きはこうである。

 「私をご覧にならないでください。私は日に焼けて、黒いのです」

 つまりこの「黒い」は健康美のことでしょう。この1節をもって、「黒」を異教的なものとして結びつけるのは無理があるのではないかと私は思う。

 

 確かに、異教の母子像の形を利用したということはじゅうぶんありえる。黒いところはマネしないで、形だけをモデルにしたかもしれないということも納得できる。

 やがて、信者の信仰心の篤さを象徴するかのように、それはロウソクの煤で黒くなる。信者たちはその黒さをこの像への信仰心がもつ長年の歴史として受け入れてきただけではないか。

 それをかつての異教への思慕と読み取れるかどうかはもっといろいろな観点から見る必要があるのではないか。「黒」、「異教」という魅力的な引き文句だけに気になる。また像の材質について徹底的に調べていく必要もあるだろう。

 

 「黒い聖母」という言葉は、キリスト教に追放された異教の神々に共感を持っている人々にとっては魅力ある言葉であり、私なども飛びつきたいテーマだった。だが、それはひょっとしたら、ある種の思い込みではないかという疑念が今は残る。

(2006.12.3)