ザーゲの旅 2008年


水上温泉 <12月28日~12月30日>

 

 恒例の年始か年末の水上温泉旅行、今年は申し込みが遅くなってしまい、中途半端な日程になってしまった。年1回だが、定宿としている旅館はお湯がいいので気に入っている。今回は2泊中、夕方、夜、朝と全部で6回お湯に浸かって満足。

 

 29日は後閑まで出て、月夜野ビードロパークというガラス工場に行ってきた。仕事納めが済んでいたため、やってみたかった吹きガラス体験はできなかった。だが、特別な仕事のために勤務していた職人さんたちの仕事を見ることができた。

 ガラスを溶かした炉に棒を入れて、その先に上手にガラス球をからめて、台の上で何度もならし、そのあとそれを細い長いガラス棒に仕上げていく。見飽きない。

 

 今年は雪が少なくて観光地としては困っているそうだ。着いた日は少し雪が降っていたが、翌日は快晴。帰る日も朝少々雪だったが、すぐに止む。そのあと大きな虹が出た。 


銚子 <12月14日~12月15日>

 

 大学時代の友人たちと。

 


ドイツ+マドリッド+トレド <8月17日~9月9日>

 

 旅の前半は、すでに何度か訪れたことのある町、ずいぶん久しぶりの町、初めての町などドイツメルヘン街道のあちこちを歩きまわった。後半はベルリンを含む旧東ドイツの町を楽しみ、うち3泊をマドリッドで過ごした。

 思った以上の成果と楽しみを得ることができた旅でけっこう満足している。ザーゲがどんなところをうろつきまわったか、そのうちのいくつかを日を追って報告しようと思う。

 

8月17日(日)

 ベルリンからマドリッドへの移動を考えたとき、費用や時間の点でLHがよかったので、久しぶりにLHを使った。しかも成田9時35分発にしたので、フランクフルト着が14時15分。

 ホテルにチェックインしたあと、半日あればじゅうぶん行ってこれるイトシュタインへ魔女の塔を見に行くこともできる。春に行くつもりだったが、改修中ということだったので、今回に延ばした。初めての町である。木組みの家がきれいでなかなか面白い町だった。(フランクフルト泊)

 

8月18日(月)

 フランクフルトからメルヘン街道の終着点ブレーメンに向かう手前の駅フェアデンで途中下車する。ここにはフライツツァイトパルクというテーマパークがあるのだが、なにせ行かなくなってから10年経つ。ネットで調べたところ、マジックパークと名前が変っていた。私のお気に入りのコーナーはどうなっているだろうか。いくら調べても出てこない。今回はそれを確認にしに行ったようなもの。でも、それはそれで収穫だった。

 雨模様の月曜午後ということもあるだろうが、園内は淋しい限り。申し訳ない予想だが、このパークいつまで持つかなと思った。案外しぶとく残ってほしいという思いもある。というのは次にお気に入りのコーナーはまだ残っていたからである。

 

 ブレーメンも数えたら10年ぶりだった。駅前の変わりようにびっくりした。すっかり都会風になり、ちょっと見ただけでは数えれられないほど市電とバスが駅前を走っている。

 ベトヒャー通りのパオラ・モーダーゾーン・ベッカー美術展を訪れる。この画家は実にいい絵を描く。特に奥深さを秘めた女性像が素晴らしい。惜しいことに30代の若さで亡くなっている。

 聖ペトリ教会の脇に付属植物園があった。新しく出来たのか。聖書にでてくる植物を栽培、夏(秋)咲きの花がきれいだった。(ブレーメン泊)

 

8月19日(火)

 午前中にブレーメン市内をもう一度歩き、その後電車でハノーファーに。ハノファー市内を見るのも泊まるのも初めて。『赤い糸』というガイドブックをインフォで購入。市内の徒歩圏内36箇所を紹介し、その道に赤い線が引いてあるというもの。確かに歩いてほぼ見られたが、正直面白いと思ったのはそう多くなかった。

 ハノファーにはマッシュ湖という人造湖がある。赤い糸からちょっと外れているが徒歩圏内。とても人造湖には見えない。この湖の水が市庁舎の前で小さな池を作っている。この池に映る市庁舎は実物以上にきれいに見える。(ハノーファーで2泊)

 

8月20日(水)

 今日の目的はヘレンホイザー・ガルテンの庭園とそばのベルク・ガルテン内にあるヴィルヘルム・ブッシュ博物館を訪れること。ハノファーのパンフに必ずといっていいくらい載っている庭園を見てみたかった。西洋菩提樹の並木が見事だった。

 ブッシュ博物館では当のブッシュよりもフランチィスカ・ベッカーという女性のカリカチュア展が面白かった。知らない画家だったが、ドイツの女性解放運動の旗手だった雑誌EMMA創設者とともに活動してきたという経歴を読んでなるほどと納得するような絵だった。

 

 ブッシュは、ドイツ人の子どもなら誰でも知っている人気の高い絵本『マックス&モーリッツ』の作者である。全編二人の子どものいたずらを描いているのだが、そのブラックユーモアはかなりきわどい。正直私はあまり好きになれない。ブッシュはなぜこのような絵本を描いたのか知りたいと思った。博物館には彼が画家として描いた油絵が何点か展示されていた。すべて暗い。どこに掛けるのがふさわしいのだろうかと思った。

 会場はフロイトの精神分析によるブッシュのブラックユーモア解釈を中心にした企画ものになっていた。フーンと納得させられる説明もあった。もう少し子ども向けの博物館だと思っていたので、逆に面白かった。

 

8月21日(木)

 ゲッティンゲンに移動。ここで2泊。ホテルにチェックインしたあと受け付けでタクシーを頼み、エバーゲッツエンという村まで行く。初めての地である。

 ここにも「ヴィルヘルム・ブッシュの水車」という博物館がある。昨日のハノファーの博物館と違っていかにも子ども向けにできている。世界各国で訳された絵本が展示されていて、邦訳もあった。

 ハノーファーで見たブッシュとここのブッシュとの差についてまだ考えがまとまらない。

 この村には「ヨーロッパのパン博物館」というのもある。入ってみたが、あまり面白くなかった。パン博物館といえばウルムのパン博物館以上のものはまだ見ていない。

 村は長閑。いたるところ真っ赤な実をつけたリンゴの木があってつい手を出しそうになる。ゲッティンゲンに帰るバス停はこの村の小学校前にある。ちょうど終業時間だった。親たちの迎えの車やスクールバスに乗り込む元気そうな子どもたちを見ながら、この子たちはブッシュのあのブラックユーモアをどう受け止めているのかと考えてしまった。

 

 今日の日程は駆け足だ。そのあと電車とバスを乗り継いでシュパンゲンベルクという町へ行く。ここはグリム兄弟の『ドイツ伝説集』に出てくる「恋川」という壮絶な恋の物語の舞台である。この話はまたいつかする。

 

8月22日(金)

 今日も駆け足である。まずゲッティンゲンからヘクスターラートハウスという町に行く。ここも初めて訪れる地である。この町に沿って流れるヴェーザー河畔を2キロほど歩くとコルバイ修道院に着く。私はロマネスク様式のまだ残っている小さな素朴な修道院が好みなのだが、それからするとこの修道院は大きすぎる。教会の祭壇もバロック様式たっぷりに作りかえられていてあまり感心しなかった。メルクの修道院を見たときも同じだった。修道院がもっていた当時の権力があからさまに見て取れる。

 

 ではなぜコルバイに行こうと思ったかというと、いつか絶対行きたいと思っていたのは確かなのだが、情けないことにその動機を忘れてしまった。かろうじて、ここにはあのドイツ国歌となった「世界に冠たるドイツ」の詩を書いたファラスレーベンのお墓があるということくらい。

 

 さて、まだ駆け足は続く。ヘクスターラートハウスからブラーケルへ行く。ここは2度目。グリム童話の「ブラーケルの娘」の舞台である。それに因んだかわいいブルンネンがマルクト広場にあるのだが、前に来たときは人がいっぱいいていい写真が撮れなかった。再度の挑戦である。ところが今回は人こそほとんどいなかったのだが、雨が降り出してやはりいい写真は撮れなかった。

 

8月23日(土)

 カッセルはグリム博物館を見に行ったときとヘラクレス像まで行ってそこから下を眺めたときの2回立ち寄った以外は電車で通過するだけだった。カッセルはハノファーと同様あまり興味の持てない町だった。もちろん私にとってという意味である。

 だが、今回いくつか設定した目的地に効率よく行くにはカッセルを拠点にするのが一番便利だということがわかった。それでここに5泊することにして、ヴィルへルムスヘーエ駅のすぐそばにホテルを決めた。このホテルは市内の交通がフリーというパスがサーヴィスについていてラッキーだった。そういえばブレーメンのホテルにもこのフリーパスがついていた。最近こういうサーヴィスが流行っているのだろうか。

 

 チェックインしたあと、グリム博物館へ。1階は受け付けとショップ、2階はグリムとは関係ない童話関係の展示、3階がグリム関係。4階が子どもが楽しめるような娯楽施設。前に来たときは世界各国で訳されたたくさんの『グリム童話』が展示されていて、私が親しんだ邦訳も数冊あり面白かった。そして確かガラスケースの中だったが、初版や再版のオリジナルを見ることができた。それがない。ずいぶん展示内容が変わっていた。受付の女性に尋ねると、「そうなんです。今は置いてないのですよ」と言う。

 

 カッセルにはグリム研究所やグリムアカデミーなどちゃんとしたグリム研究者のための施設があるので、研究者はそこを利用しているのだろう。ここはあくまで観光用なのだ。メルヘン街道の町やグリム童話にちなんだ絵のトランプをお土産に買う。

 この博物館の前に「美しい眺め」という緑地帯が広がり、高台になっていて、カッセルの市内を見下ろすことができる。そこから坂を下りていくとグリム兄弟が住んでいた建物と兄弟の小さな可愛い銅像のあるグリムプラッツに出る。

 

 私は毎度のことだが道に迷う。これは今回の旅で2番目に犯した失敗。1回目はあまりに恥ずかしくて書かなかった。イヤ、書けなかった。

 さて、この日も下りる坂を間違えてしまい、反対のほうに出てしまった。戻りと思われるバスがやってきたので乗る。オヤ、ここを曲がっては市内から外れると思ったのだが、イヤ、違う道を通るのかもしれないと乗り続ける。バスはどんどん町から離れていく。住宅も見えなくなっていく。困った。降りて戻るしかない。降りる。バスの時刻表を見たら、今日は土曜日。もう戻るバスはない。かなり困った。

 市内地図しか持っていなかったので、そこがどこかわからない。あたりを見回すと少し先にカフェのあるガソリンスタンドが見えた。カフェのお兄さんに事情を話し、タクシーを呼んでもらった。電話代はいらないと親切だった。あとで地図で確認したら、やはり郊外に向かう路線バスに乗ったようだ。

 

 ああ、この調子だと、あと何度失敗するだろうと半ば自棄、半ば楽しむしかない心境。ホテルの窓からライトアップされたヘラクレス像が見える。といってもこの像、目下修理中で白いカバーに覆われていて見えない。

 

8月24日(日)

 今日はハン・ミュンデンに行く。ここはもう6回くらいは来ているのだが、いろいろな事情から一人で来たことはまだない。迷いながらでも一人で歩かないと道を覚えない。確認したい道筋があった。やはり思っていたのとはまったく逆だった。昨日の失敗を思いだし一人苦笑する。

 ハン・ミュンデンは昔はミュンデンだけ、その後正式にハノーファーシュミュンデンという名前になった。しかし、このハノーファーシュは発音しずらい。ドイツ人にとってもそうらしく省略してハン・ミュンデンというようになったそうだ。

 

 ミュンデンというのは河口(合流するところ)という意味で、ここでフルダ川とヴェラ川が合流しヴェーザー川になる。水流豊かな二つの川が一つになるところが見える。町はこれでもかというほど木組みの家ばかり。そして実在した医者だが、彼の活躍が面白おかしく作り上げられ「鉄髭博士」となって知られるようになる。彼はドイツの町を何箇所も訪れ活躍。最後はハン・ミュンデンに住み、ここで亡くなっている。彼のお墓もある。

 

 メルヘン街道が観光用に作られたのは1975年。ハーメルンの市民劇「ネズミ捕り男」はすでに19世紀から始まっている。私も1度見たことがある。ハン・ミュンデンも「鉄髭博士」の野外劇が1950年から行なわれている。ハーメルンほどではなくても昔からあった行事のようだ。

 ガイドブックには8月下旬までの日曜日ということだったので、それを信じ、日曜に予定したのだが、残念ながら8月の第3週までだった。劇は1時間かかるというからかなり本格的なものなのだろう。

 

 午後にはカッセルに戻る。約240ヘクタールある広大なヴィルへルムヘーエ公園で水曜と日曜の14時30分だけ行なわれる「水の芸術」というショーがあるので、これを見るつもりである。午前中に鉄髭博士の劇を見て、その後、水の芸術のハシゴをしようと思ったのである。

 

 この公園の丘の上にヘラクレス像があり、そこから階段状になった石の水路に水を流す。その水は約1時間かけて丘の下の池まで到達しそこで大噴水となって吹き上げるというのである。

 ガイドブックによると、その水の到達地点がいくつか時間とともに記されている。しかし、それがどんなものなのか私にはどうしてもイメージできない。水を流す。その水が1時間かけて流れる。その流れと一緒に下まで下っていくのか。では、水は1回しか放出されないのか、その後水路には水はなくなるのか、見て確認する以外あるまいと思った。

 

 カッセル・ヴィルヘルムスヘーエ駅からバスを乗り継いでヘラクレス像まで行く。バスの時刻を調べていったのだが、バスが遅れて、ちょうどいいヘラクレス行きの乗り継ぎバスに乗れなかった。バスの本数が少なく、20分ほど遅れてしまった。水路には水がちょろちょろと流れているだけ。なるほど、大きなじょうろで上から水を流すようなものとわかった。

 そこで、すでに流れてしまった水の後を追って下まで下る。これがきつい。かなりキツイ。途中で下の池から吹き上げる噴水が見える。水を追うのはかなり難しい。公園の端を回るバスはあるのだが、本数が少ないので頼ることはできない。

 下のヴィルへルムスヘーエ城まで到着したもののヘトヘトで城を見る元気はなかった。元気な人なら下から上まで登ってもいいが、私には絶対できない。下るだけでもこれだもの。

 

8月25日(月)

 今日はフリツッラーという町に行き、夜は知人と会う予定。フリッツラーはカッセルからバスで直接行くのが便利。この町はメルヘン街道と木組みの家街道に入っているが、メルヘンとは関係なく、木組みの家の実に美しいところである。

 また中世の城壁と防御塔がかなり完全な形で残っている。城壁といえばロマンチック街道のローテンブルクやディンケルスビュールが有名。フリッツラーは日本ではあまり知られていないがぜひ訪れるチャンスを作ってほしいと思う。お勧めの町である。

 

 フリッツラーから2キロのところにガイスマールという村がある。ボニファーティウスという宣教師が活躍した伝説の残っている地である。ここには8年前に訪れているが、変わりがないか確認したいことがあったので予定に入れた。

 2キロというのは私が片道1回で歩ける限界だ。行き着いた先をめぐってまた戻る。ガイスマールにはちょうど2キロ。変わってないところ、微妙に変わってしまったところ、新しい発見。楽しい4キロだった。

 

 夕方カッセルに戻る。今夜は昔からの知り合いであるトレンデルブルクとザバブルクの観光大使をしているウッフェルマン氏と会うことになっている。場所はバウナタールのレンガースハオゼンというところにあるビアレストランである。ここはグリム兄弟にたくさんの昔話を聞かせたフィーマン夫人が生まれた家である。いつか行ってみたいと思っていた。でも、行きはバスを使って行けそうだが、帰りは夜遅くなればそのバスもない。タクシーで帰り着くことが可能な範囲なのかどうか、まったく見当がつかなかった。

 

 今回はウッフェルマン氏が車でホテルまで送ってくれるというので安心して出かけた。バス停はほとんど民家の見えない道路端だ。看板が一つ出ている。それに従って歩いていくと大きなビール工場にでる。その裏手がビアレストラン・クナルヒュッテ。かつて旅籠だったということで内部は古めかしいが外からは横長の普通の家である。庭に夫人のブルンネンがある。

 

 やがて現れたウッフェルマン氏とビールで乾杯。顔を見るのは3年ぶりになる。彼からカッセル周辺のことについていろいろ教えてもらい、とても参考になった。彼は私の拙いドイツ語をじゅうぶん汲み取ってくれて、適切な答えをしてくれる。しばらく歓談し、彼の車でホテルまで送ってもらう。車だと20分ほどだったか。

 

8月26日(火)

 今日のコースは赤頭巾の里といわれるシュヴァルムシュタットと木組みの家が見事なアルスフェルトを訪れ、フルダ経由でカッセルに戻ってくるというもの。ともに昔1回訪れたことがあるが、やはり確認したいことがあり、スケジュールに組み入れた。

 シュヴァルムシュタットはカッセルから電車でトライザに。そこからバスで10分ほどのところ。郷土博物館のあるムゼウムで下車するのが便利。なかなか充実した展示内容で、きちんと説明してくれる学芸員のような人もいる。

 

 なぜシュヴァルムシュタットが赤頭巾の里といわれるかというと、ガイドブックにもよく載っているが、この地域の民俗衣装の帽子に由来する。小さな湯飲茶碗を伏せたような帽子を頭にちょこんと乗せる。既婚は黒、未婚は赤。ところが展示されていた帽子を見ると、なんと6色もの帽子がある。年代別に細かく分けられていて、面白かった。

 

 アルスフェルトにはムゼウムからバスで30分ほど。心と目をなごませる田園風景を眺めながら走るバスドライブ。これで3,6ユーロとは嬉しい。

 アルスフェルトのお勧めはやはり木組みの家の集中するマルクト広場周辺。市庁舎はハルツのヴェアニゲローデの市庁舎とそっくり。あのようなスタイルは当時の流行だったのかもしれない。駅から電車でフルダにでて、そのままカッセルに戻る。

 

8月27日(水)

 今日はラインハルトの森へ。ザバブルクにあるウアヴァルト(原生林)、ティーアパルク(動物園)、ザバブルク城へという予定。ウアヴァルトとティーアパルクは初めて。

 

 ウアヴァルトには樹齢700年のオークの木がある。幹には人が数人は入れるほどの洞がある。ドイツ銘木の一つである。薬草と樹木の本でよく知られているスザンネ・リツィという女性がその洞に入っている写真が本に載っている。これを初めて見たとき、私は何が何でも行ってみたいと思った。しかし、原生林である。一人で行けるだろうかと不安もあって、何年も経ってしまった。

 

 今回決心して行ってみることにした。ウアヴァルトのサイトにはピクニックでやってきた子どもたちが数人、中に入って喜んでいる写真が載っている。子どもでも行けるのだと思ったが、まてまて私の足は子ども以下かもと。ヘンゼルとグレーテルみたいに森の中で迷ってしまい、それで魔女の家にたどり着くならそれもいいが、餓死してしまったとなったらたまらない、などとしきりにくだらない妄想を抱く。

 

 先日会ったウッフェルマン氏に私一人で行けるだろうかと尋ねたところ、なんとその木は森の入り口から200mのところにあるという。ならばこの計画は実行。

 

 カッセルから電車でホーフガイスマール駅まで。ここからバスでウアヴァルトまで。バス停前の駐車場には車が1台だけ。予想していた遠足の子どもたちもいない。誰もいない。たとえ200mとはいえ、一人森へと入っていくのは怖がりの私には勇気が必要。

 さて、ありました。写真では木の大きさとあたりの静けさを伝えることができなくて残念。洞の中に入れるかどうか覗いたが、私の背丈ほどのところにあるので、入り込んだら一人では出て来れそうにない。断念し、そっと幹に耳をあてる。何が聴こえたかって。それは内緒。

 

 ウアヴァルトから動物園に行くバスは2時間ほどあと。動物園まで2キロなので、徒歩可能圏内ということで歩く。動物園といっても動物の数は少ない。園内はバーベキューをしたり、ピクニックができるような広い緑地。一番奥に狼のコーナーがある。そこまで直線距離で1キロ。一周したらどのくいらいになるか。でもミニトレインが走っているので乗る。遠くに姿を見せた狼の姿は美しかった。

 

 この動物園の裏がザバブルク城。行ったことのある人ならわかると思うが、この城をうまく撮るいわゆるカメラスポットを探すのはとても難しい。ところがミニトレインに乗ると、まさにここすべてカメラスポットという場所をトコトコ走ってくれる。

 

 動物園の横手の壁伝いに遊歩道があり、その坂を登っていくとザバブルク城に着く。そこからホーフガイスマール行きのバスが出ている。私はこの坂道があまりにもよかったので、もう一度下って戻り、動物園前からバスに乗った。バスは日に何本かという本数だからよく調べていかないと大変。

 

 カッセルに戻ってホテルで一休みしてから市電でグリム兄弟通りへ行く。ここにフィーマン夫人が住んでいた家がある。小さな可愛いドイツ風の家だった。

 

8月28日(木)

 今日の予定はカッセルとサヨナラして、ナウムブルクへ。ICで直通2時間半弱で行けるのだが、遠回りしてマクデブルクで途中下車する。なぜかというと、春の旅行記に書いたが、この町のエルベ河畔に船水車を見せるところがあるのだが、春には雨のため入れずとても残念に思ったので、今回どうしても見てみようと思ったのである。

 私にはとても面白かった。水車小屋がそのまま船になっていて、それが川に出ていって作業をするのである。水車小屋の床が船底になっているというもの。ここは入場無料の上、受付の人が私の無知な質問にとても親切に答えてくれた。船あるいは水車に興味のある人はぜひマクデブルクに行ったとき立ち寄ってみたらどうだろう。

 

 ナウムブルクのホテルも駅のそば。ここで2泊する。この町は駅から市の中心まで歩いて20分ほどかかる。駅前から町の縁を通る形でバスが出ているので、それを利用すると便利である。昔はなかったと思ったのだが、気がつかなかっただけかもしれない。

 ナウムブルクはエッケハルトとウタ夫妻の像で有名なドームとバッハも弾いたというオルガンのあるヴェンツェル教会で知られている。哲学者ニーチェが住んでいた家もある。

 ウタはドイツ一美人なのだそうだ。私はこれまで2回会っているがそうとは思えなかった。カッセルでウッフェルマン氏に会ったとき、ドイツ人は彼女を本当に美人だと思っているのだろうかと尋ねてみた。彼の答えは「当時としては美しかったのではないかな」だった。

 

8月29日(金)

 ナウムブルクに泊まることにした理由は今日の遠出にある。電車で45分ほどのネープラという駅からバスで15分ほど行ったところにメムレーベン修道院がある。公共の交通手段でここに行くにはネブラ経由が一番近い。それには泊まってもいい町としてはナウムブルクかエアフルトになる。どちらにしようか迷ったが、久しぶりのナウムブルクにした。

 

 メムレーベン修道院は初めて行くところである。修道院のサイトを見ても、そこがどんなところか見当もつかない。WEBで調べても交通手段の不便なところは車で訪れる人のための地図しか載せていないことが多いので困る。やっと路線バスの時刻表を見つけてみても、曜日によって本数がずいぶん違う。それに本当に修道院のそばに止まるのだろうか。2キロなら自信はあるが。だが、「案ずるよりは行く(?)が易し」で、無事行って帰ってきた。当たり前だが、行ってみなければわからないものだ。

 

 メムレーベンはドイツ史に関心のある人なら知っているのかもしれないが、私は今年になって初めて知った。神聖ローマ帝国初代皇帝オットー一世が没した地であり、その父のハインリヒ1世が生まれて死んだ地でもある。今はオットー一世の墓はマクデブルクのドームに移されたが、ここメムレーベンは初期ドイツ帝国ゆかりの地なのである。当時の修道院はほとんど廃墟となっているが、かつて多くのドイツ皇帝が訪れた場所である。ということを思うとどうしても行ってみたくなったのである。

 

 メムレーベンは人口たった800人の町である。修道院は国道沿いに建っていて、その前がバス停である。まわりは畑で、民家と農家がまばら。午後2時から開けるカフェが1軒あることはある。このカフェの横にトイレがある。有料だがこれはありがたい。

 庭に入ると横手に菜園がある。昔の修道院で栽培されていた薬草や野菜が植えられている。オヤ、これは瓢箪?

 そう瓢箪は世界最古の栽培植物だそうで、日本でも『日本書記』に載っているという。ドイツの修道院でもよく栽培されていて、実の中身は食し、いわゆる瓢箪の実は乾かして飲み物などを入れるのに使ったそうだ。初めて知った。

 

 廃墟の奥にはかつての修道僧の住居があり、ここが博物館になっている。これは見ごたえがあった。修道院生活についてビジュアルな情報を伝えてくれるビデオ設備が各部屋にある。羊皮紙の作り方、中世のあの厚い本の装飾絵の絵の具や描き方、装丁の仕方についてのビデオが面白かった。時間がもっとあれば、もっといろいろ見られたのにと残念だった。しかし、帰りのバスを心配するとそうもいかない。いつかまた来ようと思い、メムレーベンを後にした。

 

 ナウムブルクに戻って時間ギリギリにドームに入り、ウタさんに会った。入場料は4ユーロだが、撮影許可代が5ユーロ。ちょっととりすぎではと思ったものの、ウタさんの像は撮っておきたい。ところがなぜかうまく撮れない。フラッシュを焚いても焚かなくてもうまく写らない。私の技量の問題なのだろうか。残念ながら使える写真ができなかった。

 その後、今夜が「ヴェンツェル教会 夏のオルガンコンサート」最終日だったのでラッキーと思って、12ユーロの入場券を買って聴くことにした。もちろんバッハの曲もあったが、クリスティアン・ハンイリヒ・リンクの「イエス、私の喜び」という曲がとてもよかった。

 

 今日で前半の旅は終わった。明日は日本からやってくる娘とベルリンで合流し、観光中心の旅となる。

 

8月30日(土)

 ベルリンを離れるときがテーゲル空港になるので、ホテルは空港に一番近くて便利なツォー駅のそばにする。ツォー駅周辺を歩くのは久しぶり。カイザー・ヴィルヘルム教会の変わりようにびっくり。特に青いステンドグラスを無数の細かい格子にはめ込んだ教会内部の壁には圧倒された。ここは水の底かそれとも天の国か。

 

8月31日(日)

 朝一でゲメルデギャレリー(絵画館)へ。ここはお勧め。いい絵がいっぱいある。 午後には観光名所をまわり、夜は知人の家を訪問。この家族とは旧東ドイツ時代に知り合って以来の付き合いである。夕食をご馳走になる。

 

9月1日(月)

 今日は食べ物の話を2つ。

 

①行列ができる店ということでガイドブックやテレビなどでよく紹介されているというカリーヴルストの店に行く。

 地下鉄のエーバースヴァルダー・シュトラーセ駅で降りる。その高架線下にある屋台である。昼時ということもあったのだろうが、本当に行列ができていてびっくり。そもそもドイツで売られているカリーヴルストは焼いたヴルストにカレー粉を振りかけるものがほとんど。これまで美味しいと思ったものに出会ったことがない。

 この店も同じくケチャップにカレー粉をかけたものなのだが、ヴルストが違う。焼いたのではなくどうやら揚げたもののよう。それがカリカリして実に美味しい。もう1本食べようかと思いながらやめてしまったことを今は悔いている。

 

②ベルリーナーヴァイセを初めて飲む。

 これはクルマバソウあるいは木苺のシロップを混ぜたビールで、ストローで飲むもの。ライプチヒではそれをゴーゼビアと言ってライプチヒ名物なのだそうだ。

 もともとゴーゼビーアはハルツのゴスラー産の普通のビールだったのだが、ライプチヒに渡ってきてこのように変化したものである。昨年ライプチヒで飲んで、あまり美味しくなかった。ゴスラーのゴーゼビアのほうがはるかに美味しかった。

 

 ライプチヒのゴーゼビアの話をしたとき、それはベルリーナーヴァイセのようなものかしらと言われ、私はベルリンにそんな飲み物があるのを知らなかった。それで飲んでみようと思ったのである。ライプチヒで飲んだのと同じクルマバソウのシロップ入りにした。正直まずい。全部は飲めなかった。まだライプチヒのほうがましかもしれない。

 

9月2日(火)

 テーゲル空港からフランクフルト経由でマドリッドへ。ホテルはアトーチャ駅そば。ここで3泊する。

 初めてマドリッドに来たとき、観光名所を回りすぎ、プラド美術館で時間がじゅうぶんとれずとても残念だった。絶対また来ると思ったあのときからなんと15年が経ってしまった。

 

 ホテルでチェック・イン後、あさってのトレド行きの切符を買いにアトーチャ駅に行く。 切符の買い方が面白い。最初に受付で銀行の番号札みたいなものを受け取り、その番号が表示された窓口へ行く。往復買うと安くなる。

 その後、さっそくプラド美術館へ。1時間半見て、残りは明日。夕食はもちろんガスパッチョとパエリャ。

 

9月3日(水)

 朝一でプラドへ。ゆっくりのんびり、途中館内のカフェで昼食をとり、すべて見終わって4時半。その後、ティッセン・ボルネミッサ美術館へ。ここは閉館までの2時間弱で見終えるようにする。絵はその時々の興味と関心で見たい絵や見方も違ってくるので、美術館は飽きない。

 

 マドリッドに着いてみて、ドイツは北なのだなあと実感したのが日の入り。ドイツでは午後8時過ぎると暗くなっていたのに、ここではまだ太陽が燦燦と輝いている。9月始めの日の入りはだいたい20時30分頃だそう。

 

9月4日(木)

 今日はトレドへ。初めてである。トレドはマドリッドに遷都するまでは首都だった町。スペイン・カトリックの総本山の町である。さすが、そのカテドラルの大きさ、内部彫刻の素晴らしさには仰天。あえていえばここまで造るかという思い。

 

 また、トレドはエル・グレコの住んでいた町である。サント・トメ教会にはここでしか見られないというグレコの絵「埋葬」がある。

 「トメさん」だって?なんてつまらないギャグはさておき、トメとは十二使徒の聖トーマスのこと。教会の横手に受付がある。埋葬の主オルガス伯爵の墓石とされる石の上方にグレコの大きな絵がかかっている。それだけである。入場料2ユーロ30セントが高いかどうかはこの絵を見たいかどうかだろう。

 グレコファンの日本人が多く訪れるのか、プラドにもなかった日本語のオーディオガイドがある。トレドの歴史から始まって、絵の解釈にいたるまで実に詳しくて日本語もちゃんとしていてよかった。1ユーロ50セントは安い。

 

 サント・トメ教会の礼拝堂に一般の旅行者が入れるのかどうかわからないが、私は間違って入ってしまった。そこで黒い聖母子像を発見。由来については不明。これから調べてみようと思っている。

 

 夕方マドリッドに戻り、ピカソの「ゲルニカ」のあるソフィア王妃センターへ。昔はガラスの向こうに展示されていたが、今はガラスは取り外されていた。絵の両側に監視人が立っていて、絵に近づくと警報がなる。この絵を初めてみたときの震えるような衝撃が蘇る。

 

 トレド行きは遠距離ホームから出るので、荷物の検査がある。小さな駅のトレドでも帰りにやはりセキュリティチェックがあった。アトーチャ駅では行きのホームと帰り着くホームが違う。その出口専用のホームを上がっていったら、奇妙な像があった。写真を載せた。誰の作なのだろう。

 

 なにしろ15年ぶりのスペインである。おのぼりさん感覚を楽しむ。スペインによく行く人にとっては何でもないものでも私には面白い。その一つに郵便ポスト。昔の日本のポストの形で色はドイツと同じ黄色。目立つ。

 

 今日の昼はイカ墨のパエリャ。スペインへ行くと決めたとき、なにはともあれ目的はプラドとパエリャだった。満たされて、明日は再びドイツへ。

 

9月5日(金)

 マドリッド空港からフランクフルト空港へ。空港遠距離駅からアイゼナーハへ。ここで3泊する。

 空港駅からアイゼナーハまで予定していた電車より一つ前の電車に乗れる。前の電車が遅れたからである。ドイツ鉄道は正確というのは昔の話。最近は実によく遅れる。1時間遅れなんてこともある。5分、15分なんてざら。いくらなんでもあんまりだろう、ドイツ鉄道もすまないと思うのか、最近のアナウンスでは「すみません」という一言を入れるようになった。でも遅れた理由を言うことはめったにない。

 

9月6日(土)

 今日の日程は朝一番のバスでヴァルトブルク城へ行き、午後に町へ戻ってからローカル線でゼッテルシュテットという小さな村へ行き、そこからヘアゼルベルクという山に登る。

 この山にはいくつか面白い伝説がある。その一つはワーグナーのオペラ「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」で有名なヴェーヌスがここに住んでいたというものである。行きたくなるではないか。ということで1998年に登っている。

 

 その頃は今のようにネットで簡単に検索などということは出来なかった。地図を見て、この駅が最寄だな、あとは着いてから誰かに聞けばいいだろうと思って出かけるしかなかった。

 ところがまず店などない。人影も見えない。折りよく数少ない民家から人が出てきたので道を尋ね、山の入り口にある小さな標識を見つけ、なんとか山頂にたどり着くことができたときはとても嬉しかった。

 そのとき、山頂のゲストハウスで、ご主人から「この裏手にヴェーヌスやタンホイザーが住んでいたという洞穴があり、バイエルン王ルートヴィヒ2世もその洞窟を訪れたのですよ」と教えてもらった。私は漠然とヴェーヌスの住んでいたという山に登ればそれでいいと思っていたので、ウソでも洞窟まであるというこの情報に飛び上がった。

 

 細い山道をしばらく歩くと、タンホイザーの洞窟がある。ただし、ここには吸血こうもりの巣があるので立ち入り禁止という看板が出ていた。ヴェーヌスの洞窟は中に入れる。ところが中は真っ暗で2歩入っただけで怖くて引き返してしまった。そのとき今度は懐中電灯を持って来ようと思った。

 今回、娘にアイゼナーハとヴァルトブルク城を案内しようと思ったのは、アイゼナーハが私のお気に入りの町であるからというだけでなく、ヘアゼルベルク山に行って、あの怖い洞窟へ一緒に入ってもらおうと思ったからである。

 

 ヘアゼルベルク山は標高500メートルに満たないのだが、今の私にはかなりキツイ。一人で登るにはちょっとばかり不安もある。なにせ山道では人とめったに会わない。息切れして倒れるまではないとしても、道に迷ったら困る。10年前の記憶は頼りにならない。

 ということで今回は懐中電灯も用意して、勇んで出かけた。やはり山道では誰にも会わず、私は息切れで倒れんばかりだった。それでもここはなんと緑豊かな世界なのだろう。

 

 さて、洞窟にたどり着き、中へ入る。ところがなんという不覚。懐中電灯が小さくて明かりがよく届かない。家で準備したときはこれでいけると思ったのだが。怖い。つま先も見えない。数歩歩く。突然足元に奈落に通じる穴でもあるのではないか。本当はここにも吸血コウモリが棲んでいるのではないか。

 私たちはこいうときばかりとてもイマジネーションが働く。もう1歩、もう1歩。いっぱい歩いたように思えて後ろを振り返ると入り口の明かりが見える。なのに1歩前は漆黒の世界。もうこれ以上進めないと引き返す。思えば5メートルも進んだだろうか。

 

 笑わば笑えだ。また来ることがあるかどうかわからないが、そのときは大きな懐中電灯を持って、しかもグループで来よう。

 

9月7日(日)

 日帰りでワイマールに。駅のスーパーで「ロートケップヒェン(赤頭巾)」というシャンパンを見つける。ずいぶん昔からある銘柄である。

 グリム童話の赤頭巾ちゃんがお祖母さんのところへ持っていくのはワイン。なぜシャンパンなのだろうと不思議に思う。この銘柄は日本でも販売していたような記憶があるのだが、勘違いだろうか。シャンパンは発泡ワインだそうだからワインの一種ということなのだろうか。こういうことに疎い私にはわからない。

 

 城のそばにあるヘルダー教会はガイドブックでも紹介されているから訪れたことのある人も多いと思うが、私は初めてだったので、とても興味深かった。

 特に、クラナッハ父子の作という絵でできている祭壇が面白かった。磔刑のキリストを描いたものなのだが、十字架の下に3人の男性が立っている。洗礼者ヨハネ、ルターそしてもう一人がなんとクラナッハ自身。しかもキリストの血がクラナッハの頭に降り注いでいる。「信仰こそ人間の救済」がこの絵のテーマだそう。

 写真撮影は禁止だが、観音扉になっている祭壇の絵はがきを買うと、この絵についての詳細な説明を書いたチラシがもらえる。この教会は季節や曜日によって開いている時間が違うので調べていったほうがいい。今日は日曜だったので、午前と午後、それぞれ1時間しか開いていなかった。

 

9月8日(月)

 早くも帰国の日である。夜の便なので1日近く遊べる。どこにしようかずいぶん迷ったが、結局マインツに決める。なぜかというと馬鹿みたいと思われるかもしれないが、この町は北緯50度にあたり、グーテンベルク広場のグーテンベルク像の下にそれを記した銅板がはめ込まれている。それを写真に撮りたかったのである。

 フランクフルト空港にはコインロッカーはないが、荷物預かり所がある。アイゼナーハを早めに出て、ここに荷物を預けて、マインツへ行く。

 グーテンベルク広場にあったはずのグーテンベルクの像が消えて台座だけになっていた。修理でもしているのだろうか。その近くに、昔見たときは銅板だけだったのが、なんと今は緯度線が地面に描かれている。なるほどこの方向に北緯が走っている(?)のかとわかる。

 

 ここまで読んでくださった方にお礼申し上げます。ガイドブックを見れば詳しく紹介されているようなことについては書く必要もあるまいとそれには触れなかった。その結果、マイナーなことばかり挙げ連ねてしまったようだ。しかもこのHPの容量の関係で写真も思うように載せられなかった。しかし、こんな旅もあるのかと思っていただければ嬉しいです。

 なお、私の思い違いや間違った情報などありましたらお知らせいただければありがたいです。

 

 出発のころは1ユーロ170円を越えていたのが、帰国前日あたりから下がりだし、151円になったりもした。ユーロ世界は凋落だそうだ。本当だろうか。釣られて来年用を少しばかり買い込んだ。さて、来年はどこをうろつこうか。(2008.9.23)

 


春のドイツ <4月26日~5月5日>

 

 今年はヴァルプルギスの夜に参加するツアーは企画しませんでした。これまで参加してきて、この夜が完全に春迎えの行事になってしまい、それはそれでいいのですが、イベントの内容がかなりパターン化し、観光化してしまい、正直、面白味がなくなってしまいました。そこで、どこか「これは!」という夜を催している町を探してみようと思いました。

 ネットであちこち探しましたが、ハルツの東はずれに二つほど見てみたいという催しが見つかりました。観光局に問い合わせをした結果、一つは車がないととても無理だろうということがわかりました。また、どこを拠点にするかも問題でした。そこでもう一つの町ベアンベルクの「ヴァルプルギスの夜」に参加することにしました。

 現地8泊という短かい日程で、ほぼすべて仕事関係の旅になりましたが、それなりの成果はありました。以下はそのときの簡単な旅日記の一部です。

 

4月26日(土)

 成田からフランクフルト経由でハンブルクへ。毎年楽しみにしている機内での映画が今回は見たいものが一つもなかった。それで、よく眠り、元気でハンブルクに着くことができた。

 まだ明るいので、必要な写真を撮りに市庁舎まで歩いていく。

 

4月27日(日)

 友人のアンゲリカと会う。昨年暮れに結婚したので、ちょっとしたお祝いを渡し、一緒にリューベックとトラヴェミュンデに行く。彼女が車を出してくれたので楽な1日だった。

 

リューベックのガング

 表通りから見ると細い通路(ガング)だが、そこを通り抜けると広い中庭(といったらいいのか)に出る。そこには何軒も家が建っていて、草花のきれいな花壇があったり、子どもの遊び場になっていたり、表からは想像もできない空間が広がっている。リューベックにはこうしたガングがたくさんある。

 

マリーエン教会の死の舞踏

 中世の絵画のテーマだった「死の舞踏」は壁画や絵としてヨーロッパに残っている。ドイツでもいくつか見られる。リューベックのマリーエン教会にあるのが下の写真である。第二次大戦の空襲で焼失してしまったのを戦後ステンドグラスにして再現したもの。黒いマリア像や「死の舞踏」探しもヨーロッパならではの楽しみである。

 

トラヴェミュンデ

 リューベックから北へ車で1時間弱のところ。トラヴェ川の河口の町で、バルト海に面した海水浴場である。私はここへ30年以上も前の夏に一度来たことがある。すでに9月だったので、海水浴客はほとんどいなかった。コルプという日光浴や休憩するための籠が海辺にずらりと並んだ様子が面白かった。

 なにより、バルト海のなんとも言えぬ神秘的なコバルトブルーにすっかり心を奪われ、ひたすら立ち続けて海をみつめていた。あの海の色を忘れることがなかった。

 その後、リューベックまで来てもここまで足を伸ばすことがなかった。「もう一度!」という思いの、これはザーゲのまさにセンチメンタルジャーニーである。

 この日もあまりに快晴だったので、リューベックのトラヴェ河畔をのんびり散歩しすぎて、海辺に着いたのが4時すぎになってしまった。ちょっと曇りだした。海辺はとても変わってしまった。高層ホテルが建ち、土産屋が並び、すっかり現代的な海水浴場になっていた。そして、水の色はきれいだったが、あのコバルトブルーではなかった。あの色は私の脳裏に刻まれているだけでいいのだろうと思う。(5.18記)

 

4月28日

 午後からハルツへ向かう。午前中をどう使うかはこちらに来てから決めようと思っていた。今日は月曜日なので、美術館も閉まっている。いくつか候補はあったのだが、シュターデに決定。

 

シュターデ

 ハンブルクから電車で50分ほど西にある小さな町。知人のM氏にとてもいい所だと教えていただき、昨年行ったのだが、一番いいところを見逃していたようで、もう一度行ってみようと思った。時間の関係もあったのだが、確かに昨年は半分しか見ていなかった。港に近い一角がM氏お勧めのところだった。

 

 エルベ河沿いのレンガの家々はイルメナウ河畔のリューネブルクに大変よく似ていて、川端の古いクレーンの形もそっくり。レンガ造りの倉庫がいくつか並ぶ様子はリューベックに似ている。もし、リューネブルクという町を私が知らなかったら、きっと何度も訪れ、人にも「一度は行ってみたら」と勧めたくなるだろう。

 

ベアンブルク

 ベアンブルクはハルツの東、マクデブルクとハレの真ん中あたりにある人口3万強の町。ハンブルクから行くルートはいくつかある。私は、ベルリン経由でライプツィヒまで、そこからハレ経由でケーテンで乗り換えるコースにした。地図で見るとずいぶん遠回りのようだが時間的にはけっこう早い。

 ところが、ハレ駅でこの電車はケーテン行きからマクデブルク行きに変更になったので、ケーテンに行くにはデッサウで乗り換えるようにとアナウンス。突然言われても困る。デッサウからケーテンまでどのようなルートなのか頭にないもの。

 

 デッサウといえば、バウハウスの町として有名だが、駅舎がものすごく汚いのにびっくりする。旧東ドイツに入るたびにその復興ぶりに目を見張るのだが、ここはまだ取り残されているのだろうか。デッサウからケーテン経由でベアンベルクへ直接行けることがわかりホッとするが、予定より1時間ほど遅れて到着。

 

 ベアンブルクは初めての町。ネットで町の地図を印刷はしたが、初めての町というのは見当がつかない。特に私のように極端に地理に弱いものには。それでもドイツは通りの名前さえ見つけ出せば何とかなる。駅から歩いて10分ほどでホテルに到着。ここに3泊するので、心配していたが、まあまあで一安心。町の中心まで歩いて偵察。落ち着いた町。

 

4月29日(月)

マクデブルク

 今日はひどい雨。持参のテルテル坊主も一休みということか。予定は日帰りでマクデブルクまで。ここも初めての町である。

 

初代神聖ローマ皇帝オットー一世の騎馬像

 マクデブルク案内のパンフによく載っている市庁舎前の像はレプリカである。本物は歴史博物館に展示されている。13世紀の作でおそらくオットー一世だろうと推測されている。レプリカは金箔だが、オリジナルは石造りである。バンベルクの騎士によく似ている。

 

ドーム

 ここにはオットー一世の墓がある。ザクセン・アンハルト州はハルツも含めて、神聖ローマ帝国の初期を見る上で極めて重要な地域である。オットー一世からハインリヒ四世までの生まれた地や没した地がここハルツに集中している。

 

フンデルトヴァッサーの家

 バルセローナで見たガウディの建物と同じようなもので、外から見るだけだろうと思っていたので、特別期待していなかった。が、中庭に足を踏み入れて「これは何だ!」とびっくりしてしまった。正直、圧倒された。

 フンデルトヴァッサーが建てた建物はウィーン、スイス、ドイツ、日本にもある。彼はあとで離婚するも日本人女性と結婚していた。彼の名前はよく知っていたが、実物を見たのは初めてだった。このような形で表現された彼の思想は何なのだろうか。彼のことをよく知らない私には今はなんとも言えない。中庭には先生に引率された小学生のグループが写生をしていた。

 

船水車

 Schiff(s)muhleという水車があるということを知って、ぜひ見たいと思っていた。船に水車を乗せたようなもので、それを川に浮かべる。これだと旱魃で川の水位が下がっても影響を受けない。ネットで調べたところ、写真や図版があり、それなりに想像はつくのだが、実物を見て「なるほど」と思いたいと思っていた。

 この船水車がマクデブルクにある。しかも内部に入れそうなのだ。これがマクデブルクに行こうと思った最大の理由と言ってもよかった。エルベ河畔の遊歩道際にある。外から見ただけではどうなっているのかよくわからない。勇んで近づいた。ところが、ところがだ。雨のため足場が滑るので今日は内部の見学はできないという張り紙。がっくり。

 それでもマクデブルクなら今年の夏もまた来れるかもしれないと思い、マクデブルクを後にする。

 

クヴェードリンブルク

 今回の旅行でなんとかクヴェードリンブルクに行けないものかとスケジュール表とにらめっこした。もし出来るとすれば、今日だけ。マクデブルクでどのくらい時間が取られるかわからなかったが、なんとか見るべきものを見てしまったので、クヴェードリンブルクへ出る。

 マルクト広場に行くだけでよかった。幸い雨もあがった。調べも終わり、ぶらぶらしていると旅行中の日本人夫婦に出会う。しばし立ち話したあと、カフェーでコーヒーとケーキをご馳走してくださった。ホテルの朝食だけで何も食べていなかったので、大きなドイツケーキはありがたかった。ご馳走さまでした。(5/19記) 

 

4月30日(水)

ゲデンクシュテッテ ベアンブルク

 ザーレ河畔のベアンブルクは961年にオットー大帝から贈られた町として記録に残っている古い町である。ドイツ最強の望楼の一つといわれる立派な塔をもった城もある。

 しかし、この町は現代になって大変不幸な歴史を体験することになる。1940年11月から1943年7月までナチスによっていわゆるT4行動といわれる安楽死殺人が行なわれたのがここである。一酸化炭素ガスを用いてガス室で9384人の障害者と6つの強制収容所から送られてきた5000人の囚人が殺された。今は精神障害に悩む人のための病院になっている。その建物のそばに犠牲者のための慰霊碑がある。

 

 ずいぶん前になるが、ヴァイマルの近郊にあるブーヘンヴァルト強制収容所を訪れて、言葉にならない衝撃を受けたのだが、そのとき思ったのは、このような施設を見に行くことの是非だった。歴史の暗部を見て、それを教訓にするほど私は強い生き方はできない。

 「ホロコースト以後、語るべき言葉を持たない」と言って、筆のみならず命まで絶った文学者の言葉は、軽い軽い生き方に埋没している私にはあまりにも重すぎる。

 かつての強制収容所にはもう二度と足を向けまいと思ったが、知人の家族が殺されたというベルリン・ザクセンハオゼン強制収容所にその知人と一緒に行くことになった。すでに開館時間を過ぎていたので、門を見るだけで終わった。知人が家族の死を淡々と語るのを黙って聞くのみ。これについては2006年春の旅行記に。

 

ケーテン

 バッハが一時期滞在していた町。ここはドイツロマン派の詩人アイヒェンドルフの故郷であり、ホメオパシーの創始者ハーネ・マンも滞在していたのだが、町はバッハの町ケーテンと名乗っている。バッハファンならケーテン詣ではぜひにもと思っているらしい。

 このケーテンがベアンブルクから電車で20分ほどのところだったので、行ってみる。駅からかなり歩いて町の中心地に着く。インフォメーーションは水曜日は午前中だけだったので、地図を入手することはできなかった。それでもいたるところに表示が出ているので歩きやすい。

 ケーテン城はなかなか壮大な建物である。ここにバッハの部屋もある。ガイド付きでしか中を見ることはできないようだ。客は私一人だった。ガイドの案内によって次々と見ていくのだが、いかにもドイツ式で、いちいち部屋の鍵を開けて、終われば閉めてで、ゆっくりと見ることができない。

 バッハファンならわからないが、私には特にこれという見ものはなかった。バッハといえばライプツィヒ。トーマス教会では毎年バッハ音楽祭が行なわれるが、ここは2年に1度という話だった。

 

ベアンブルクのヴァルプルギスの夜

 ベアンブルクはハルツフォアラントと言って、ハルツ山地の東側に接したところにある。

 この町のヴァルプルギスの夜は4月30日から3日間続く。町の人々が中世の庶民や騎士などに扮装して城内に集まる。これはなかなか面白い。魔女だと気後れするかもしれないが、長いスカートに黒いローブを羽織り、とりどりのアクセサリーをつける扮装は優雅にもなる。甲冑姿の男性もいる。おもちゃの剣をもった子どもも中世風におめかししている。

 中世の町を再現した店、たとえばパン屋、風呂屋、飲み物屋、アクセサリーや騎士の道具を売る店などが軒を並べている。中世の楽器を使ったバンドや曲芸師が芸を披露する。騎士の戦いもあるのだが、これは明日からである。

 このような中世を模したイベントはよその町で何回か見たことはあるが、どれも夏のことだった。ここはヴァルプルギスの夜と銘うっているのだから、少しは違うのかと思ったのが、今年、この町を選んだ理由の一つ。

 飲み物の屋台ではビールよりもメートという古代ゲルマンの飲み物だった蜂蜜酒が人気。クルマバソウのような薬草入りのメートも売られている。私がはるか東洋から来たと聞いて売り子さんがサービスでいろいろなメートを試飲させてくれた。やはり素朴な蜂蜜酒が一番美味しかった。

 

 城内にはティル・オイレンシュピーゲルの伝説に出てくる塔もある。中世の拷問道具を展示した博物館もある。これまで見ることができなかったものが一つあった。オリジナルかどうか尋ねたが、受付の人の答えはわからないだった。

 

 今、ハルツにおけるヴァルプルギスの夜は完全に春を迎える行事になってしまった。魔女はもちろんこの夜のシンボルではあるが、魔女の役割はなくなってしまった。だが、ベアンブルクでこの夜を過ごしてみると、魔女の姿が見えないのはやはり淋しい。明日はヴェアニゲローデで途中下車してゴスラーへ行く。果たして魔女は待っていてくれるだろうか。(続く5/24記)

 

5月1日(木)

 ベアンベルクから電車でヴェアニゲーローデへ。ゲルディに会う。ここ数年、ヴァルプルギスの夜に参加するツアーを企画した際、ゲルディには大変お世話になっている。それなのに、彼女は琥珀のきれいな腕輪を私にプレゼントしてくれた。彼女と会って今年でちょうど10年になる、その記念なのだそうだ。とても嬉しかった。

 

 おまけに、今日はゲルディの好意に甘えて車をだしてもらうことになっている。目的地はバート・ハルツブルクとイルゼンブルクの中間あたりにあるシュタッペルベルク近郊のユングボルン療養所である。

 シュタッペルベルクまではヴェアニゲローデからバスを乗り継いで行けないことはないが、まったく初めての場所であり、そこからユングボルンまでどうやっていくのか、ネットで調べても正確な場所はわからなかった。しかも夕方の電車でゴスラーに行かなければならない。

 だから、車の移動は本当に助かる。しかし、ゲルディも確かな場所はわからない。途中のレストランで聞いて、エッカータールというバス停が入り口になっているということがわかる。

 

ユングボルン(Jungborn)

 フランツ・カフカに思い入れのある私はプラハに行きカフカ詣でをした。その後、カフカとはずいぶん離れていたのだが、訳あってまた復活した。それで、昨年は、カフカが死の半年前、恋人と過ごしたベルリンの家を見に行った。そして、今年は彼が1912年夏の3週間を過ごしたユングボルン療養所に行くことにした。

 ユングボルンは「自然に帰れ」というモットーのもとルドルフ・ユスト博士によって1896年に作られたサナトリウムである。森林浴や食事療法を中心とした治療を施すことで注目されたが、第二次世界大戦後は結核療養所になり、1950年代の終わりには老人ホームとなったが、1961年に東西ドイツの壁が構築されたことによって、完全に閉鎖された。

 シュタッペルベルクはドイツが東西に分断されていたちょうどその分れ目にあたり、そのあたり一帯は封鎖されていたようだ。エッカータールのバス停から車は禁止。ユングボルンの跡地まで3キロという。往復するとゴスラー行きの電車に乗れるかどうかわからない。ゲルディが足を痛めていたということもあり、今回は入り口だけを確認してヴェアニゲローデに戻る。それでもカフカが目にしたであろうあたりの風景を見たことで満足することにした。

 

ゴスラーでYさんと

 ゴスラーのホテルでYさんと会う。Yさんはゴスラー近郊に住んでいる。彼女については私の旅行記にたびたび登場する。特にヴァルプルギスの夜にはゲルディと同じように私たちグループを助けてくれた人である。素晴らしい日本人女性である。Yさんがピクニックをしませんかと言う。時間は夕方の6時半、まだ日は高い。あと2時間は大丈夫。ランメルスベルク山まで彼女の車で。ゴスラーの町が見下ろせる中腹にシートを敷いて夕食。彼女の持ってきた大きな籠からは、おにぎり、卵焼き、焼き鮭、キュウリの漬物、一口サイズに切った果物、手作りのクッキー、シャンパン、ジュースなどが次々と出てくる。

 彼女はゴスラーの会社に勤めている。忙しい身である。今日がいくら休日とはいえ、彼女の好意は私には真似できない。素晴らしい夕食だった。あまったおにぎり2個とクッキーはホテルに持ち帰り、翌日電車の中で頂く。ありがとう。

 

 今年はゴスラーではヴァルプルギスの祭りはしなかったそうだ。賛否両論だったという。それでもゴーゼ川のほとりの空き地に設営された小さな舞台でバンドが演奏し、若者たちが踊っていた。私たちもゴーゼビーアを飲みながらしばし魔女のいないヴァルプルギスの後夜祭を楽しむ。

 

5月2日(金)

 ゴスラーから電車でフランクフルトへ。ホテルでチェックインしたあと、すぐに電車でシュタイナウへ。そのあと、ゲルンハオゼンに出て、フランクフルトに戻る。それぞれの町でどうしても見ておきたいところが一箇所あるので、このようなせわしないスケジュールになった。なんとか無事に調べがつき、ホッとしてホテルに戻る。

 

ゲルンハオゼン(Gelnhausen)

 ゲルンハオゼンはフランクフルトから電車で50分弱で行ける私の好きな町の一つである。魔女の塔もそうだが、それとは別にウンターマルクトの木組みの家、その裏手のマリーエン教会、その裏の坂を登っていく道など、印象に残る町である。

 

5月3日(土)

 今日は日帰りでアイゼナーハまで行く。昨年雨で行けなかったドイツ学生組合の記念碑とロイター・ヴァーグナー博物館を見る。今回は快晴。記念碑から町中まで坂を下って歩く。のんびり歩く。リラの花がほぼ満開。

 フランクフルトに戻り、いつも利用するネットカフェでメールチェックする。

 

学生組合記念碑(Bruschenschaft Denkmal)

 1815年に創設されたドイツ学生組合を記念し、ヴァルトブルク城に行く手前の丘(An der Gopelskuppe)に1902 年に建てられた記念碑。記念碑とはいっても高さ33メートルの立派な建物である。

 外から建物の上部を見上げると、ドイツを代表する6人の顔が飾られている。その6人とはカール大帝、ルター、ゲーテ、ベートーベン、ビスマルク、ヴィルヘルム1世である。この人選はある意味納得である。

 内部には学生組合の歴史について詳細なパネルが展示されている。学生組合旗がドイツの国旗のもとになったと言われているが、それも掲げられている。塔の上まで登れる階段もある。私は途中まで登ってどうしてもそれ以上はだめで降りてきた。悲しいかな、私は極度の高度恐怖症なのである。

 

5月4日(日)

 帰国便は20時45分なので、目一杯歩ける。今日はメルヘン街道の出発点ハーナウへ行って、博物館になっているフィリップスルーエ城に行かなければならない。それで今回の目的はほぼ終了ということになる。

 城はマイン河畔に立つ。なかなか立派。ユーゲントシュティールの画家フランツ・シュタッセン(1869-1949)が描いたグリム童話の絵がたくさん展示されていた。後でわかったが、彼はハーナウの生まれだった。

 夕方にはフランクフルトに戻り、ドームへ行く。ここのドームは私にとって京都の清水寺と同じ。なんと言われようと訪れてしまう。

 帰りの便はかなり空いていた。隣の席が空いていたので、ゆったりできた。帰れば忙しい日々が待っている。(5/25了)


関西(大阪、天橋立) <3月24日~3月28日>

 

 ずいぶん関西とも縁が切れていたが、親戚の集まりがあったので、そのついでに天橋立や大阪城など、これまで行ったことのないところを訪ねてみようと思った。メモ程度でも記しておかないと忘れてしまうので、読んであまり面白くない報告記になってしまった。乞う寛容。

 

3月24日 羽田から伊丹へ。大阪城から住吉大社へ。

 大阪城の中に入るのは初めて。秀吉の「黄金の茶室」が見たかった。レプリカで、かつ撮影禁止だった。茶の好きな秀吉は戦のときも茶室を持ち運びした。その一つ。必見というものではなかった。

 

 住吉大社も初めて。これは必見。全国で2400余ある住吉神社の総本山。1800年の歴史を持つ。1810年に作られた4つの本殿はすべて西向き(大阪湾)になっている。第一本宮から第三本宮の3つが縦に並んでいる。神功皇后を祀っている第四本宮は第三本宮の横に並んでいる。このような造りはここだけとか。これは面白かった。

 屋根は檜皮葺で、流れるような切妻造りである。屋根の上で交差する千木は、一般に祭神が男神の場合、外削ぎ(先端が地面に対して垂直)で、女神の場合は内削ぎ(水平)だそうで、それがよくわかる。ただし、伊勢神宮などは違うらしい。千木で男女の区別をしているとはまったく知らなかったので、面白かった。

 

 摂社の大海神社、船玉神社、志賀神社はいづれも海の神様で、住吉が大阪湾に面してあるのだということがよくわかる。末社の楠?社(ナンクンシャ)にそびえる楠木は樹齢千年とか。境内にはこれ以外にも古い楠木がたくさんある。神木といえば楠や檜、杉、松などが主なのだろうか。ドイツでは木像の場合、オークの1本彫りが多いが、仏像は檜造りが多い。どちらもその土地によくあり、固い材質ということもあるからだろう。

 また、面白かったのは、拝殿と本殿を区切る扉絵だった。私の乏しい知識では、神社の場合、区切りは一般に布製の御簾のようなもので、扉があったとしても4隅に華頭の形をした金具がつけてあるくらいだと思っていた。しかし、ここの扉は写真でもわかるように金で塗られた上に絵が描かれている。今回、たくさん神社めぐりをしたが、このようなものはなかったように思う。素人の見方かもしれないが。

 

3月25日 天橋立

 日本三景のうち2つは訪れたことがあるので、いつか見てみたいと思っていた天橋立。天に昇る龍の姿と言われる橋立だが、頭のほうから見る展望台と尻尾のほうから見るのと2通りある。お天気もよかったし、車で移動できたので、両方から眺めることにした。有名な「股のぞき」をしてみたが、確かにこのほうが面白く見える。

 大阪から大江山を越えて橋立まで。昔は道中大変だったろうと思う。

 

 大江山 いくのの道の遠ければ まだふみもみず 天橋立

 

 尻尾のほうの展望台がある笠松公園からバスで成相寺へ。ご本尊の聖観世音菩薩は秘仏で正月3が日を含めて年5日しか見られない。写真が展示されているが、いつか見てみないと思う優美な姿の菩薩だった。

 

3月26日 若狭蘇洞門めぐり 満徳寺 妙楽寺 神宮寺 明通寺

 小浜湾の海岸線に並ぶ海蝕洞を船でめぐる「蘇洞門めぐり」。奇岩が連なる景勝の地として江戸時代中期から紹介されているという。同じ日本海の東尋坊ではがっかりした思いがあったので、あまり期待していなかったから、まあまあというところ。けっこう波が荒く、船が揺れてデッキには立てなかった。写真は船内からだったので、波しぶきしか写っていなかった。

 

満徳寺(高野山真言宗)

 14世紀。阿弥陀如来が重要文化財。檜の1本造り。

 ここでちょっと気になることがあった。寺の入り口に立っている看板に「国宝 阿弥陀如来像」と書かれている。実物の脇にも同じく「国宝 阿弥陀如来像」という立て札が立っている。しかしこの像は重文である。寺で出しているパンフにも重文と書いてある。

 帰りしな、ガイドをしてくれたお坊さんに尋ねたところ、むにゃむにゃで最後は国宝も重文も同じですとかなりキツイ言い方をした。

 

 有形文化財のうちで重要なものを重要文化財とし、その中でも特に秀でたものを国宝とするという文化財保護法が1950年に制定された。それ以前の重要な文化財はすべて国宝だった。だから同じといえばそうだが、ほかの寺院ではそのような場合「旧国宝」と書いてある。

 

 私は芸術品に対してメキキなどできないし、国宝であれ重文であれ、見ていいなと思えばそれでよしである。しかし、看板に偽りはよくないだろうと思う。「旧」とつけているところがあるので、なおさらである。

 ここの庭園は国指定文化財。17世紀。ツツジ、サツキ、モミジが見事だそうな。「5色の椿」という変わった木がある。五弁の椿の聞き間違いかと思ったが、そうではない。1本の木に5色の花が咲くという。ツバキは他家受粉で結実するために変種が生じやすいので、古くから品種改良が行われてきたという。この木もそれに当るのだろうか。今は赤い花が1個だけ咲いていた。

 

妙楽寺

 木造千手観音立像。平安時代作。檜の1本彫り。重要文化財。ここの千手観音像は手と手の間に小さな小さな手が無数についていて、本当に千本あるそうだ。昔は33年に1度の開帳だったが、訪れる人が多いので、いつでも見られるようになったという。本尊の後ろの棚に26神将の像がずらりと並べられてあるのが面白い。

 

若狭神宮寺

 8世紀初頭。奈良二月堂へお水送りをする寺として知られている。その井戸もある。ここで面白かったのは、本殿中央には薬師如来を祀っているが、すぐ横に並んで神殿があるということ。神社の境内にお寺があったり、その逆もあるが、このように同じ本殿に並んでいるのは初めて見た。神宮寺というのは他にもあるが、皆、このように仲良く並んでいるものなのだろうか。ここは他にも見所がたくさんあるので、行って損はない。

 

明通寺

 9世紀初頭建立。山号はゆずり山。「ゆずり」は木偏に岡と書く。ゆずり木はユズリハ科の常緑高木で、初夏に若葉が出ると入れ替わって古い葉が落ちる。葉をゆずるということから譲り葉とも言う。意味深長な名前だ。本尊の薬師如来坐像はこのゆずり木の1本彫り。境内にゆずり木が1本植えてある。

 

 若狭湾の沿岸を走る。途中で見たかったのが由良の浜。

 

 由良のとを わたる船人 かぢをたえ ゆくえもしらぬ 恋の道かな

 

 この由良は淡路島とも言われている。どちらかわからないが、私の好きな歌なので、由良川と浜を見たかった。長者山椒大夫が安寿と厨子王を人買いから買ったという『山椒大夫』伝説の地もこの丹後由良の湊である。浜辺に記念碑があり、遠くにお地蔵さんのようなものが見える。

 かなり暗くなってきたので、堅田まで車を走らせる。この道は鯖街道だそうで、ではと鯖寿司を1本買う。ずいぶん大きくて1本3000円だった。堅田から電車で京都へ。鯖寿司がこの日の夕食。ホテルで。美味しかった。

 

3月27日 須磨、明石

 須磨、明石といえば『源氏物語』と『平家物語』。京都から日帰りなので、どれほど見られるかわからないが、一度は行ってみたかった。

まずは明石から。

 

[明石入道は娘の明石の上を須磨にいる源氏と縁組させたいと願う。いつしか源氏も明石の上に心惹かれるようになる。やがて明石の上は源氏の子を身篭るが、源氏は京に戻ることになる。]

 

朝顔光明寺

 源氏が月見としたという池。これは「やめてくれー」という感じだった。

 

善楽寺

 明石入道の屋敷とされるところ。源氏がしばし逗留。なかなかいいお寺である。平家ゆかりの寺でもある。

 

無量光寺

 源氏月見の寺。春分には本堂から山門を見るとちょうどそこから月が昇ってくるという。この山門は左甚五郎の作。いいお寺だった。

 

蔦の細道

 源氏がここを通って明石の上の住む岡部の館に通ったという細道。これも「やめてくれー」という代物。

 

 明石といえばもう一つ、子午線。東経135度。その標柱の一つが交番前に立っている。マインツの広場に北緯50度と書いたプレートが埋め込まれているのを思い出す。

 

須磨

 源平一の谷合戦の古戦場で有名で、源氏物語よりも平家物語関連の地ということになるが、『平家物語』は昔ほんの一部読んだだけなので、知識が乏しく、「ああ、そうだった」という感じでめぐるだけだったのが悲しい。

 

須磨寺

 伽藍、塔頭、文化財と盛りだくさんの寺。お勧め。

 

関守稲荷神社

 須磨に流された源氏がお祓いをしたという。

 

現光寺

 15世紀初頭。光源氏の住まいだったということから源氏寺とも言わている。ここは須磨の関跡とも。境内には芭蕉の碑もあり。

 

 須磨浦公園で敦盛の首塚を見たあと、京都へ帰る。

 

3月28日 糺の森 上賀茂、下賀茂神社 建仁寺 風俗博物館

 上賀茂神社の正式名は加茂別雷神社(かもわけいかづち)と言う。葵祭で有名なところ。神主姿のガイドが丁寧に説明してくれる。神社の由来を聞きながら、これはギリシャ神話や北欧神話と共通するところがあって面白かった。神代の世界の成り立ちというのはどこも似たものになるのだろう。

 

 風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりけり

 

 「ならの小川」の遺構が見つかったとかで、それを復元した小川が流れる糺の森を歩く。夏の京都は暑い。ここは絶好の避暑地になりそうだ。

 

下賀茂神社

 正式名は賀茂御祖(かもみおや)神社。上賀茂神社の別雷の母である玉依姫命を祀っている。

 

摂社河合社

 鴨長明はここの禰宜になることを願ったがなれず、のちに出家する。彼の方丈が保存されている。

 

 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の月ぞ残れる

 

 賀茂神社といえばホトトギの名所だそうで、古人はホトトギスの鳴く声を聞きに夜ここに集まったという。ホトトギスの声を聞いたことがないので、宮司さんにここではよく聞こえるのかと尋ねてみたところ、めったに鳴かないという。賀茂神社でなくてもいいので、ホトトギスの声をよく聞けるところを知っている方がいたらぜひ教えてほしい。

 

建仁寺

 落款も印章もないが俵屋宗達の真作といわれる国宝「風神雷神図屏風」。これが5月8日までの特別公開。普段は複製を展示。いかにも禅寺らしい庭がいくつもあり、心和む。

 

京都風俗博物館

 建仁寺で時間を使いすぎ、あわててタクシーでかけつける。閉館20分前だった。ここは井筒法衣店という法衣を扱う店の主人が個人で作った博物館で、平安時代、特に『源氏物語』の場面を精巧な人形で再現してみせる素晴らしい博物館である。ただし、名前がよくないと思う。タクシーの運転手も最初は「何だ」と思ったという。平安の世界をビジュアルで理解できる稀なる博物館。興味のある方にはお勧め。カタログも素晴らしい。

 

 こうして4泊5日の関西旅行は終わった。神社仏閣をいくつもめぐって思うのは宗教というのは実に世界共通のものがあるということだった。ドイツの教会をめぐってもいつも同じことを思う。多神教、一神教かかわりなく、人と神とのかかわりの共通性が感じ取れる。(2008.4.4)