魔女の宴「ヴァルプルギスの夜」報告

 

 2002年~2007年分。2008年以降は「ザーゲの旅」に載せました。

 


2007年の魔女の夜

 

 今年はヴァルプルギスに参加するツアーを企画した。果たして集まってくれるかどうか心配したが、なんとか催行できることになった。どんなツアーだったかを紹介しつつ、2007年のヴァルプルギスの夜について報告します。

 

 4月26日、Nさん、Mさん、Iさん、Kさん、Mさん、そして私の女性ばかり6名、旅行社の担当者に見送られて成田を出発。

 ヒースロー経由でハンブルク着。車で塩の道の出発点リューネブルクまで移動。聖ニコライ教会の隣が私たちの2泊するホテル。レンガ造りのニコライ教会に夕日があたると、えもいわれぬ美しい色になる。

 翌27日は電車でハンブルクまで往復。半日ほど市内観光。エルベ川の川底を通るトンネルは興味深い。市庁舎前のハイネ像にご挨拶。ハイネは『ハルツ紀行』というすばらしい本を書いている。ハルツを訪れる人の必読書である。

 

 ハンブルクの運河に面したレストランで昼食。ここで注文したビールがビールの飲み始め。ドイツを離れるまでビール漬け。また、本屋を見たいという希望者が多く、ハンブルクの大きな本屋を皮切りにどこでもよく本屋に立ち寄った。高価な古本を購入した人も多かった。誰のトランクも重くなったが、移動は専用バスなので、トランクをひきずる必要はない。これがツアーのいいところ。これは本当に助かる。

 

 午後の電車でリューネブルクに戻り、ここから現地ガイドのHさんが合流し、市内散策。リューネブルクはザーゲの大好きな町である。皆さんも気にいってくれたようだ。市庁舎、教会、ギーベルハウスの並ぶ通り、古い薬局。少年時代のバッハが合唱隊員としてやってきた教会、ここは中に入れないので、外から見るだけ。日本では珍しい塩水療法をしている場所も訪れた。

 

 翌28日、専用バスでいよいよハルツに向かう。ブロッケン山の麓の町ヴェアニゲローデで私たちは3泊する。この日は早めに到着し、市内観光をする。魔女グッズの店を探索して楽しむ。それぞれ思い思いの魔女グッズを買う。

 この日から、デュッセルドルフ駐在の男性Kさんとミュンヘン留学中のOさん、現地手配会社の担当者2名が合流。Kさんに明日は悪魔になってくださいとお願いする。気持ちよく承諾してくれたので、嬉しかった。

 

 翌29日はSLでブロッケン山に登る。この朝、Sさんが合流。彼女は仕事の関係で途中から参加。シャルル・ドゴール経由でハノーファー泊。そこからヴェアニゲローデまで電車で2度乗り換え。初めてのドイツ一人旅。電車から降りてきたSさんの顔を見て、よくぞ到着してくれたと心から安心した。

 

 ブロッケン山頂を散策し、山頂ホテルで昼食をとったあと、再びSLでヴェアニゲローデに戻る。駅前からタクシーに分乗して、ミヒャエルシュタイン修道院まで。

 1160年にこの地に作られたロマネスク様式の修道院で、入り口が素敵。私のお気に入りである。現在は2階部分が楽器博物館になっている。Kさんの話ではとても珍しい楽器があるという。付属薬草園はちいさいが、多種の薬草が見られる。今年はドイツの冬は短く、春の気配が濃厚だったので、期待していたが、残念ながらまだ花が咲くには早かったようだ。それでもカキドオシの花は満開だった。

 この薬草はドイツの伝統的な料理「聖木曜日のスープ」の材料になる。また、これで作った冠は魔除けになり、「ヴァルプルギスの夜」に編んだ冠は魔女を見分ける力があるという。でも、勝手に摘むわけにはいかないので、見るだけ。

 

 翌30日はいよいよヴァルプルギスの夜だ。昨年は2箇所を回ったが、かなり忙しかった。それで、今年はシールケの会場だけにした。1時半にホテルに集合し、メイクをして、魔女や悪魔に変身し、夕方4時半頃出発の予定。

 ドイツ旅行中の若いご夫婦と彼らの友人でミュンスターに1年間滞在予定のTさんがこの日だけ参加してくれることになっていて、午後にホテルで合流。

 

 午前中はミニトレインに乗って城まで行く。この城は下から眺めるのもいいが、城の内部が素晴らしいので、時間をかけても訪れたいところ。天気に恵まれ、城からブロッケン山が鮮やかに見える。こんなによく見えることは少ない。

 すでに魔女や悪魔の格好をしてぶらぶら歩いている観光局員の姿が見え始めた。城の入り口の横に彼らと一緒に記念撮影するベンチが作られている。大柄な魔女たちに囲まれて記念撮影する小柄なKさんの顔がとても嬉しそうで印象に残った。

 

 城の近くに古本コーナーのある魔女グッズの店がある。ここでは、欲しい本があれば、自分で値段をつけて店の人と交渉する。けっこう安い値段で取引が成立し、喜ぶMさんとKさん。この後、城から歩いて戻る人とミニトレインを使う人と2手に分かれる。あとは1時半のメイクまで自由行動。

 

 1時半にホテルに集合。メイクを引き受けてくれるのはダニエラ。彼女はザーゲの友人ゲルディの娘さんで、ヴェアニゲローデに住んでいる。彼女の腕は立派。次から次へと魔女や悪魔が誕生する。15人に及ぶメイクはかなりしんどかったと思う。ありがたい。全員のメイクが終わり、ヴェアニゲローデの市庁舎前で記念撮影。観光客が私たちにカメラを向ける。

 

 ここで、一人の日本人男性に会った。彼はザーゲの本を持参してハルツにやってきたという。彼はシールケへ行く予定はなかったのだが、少しばかり雰囲気を味わってみませんかと、強引にお誘いする。途中知ったのだが、彼はドラキュラ研究の専門家だった。ドラキュラと魔女の関係について彼なりの説があるそうだ。

 日本に戻ってきてから彼の著書『ドラキュラー100年の幻想』を購入し、今、読んでいるところである。これも魔女の縁だろう。

 

 魔女の縁といえば、もう一つ、シールケでぱったりオペラ歌手の田辺とおる氏に会った。私は彼にドイツでとてもお世話になったことがある。私に会えるかなと思っていたそうだが、私には驚きの出会いだった。

 

 さて、ダニエラは明日が誕生日なので、これから家に帰ってケーキを焼かなければならないので、魔女の夜に一緒に参加することはできない。心からお礼を言って、さよならする。ゲルディとお孫さんのレアは最後まで一緒する。これで私たちは総勢17名になった。シャトルバスに乗って会場へ。

 

 この後のことは日本ハーブ振興協会の機関紙『ルネサンス』9月号に紀行文を掲載していただいたので、重複する部分もあるが、そのまま転載する。

 

 

ハルツの森で魔女になるー「ヴァルプルギスの夜」に参加して

 

 4月30日の夜、ドイツ中部ハルツ山地の最高峰ブロッケン山に魔女と悪魔が集まって宴を催すという伝説がある。この夜のことを「ヴァルプルギスの夜」といい、ゲーテの『ファウスト』で取り上げられて、世界的に知られるようになった。

 20世紀になって、ハルツの町や村が、この夜を楽しい春迎えの行事として祝うようになり、今では40を越える市町村がそれぞれ独自のイベントを催している。観光客も魔女や悪魔に扮してやってくる。見事に変身した人にカメラを向けると嬉しそうにポーズをとってくれる。家族連れもいるし、プレーヤー持参で踊りまくるグループもいる。

 

 この祭りを10年ほど見てきた私は、見るだけでは物足りなくなり、仲間を募り、魔女になってハルツの森で踊ることにした。今年は2回目である。どんな魔女のメイクにするか、衣装は何がいいか、事前の打ち合わせを日本で済ませ、ついでに踊りの練習までして、いざ、ハルツへと向かう。

 今年の仲間は、日本から10名、現地から7名の総勢17名。メイクは地元に住む私の知人が引き受けてくれた。素晴らしい腕前で、次々と魔女や悪魔が出来上がる。市庁舎前で記念撮影をしてから、箒ならぬバスで会場に乗り込む。会場は『ファウスト』に登場する由緒ある村シールケ。人口約800人の小さな村だが、この日ばかりは何万人という観光客が訪れる。

 

 入場券を買って会場に入ると、ソーセージとビール、キノコ炒めのいい匂いが漂う。いくつも設営された舞台から、ロックバンドの演奏が鳴り響き、早くも若者たちが踊っている。昨年まで恒例だった中世を舞台にした芝居が今年は中止になっていた。運営費の関係かもしれないが、魔女の宴にふさわしい雰囲気をかもしだしていただけに、とても残念だった。

 それはさておき、踊るにふさわしい場所を見つけなければならない。会場に響きわたるロックの音を避けて、踊り用に持っていったCDがよく聞こえる場所がいい。そこで、私たちが選んだ場所は広場の一角に積み上げられた薪の山のまわりだった。薪に火が点けられると、それを囲んで大勢の人々が座る。一番目立つところである。その彼らの前で踊るのは勇気がいる。でも、私たちはひるまなかった。日本民謡をアレンジしたCDをかけて何度も何度も踊った。まわりにいた人々から拍手も頂戴した。地元のラジオ局からインタヴューまで受けた。

 

 こうして私たちの「ヴァルプルギスの夜」は終わったが、参加してくれた人たちは存分に楽しんでくれただろうか。先日はそのときの仲間たちと長野の温泉で魔女の同級会を開いた。絵本作家のSさんは魔女の祭りをテーマにした絵本をさっそく完成させた。たった一夜の体験だが、いい思い出になってくれたら、声かけしたものとしてこの上なく嬉しい。

 ただ、一つ残念なことがあった。伝統を重んじるはずのシールケがあまりに現代風になり、観光化されてしまった。来年はどこかもっと小さな村の祭りに参加してみたいと思い、地図をみながら策を練っている。さて、来年の4月30日はどこにいるだろう。

 

    『ルネサンス』より

 

 ヴァルプルギスを終えて、翌5月1日はフランクフルトまで南下しなければならない。かなりきついが、専用バスのよさでお勧めしたい町に寄り道し、好きなところで一休みできる。

 まず、ゴスラーに出て、地元在住の由紀子さんに無理をいって、短時間のガイドをお願いする。その後、ハン・ミュンデンでお茶して、「赤頭巾ちゃん」の村アルスフェルトにも寄り、メルヘン街道を通って、20時にホテル着。

 荷物を預けて、そのままザクセンハオゼンのレストランへ。フランクフルター・グリューネゾーセ付きソーセージやジャガイモでツアー最後の晩餐。ザクセンハオゼンといえば、リンゴ酒。これは人によって好きかどうか分かれそう。私は好きだが、今回はあまり気に入られなかったようだ。旅行中よく飲んだヴァイツェンビーアが一番の人気。

 翌日はフランクフルトの町を案内。この夜、日本へ帰る仲間3人を空港まで見送る。残りの仲間3人は個人旅行に切り替える。私も延泊し、残り少ない滞在だが、行ってみたいところへ行く。その報告はこちらで。

 


2006年の魔女の夜

 

 私がこの夜をハルツで過ごすこと、すでに10年になろうとしています。日本に帰ってきて、いつも思うことは、いつか、仲間を募り、魔女や悪魔になって一緒に踊り、ドイツの春迎えを味わってみたいということでした。この願いが今年やっと果たせて、とても喜んでいます。今年はこれまでと一味違う報告ができます。

 

 現代のヴァルプルギスの夜は、伝説に伝えられているような神秘的なものではありません。ともすれば「なんだ、こんなものかと」とがっかりされる方もいるようです。しかし、祭りは参加してこそ楽しみも大きいもの。できるだけたくさんの方たちと楽しみたいと思いました。

 

 そこで、こんな企画を立てました。

  4月30日 ヴェアニゲローデ市庁舎前集合。ヘクセンタンツプラッツとシールケの2会場で踊り、シールケで解散。16名の方から参加申し出があり、ザーゲは感激しました。

 ところが、2箇所まわるとなると移動のためのバスを準備しなければなりません。こんなに大勢の方が参加してくれるとは思っていなかったので、最初は現地の友人2人の車に乗せてもらおうと思っていましたが、とても無理です。8人乗りのレンタカー2台、普通車1台で移動することになりました。現地の友人たちが運転をしてくれることになり、総勢21名になりました。

 

 参加者には思いっきりメイクをしてもらうことにしました。衣装もそろえてもらいました。参加者の一人ホップラ都陽子さんがホテルで朝から素晴らしいメイクをしてくれました。また、会場で踊るための音楽と振り付けはやはり参加者の一人うたさんが担当してくれました。楽しい夜を過ごすことができたのは、このような大勢の方の協力があってのことでした。

 

 そのときの様子をアップしようと思ったのですが、困ったことに、写真を撮る暇もなく、腕も悪く、載せるに耐えるほどの写真がありませんでした。そこで、報告記をアップされた方のサイトを紹介させていただきます。

 ・うたさん

  

 来年なら参加できるとか、また企画してほしいという嬉しい声を聞きました。その答えは参加者次第です。メイクに力を貸してくれる方、音楽と振り付けを作ってくれて、かつ場を盛り上げてくれる方、思いっきり仮装してくれる方、また、踊りに積極的に参加してくれる方、こういう方たちの参加がなければ成り立ちません。要は「遊び心」があるかどうかです。

 「引き受けた」と名乗りを上げてくださる方がいらしたら、お知らせください。

 


2005年の魔女の夜

 

 昨年のヴァルプルギスの夜はそれまでに比べて賑やかになったと「2004年の魔女」に書いたが、今年はよりいっそう賑やかになった。魔女や悪魔の恰好をした人が増えた。町の人々も、春迎えのイベントとしてこの夜を大いに楽しんでいる。魔女や悪魔のお面をつけた参加者は春を迎える喜びにあふれている。

 もう5年もすれば、この夜はハルツの一大イベントとなって、世界中から観光客がもっともっと集まるようになるかもしれない。ドイツファンの人も魔女ファンの人も一度は見に行くのもいいかもしれない。

 しかし、あまりにも観光化されてしまい、もっともっと素朴だった頃のヴァルプルギスを見ているザーゲにはなにか淋しいものがある。魔女や悪魔のお面の下には今や健全な市民の顔ばかり。

 本来ならば、魔女というレッテルを貼られて冤罪に泣いた多くの民衆の顔がその裏には隠されていたはず、「そんな魔女はいったいどこへ」という問いはもはやアナクロでしかないのだろうか。

 

 多くの町で昼間は子どものための行事が行われる。ここハルバーシュタットの子ども祭りは前夜祭の4月29日。

 

 ここ数年、ヴェアニゲローデでもこの夜を祝うイベントが行われるようになった。夜は近くのニコライ広場で若者が中心になった歌と踊りと、そしてビールの喧騒が続く。

 

 広い会場に舞台が4つ設営され、芝居や音楽が上演される。一角には薪の山が作られ9時頃になると、火が点けられる。その火を囲み座る。ときどきテレビか来年のパンフレット用か、大きなカメラの前で、魔女たちが踊ってみせる。けっこう絵になる魔女が多い。

 

 奥に見えるのがドイツ1小さいという木造の教会。中には入れない。エーレントはいまでも魔女人形を焼く薪の山が設営される数少ない会場である。人形とはいえ、なぜ魔女を焼くのかという批判は多い。一時期、まるで雪だるまのような人形が吊るされていたことがあったように記憶している。雪だるまなら冬を追い払う儀式のアイテムとして頷けないでもない。

 今年の魔女人形は果たして雪だるまか魔女か。判断してみてください。 

 

 赤色は魔女と悪魔の妖しい契約のシンボルなのだろう。ゴスラーは昨年は1週間、今年は4日間、イベントが行われた。この写真は5月1日のもの。5日目には、水はもう白かった。

 

・・・・・・

 

 さて、来年はどうするか、ザーゲの胸中はなかなか複雑である。ドイツ人のように春を待ちわびて、一緒に楽しむことができるだろうか。いつまでも「魔女の正体」にこだわり続けるのだろうか。

ハルツで知り合った多くの友人、知人は、サヨナラのとき、「また来年も待っていますね」という嬉しい言葉で送り出してくれた。やはり行くことになるのかなあ。

 


2004年の魔女の夜

 

 昨年の魔女の夜は低調だったように思い、それでも「また行くだろう」と書きました。その通り、2004年もまた魔女に会いにハルツに行ってきました。

 

 今年はヴァルプルギスの夜よりもまずは春を祝うマイバオム(5月柱)を立てる行事を見ることにしました。

 

 村や町の広場に木を立てて、その上部に御幣のようなものを飾った草の環を吊るし、その周りで踊って、春を祝う昔からの行事です。マイバオムは古代の樹木信仰の名残ですが、そんな行事がキリスト教の国に残っています。

 

 ミュンヘンのヴィクトアーリエン広場では一年中見られます。ここではポールにさまざまな職業人や聖人などの人形が飾られています。

 すでに立っているマイバオムはイルゼンブルクやシールケで見ています。とても素朴です。ミュンヘンのような飾り人形などありません。その素朴なマイバオムを立てるところをぜひ見てみたいと思ったのです。

 

 何年か前の5月1日にこの行事が見たくて、知人に車でベネッケンシュタインという小さな村に連れていってもらいました。この村でマイバオムを立てると聞いていたからです。しかし、何時からどこでという情報がまったくなかったので、行ったものの何も見ることができずに帰ってきました。5月1日は祝日ですから、この小さな村では誰にも会えず、尋ねることもできず、すごすご引揚げたのです。

 

 今年はちゃんとハルツの行事表で調べました。4月30日夕方6時から行われるということがわかりました。ヴェアニゲローデからバスで1時間ほどで村の中心に着きます。

 すでに村人が集まっていました。五十人もいたでしょうか。やがて村の消防士が8人ほどリヤカーに長い木を乗せたものを運んできました。広場の中央でその木をヨイショ(?)という掛け声とともに立て始めました。ものの数分とかからず木は直立し、まわりから拍手が鳴ります。

 広場に面したところに小さな楽隊がいて、その前に魔女の格好をした少女が数人、歌を歌いながら踊りはじめました。それも10分ほどで終わりました。全部で20分ほどの行事でした。

 

 木は白樺も多いのですが、ここではマツ科のドイツトウヒを使っていました。周りの人にいつまで立てているのか尋ねたところ、輪が枯れたら、それは数週間だそうですが、また消防署の人が来て、倒して片付けるそうです。そのときはなにも行事はしないそうです。

 

 観光客が訪れることなどまるで考えていない村人だけの行事でした。終われば、皆、サッと引揚げていきます.村で唯一のレストランもあっという間に閉店です。

 ゆっくり行事を楽しみながら、夕食でもして帰ろうと思っていましたが、とんでもない、しかも帰りのバスは3時間後、しかも途中までしか行きません。広場の近くに酒問屋があり、そこで尋ねたところ、この村にはタクシーは1台もないそうです。かなり遠くから呼ぶしかないということでした。

 

 ウーン、でも大丈夫でした。たまたまそこに仕事できていた人がヴェアニゲローデまで車で送ってくれました。親切な人にいつも助けられます。

 

 予定よりも早くにヴェアニゲローデに戻ったので、やはりシールケのヴァルプルギスに行くことにしました。今年は魔女の格好をしている人が多かったように思いました。

 ハンブルクからハルツへ入る電車には、すでにホウキを手にして、魔女の格好をした女性たちが何人も陽気に騒いでいました。

 

 しばらくシールケにいましたが、あまりかわりばえもしなくて、12時までいるのも気が進まず、ヴェアニゲローデに戻りました。ここの大通りの一角は数年前から大工事をしていたのですが、それが今年終わり、ニコライ広場という広場になり、中央の噴水には魔女のブロンズがありました。ここで人々は飲めや歌えやの大騒ぎを夜中までしていました。

 

 ヴァルプルギスの夜はだんだん賑やかになり、参加する町も増えてきました。今年はゴスラーでは数日通しで祝っていました。催しも趣向をこらしたようです。5月2日にゴスラーに行ったときも、まだ広場の舞台では子どもの踊り大会が行われていました。すっかり春迎えの行事になっていました。

 

 魔女はそういう意味ではもはやアクセサリーのような存在になってしまったようです。そういえば、今年は燃え盛る薪の山を見ませんでした。もちろん魔女人形を投げて焼くということもありませんでした。

 それはいいことでしょう。魔女研究家のキャロラインさん、何年か前にお会いしたとき、魔女人形を焼くのは絶対反対と言っていましたが、今年の新聞に彼女のことが紹介されていました。彼女の夢が実現したのです。

 

 さて、2005年のヴァルプルギスにザーゲは再びやってくるでしょうか。ハルツで知り合いになった人々たちとの縁を大切にしたいなあと思っているので、きっとまた来てしまうかもしれません。ハルツははやり捨てがたい魅力にあふれた地なのです。

 


2003年の魔女の夜

 

 今年の魔女の夜は残念ながら低調でした。

 今年はどこの町の祭りを見ようかと、知人が送ってくれたパンフレットであれこれ調べていたのですが、ある都合により、ターレにある魔女の踊り場とシールケの2箇所をハシゴすることになりました。

 最初の会場へ向かう道、次の会場へ移動した道、ホテルに帰る夜中の道、いずれも例年では考えられないくらいスムーズでした。渋滞はまったくありませんでした。

 

 沿道でも、魔女の人形を飾る家が少ないように思えました。会場に入るときは、無粋な荷物チェックがありました。ガラス瓶の飲み物は没収されていました。係りの人はテロ対策だと言っていましたが、たとえば火炎瓶が持ち込まれる疑いでもあったのでしょうか。ちょっとシラケてしまいます。

 

 前夜から雨が降っていたこともありますし、テロや戦争の影響もあったかもしれませんが、低調の原因は、どうもそれだけではなさそう。

 この夜は本来なら冬の魔を払う行事でしたが、最近は、春を迎える楽しい踊りの夕べといった色合いが強くなってきたようです。

 春を迎える踊りなら、ドイツ各地で行われています。この日、わざわざハルツにやってくるのは、やはり魔女の夜だからのはずです。「魔女のいないハルツなんて」ではね。

 

 もちろん、ターレにあるインフォメーションの係員はこってりした魔女に扮装し、忙しそうに客の相手をしていました。でも、あふれるほどの客はいませんでした。

 

 シールケの野外舞台では、中世芝居を得意とするシュピールヴート劇団による興行も例年通り行われましたが、現代音楽の演奏のほうが多かったようです。 

 

 いずれの会場でも夜になると準備していた薪の山に火をつけますが、シールケ近くのエーレントでは毎年、その薪の山に魔女人形を吊るして、焼きます。まわりに陣取っている人々も持ってきた魔女人形を投げ入れます。

 それはいかにも魔女の火刑というおぞましい歴史を思い出せるので、反対だという声が出るようになりました。

 そこで、数年前から魔女人形ではなく、冬のシンボルとして雪だるまに近い人形に変わりました。

 

 今年もそのそばを通りましたが、薪の山には魔女人形も雪だるま人形もありませんでした。

 魔女はもうそれほど必要ではないのかもしれません。ひょっとして、魔女人形も魔女差別としてやがて姿を消していくのかもしれません。

 

 日本人は、この夜を迎えるまでに、節分やお花見など日本式で春の行事をすでに済ませています。

だから、純粋に魔女の祭りを見にやってきます。春を迎える喜びの踊りよりも、追い払われる運命の魔女たちを見たいと思ってやってきます。

 この差は案外大きいのです。今年、ハルツを訪れた日本人はちょっとがっかりしたかもしれません。

 

 ハルツ地方は、自然の美しさを満喫する場、保養の場、冬はスキー場としてドイツ人に人気があります。

 特に、ヴァルプルギスの夜は観光客を呼べる一大イベントですから、この地方にとっては欠かせない行事です。今年のように低調だと心配になります。

 

 数年前の新聞によると、本物の魔女は、このように観光化してしまった会場で行われるこの夜を批判し、ハルツの森のどこかに密かに集まって、本当のヴァルプルギスの夜をやるのだそうです。

 だから、ザーゲは、そんな本物の魔女と出会えるチャンスを探して、来年もやっぱりハルツを訪れることになるだろうなと思っています。

 

 とはいえ、それでも楽しめなくはなかった2003年の魔女の夜でした。


2002年の魔女の夜

 

 ザーゲは今年の春、魔女の夜とアスパラ料理を求めて、ドイツへ行ってきました。

 アスパラガスと魔女?両方とも春に重要な役目をします。ドイツは白アスパラが主です。バターかクリームのソースをかけて食べます。

 

 アスパラだけで1品になりますが、ここで付けあわせになっているのは、ドイツの代表的なカツ、シュニッツェルです。春になると、市場や町中の出店などで売られます。ドイツに春がきたと思わせる風景です。生のアスパラは、普通500グラムで500円前後です。

 

 アスパラの出まわる春は、魔女にとっては恨めしい時期です。つまりドイツの春の始まり5月1日にはドイツの魔女は姿を消さなければならないからです。

 

 4月30日の夜、魔女はドイツ中部にあるハルツ山地の最高峰ブロッケン山に集まって、ドンチャン騒ぎをしますが、夜明けを告げる鶏の声とともに姿を消します。この夜を「ヴァルプルギスの夜」といいます。

 

 ハルツ山地では多くの町で、この夜、現代のヴァルプルギスを祝っています。参加する町が年々増えてきました。毎年、趣向も変わり、魔女の数も増えたり、減ったりですが、魔女の夜というよりは春を迎える喜びの夜という側面が強くなっています。