マイレージが国内あるいは韓国に行けるポイントになり、その有効期限が年末だったので、どうしようかと思案していました。
たまたま、知人の娘さんが韓国人と結婚することになり、ソウルで式を挙げるということを知りました。ならば、少しでも日本からの参加者が多いほうがいいのではないかと勝手に決めて韓国へ行くことにしました。
それに、韓国式の結婚って、どんなだろうという興味もありました。もちろんいろいろな形があるのでしょうが、今回の結婚式はこんなでした。
結婚式
結婚式の行われる会館のワンフロアに式場が3つほどあり、ドアはありません。誰でも外から見ることができます。
式場の奥に壇上があり、そこに仲人(男性一人)が立っています。最初に、新郎新婦の母親が紹介され、壇上の前に出てきて、手をつなぎ、参列者にお辞儀をします。
バージンロードを新婦と父親が手をつないで、歩いてきます。前に立って待っていた新郎が途中まで迎えに行き、そこから新郎新婦ふたりで仲人の前に立ちます。
仲人が二人に結婚の意志を確認します。それから、仲人が簡単に二人の紹介と祝辞を述べます。
そのあいだ、新郎新婦は立って聞いています。指輪を交換し、お互いの両親のところへ行って、お辞儀をし、それで終わり。
しばらくして二人が戻ってきて、記念撮影です。それぞれお互いの親戚や友人と一緒に写真におさまり、特に新婦の撮影はいろいろなポーズで念が入いっていました。
聞けば、結婚式の前に、ウエディング姿で市内の観光名所をバックに何枚も写真を撮っているとのことでした。式は撮影も含めて30分で終わりました。
撮影が終わると、食堂へ行きます。そこにはすでに食事が準備されています。誰の挨拶があるわけでもなく、勝手に食事をし、終わったら帰ります。途中でチマチョゴリと、男性の場合はなんというのでしょうか、民族衣装を着た新郎新婦が姿をみせます。でも、そこで友人や親戚の祝辞があるわけでもなく、そのままお開きです。
食堂も個室になっているわけではないので、誰でも自由に入れます。見知らぬ人がやってきて、食事をすることも可能ですし、実際この場にもそういう人も何人かいたとのことです。
食べるものに不自由な人たちに食事を振舞い、祝福してもらうことは、幸せな結婚の門出にふさわしいことなのだそうです。ちょっといい話でした。そして、そういう習慣ができねばならなかった韓国の(かつての)社会的背景を考えると、ちょっと悲しい話でもありました。
非武装地帯
韓国といえば、やはり北朝鮮との関係を無視するわけにはいかないでしょう。ソウルへ行くなら、ぜひとも板門店に行ってみたいと思ったのですが、そこへはツアーでなければ行けず、土、日曜日は休みということでした。代わりに、第3トンネル・非武装地帯ツアーというのがあります。
北朝鮮が韓国に侵入しようと企て、非武装地帯の地下にトンネルを掘っていたそうです。偶然に発見され、調査したところ、いくつも見つかったとか。三番目に見つかったトンネルをトロッコに乗って、見学します。
そのあと、北朝鮮が手に取るように見える展望台や、現在建設を進めている北と南を走る鉄道工事の現場と、すでにできている南のドラサン駅などを見学し、約7時間のコースです。代金は昼食付きで55000ウォンでした。
今回のツアーで、「自由の橋」も訪れました。この北と南をつなぐ橋は今は鉄条網でさえぎられて、そこには「平和を」と書かれたたくさんの紙がくくりつけられていました。
ドイツが東西に分割されていたころ、ザーゲはベルリンの壁を東西それぞれから見つめた経験があります。西から東へ入る検問所を緊張して通りぬけたことがあります。
東ドイツのいくつかの都市を訪れて、いろいろなことを見、考えました。統一なった翌年、ベルリンの壁が消えたブランデンブルク門を自由に通りぬけたりもしました。
かつて魔女は宗教と政治という2大権力に翻弄されました。新しい魔女は宗教から自由でありたいし、ありえるとザーゲは思っていますが、無人島で一人暮らすならともかく、現代の社会で生きていくなら、嫌でも政治から自由になりえないわけで、そのことが重く心にのしかかります。
韓国にはシャーマンがたくさんいると聞いています。今回は彼らに触れるチャンスはありませんでしたが、この国の伝統的な木彫りの魔よけを買ってきました。
韓国料理
もちろん食べてきました。特に、韓定食という日本料理でいうと懐石にあたる料理はぜひ食べてみたかったので、トライしました。
前菜、スープ、プルコギ、生野菜、チゲなど、全部で20種類の料理がテーブルに並びます。ザーゲのお腹は膨らみ、今もそのままです。ダイエットハーブを必死で飲むことにします。
11月1日に鳴門へ行き、2泊してきました。四国は初めてです。大阪で用事を済ませ、難波から高速バスに乗りました。明石大橋を渡り、淡路島を縦断、大鳴門橋を渡って2時間半で到着。遅い便だったので、すぐに暗くなってしまい、残念ながら外の景色は見えませんでした。
たった2日間、しかも3日は大雨でしたが、それなりに鳴門を堪能してきました。どんなところをまわってきたか、簡単ですが、お伝えします。
鳴門の渦潮
渦潮は大鳴門橋の上から覗くか、船に乗ってみるかのどちらかだそうです。どちらも怖そうなので、予定には入れてなかったのですが、せっかく鳴門に来て、渦潮みないではもったいないと思い直しました。
ホテルの人に聞いたら、橋は怖いかもしれないと言うのです。でも、船なら絶対怖くないと強調するものですから、その気になりました。
渦潮は引き潮や満ち潮の時間を見計らってでないと見られません。この日は中潮だったので、それほど大きな渦ではなかったのですが、ちゃんと見られました。怖くなかったかって?
甲板の手すりにしっかり掴まっていましたから大丈夫でした。でも、腰がひけていたから、写真は下手です。下の写真をクリックして見てください。
大塚国際美術館
鳴門の突端は鳴門公園になっていて、渦潮観光船の船着場や展望台、大鳴門橋架橋記念館(これは橋好きの人には面白いかもしれません)などがあります。大塚国際美術館もこの公園内にあります。
大塚製薬創立75周年記念事業といて作れらたものです。延床面積29,412㎡という大変広い美術館です。世界の名画1000点以上をセラミックで焼き上げ、展示しています。すべて原寸大で、色合いも本物そっくりです。
数年前、ここを訪れた友人から絶対お勧めと言われていたのですが、それなりにヨーロッパで実物を見ていたので、本物ならともかく、どうかなと気乗りしなかったのですが、鳴門に行くなら、まあ見てみるかというくらいの気持ちでした。
ところが、なるほど友人が薦めるだけのことはありました。ゆうに5時間でも足りませんでした。ボランテイアの解説者が1時間づつ2回にわけて懇切丁寧に説明してくれます。なかなか勉強になりました。ザーゲも鳴門へ行かれる人にお勧めです。
ドイツ館
鳴門は北ドイツのリューネブルクと姉妹都市です。リューネブルクは有名な岩塩の産地です。ここからバルト海に近いリューベックまでの道は塩の道として、かつて大いに栄えました。鳴門も塩の町ですから、その縁で姉妹都市になったのでしょう。
何年か前、リューネブルクの知り合いが親善訪問でここを訪れ、そのとき、私にもぜひ来いと言われたのですが、行けませんでした。いつか必ず行くからといっていたので、やっと約束を果たしました。
ドイツ館は鳴門からバスで30分ほどの板東というところにあります。20世紀初頭、ここに板東俘虜収容所がありました。第一次大戦のとき、青島(チンタオ)で日本軍によって捕虜となったドイツ兵が、約千人、2年半ほどここに収容されていたのです。その跡地(実際の場所とはちょっと違いますが)に1972年、記念館が建てられました。それがドイツ館です。
館はドイツ特有の木組みの家として建てられましたが、傷みがひどく、1993年新しく建てなおされました。姉妹都市リューネブルクの市庁舎をイメージしたといことで、ちょっと似ていました。
ドイツ兵と板東の人々のあいだにいつしか交流が生まれ、コンサートや芝居などが行われました。1918年、彼らはここで初めてベートーヴェンの「第九」を演奏しました。鳴門は日本における「第九」の発祥地です。
今は大晦日の定番になっていますが、鳴門では初めてコンサートが行われた6月1日を記念して、この日にコンサートを開いています。
館内には、ドイツ兵による収容所新聞やコンサート、芝居のプログラムなどが展示されています。故郷を離れた彼らがなにを演奏し、なにを演じたかというと、やはりベートーヴェンとゲーテなんですね。日本人はなにを選ぶのかしらといろいろ考えさせられました。
また、ドイツ兵と板東の人々の間で、さまざまな技術の交換も行われ、ドイツのパン焼きの技術を教えてもらったパン屋もできました。その弟子の店はいまも鳴門にあります。ドイツパンを一個買ってきました。
板東といえば、西国八十八か所霊場めぐり。その札所1番霊山寺があります。ドイツ館から歩いて10分もかかりません。観音信仰はマリア信仰と似ていて、ザーゲはちょっと興味をもっています。大雨にもかかわらずお遍路さんの姿が何人も見られました。
魔女街道ツアー(8月22日~30日)に参加された方には、北ドイツの魅力をじっくり味わっていただけたと思います。ザーゲも一緒に楽しみました。これほど楽しい集団旅行ができるのかと嬉しくてなりませんでした。
ツアーの皆さんとはフランクフルト空港でお別れしました。その後、9月13日に帰国するまで、いろいろな町を歩いてきました。いくつかご報告したいと思います。
料理編
1)アレクサンダー・リースケ家の中華料理
リースケさんは、ゴスラー近く、かつて領主の館だったという素敵なお家にお住まいです。チェコ人の奥様とまだ幼い息子さん、お嬢さんの4人暮らしです。
ちょうど奥様のご両親もマリーエンバートからいらしていて、賑やかな夕食になりました。奥様手作りの中華料理をいただきました。
鳥肉、ネギ、キクラゲを醤油と砂糖で甘辛く炒めたものをライスに乗せていただきました。カリフォルニア米でしたが、久しぶりのライス、ザーゲはしっかりお代わりしました。
テーブルにはコチジャンもありました。中華料理の材料はほとんどゴスラーで買うことができるそうです。
リースケさんの家族は皆さん箸を上手に使っていましたが、ご両親はフォークでした。
2)リュ-ネブルガーハイデの鱒料理
ハイデ(ヒース)の原野を馬車で観光しました。8月末なら赤紫の絨毯みたいなハイデの原野が見られるのですが、今年は異常な暑さと渇水で、例年のような美しいハイデではなかったのが残念でした。
でも、原野のレストランで食べた昼食の鱒料理は今回の旅行で3本指に入る美味しさでした。
3)ベルリンのマウルタッシェン
マウルタッシェンは西洋餃子といえばいいかしら、南ドイツの名産で、昨年マウルブロンで食べたものはとても美味しく忘れられないドイツ料理のひとつになりました。
今回ベルリンのレストランでメニューに載っていたので、注文してみました。美味ではありましたが、軍配はやはりマウルブロンかな。
4)フランクフルター・グリュ-ネ・ゾーセ
キリスト教暦の聖木曜日(復活祭の前の木曜日)に緑の野菜を食べる習慣がドイツにはあります。9種類の薬草でスープやソースを作ります。
夏であっても、フランクフルトの市場には材料の薬草が束になって山のように積まれていました。
パセリ、*ピンピネレ、クレソン、アサツキ、チャービルなど香りの強い薬草を主としたソースなので、肉料理に合います。口の中に薬草の香りが広がり、ハーブの好きな人にはこたえられないソースです。
*これは前にダケゼリと書きました。それについて問い合わせと丁寧なアドバイスをいただきました。
その結果、ダケゼリはふさわしくないように思われましたが、かといって和名を確定することはできませんでした。それで、これらの薬草を包んでいた紙袋に書いてある通りの原語に訂正しました。
文学編
ノヴァーリス
ドイツ初期ロマン派の詩人ノヴァーリス(本名Friedrich von Hardenberg 1772-1801)は小説『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』、邦訳は『青い花』というロマンチックなタイトルで知られています。主人公は夢で見た青い花を探しに旅にでます。・・・「青い鳥」ではありません。
ノヴァーリスは22歳のときにゾフィーという13歳の少女と婚約しますが、彼女は2年後に病死してしまいます。彼の文学はこの悲劇的な体験なしには生まれませんでした。そして、彼もまた若干29歳でこの世を去ります。
彼がゾフィーに贈った婚約指輪は表に彼女の肖像画が入っていて、裏には、直訳すれば、「ゾフィーは僕の守護神であれ」、ザーゲの翻案では「ゾフィー命」と刻まれています。どんな指輪か見てみたいでしょう?
1)ノヴァーリスの生家
南ハルツのオーバーヴィーダーシュテットという小さな町にあります。いまは 博物館になっていて、ザーゲが訪れたときは、ノヴァーリスの肖像画展が開かれていました。
ノヴァーリスの肖像画はたった一つしか残されていません。その肖像画をもとにいろいろな画家が自分のイメージするノヴァーリスを描いています。
ここは世界ノヴァーリス協会の本拠地でもあり、会議のために多くの学者たちがやってくるそうです。
数日前にここで子どもたちのための童話祭りが行われたそうで、そのとき参加者に配ったという小さな、小さな紙袋を案内の女性からいただきました。そこには「青い花」と書かれていました。種袋だったのです。いったいどんな花の種なのかしら。教えてくれなかったのです。咲いてからのお楽しみだそうです。
ここでノヴァーリスの肖像画が見られます。
2)ノヴァーリスの墓
ノヴァーリスは3歳のときにチューリンゲン州にあるヴァイセンフェルスに移ります。ここの博物館にも生家と同じように肖像画や本などが展示されています。博物館の裏庭にノヴァーリスのパビリオンがあり、すこし歩いたところにお墓があります。
3)婚約指輪
坂の上にあるヴァイセンフェルス城の博物館にあります。ガラスケースに入っています。指輪の裏側は残念ながら見えませんでした。ゾフイーは竹久夢路の描く美少女に本当によく似ています。その横にはノヴァ-リスの肖像画の原画が飾られています。
部屋が暗くて、写真はうまく撮れませんでした。でも、うっすらと見えるでしょう?
ケストナー
ナチスに追われながらも、決して亡命しなかったケストナーは、ドレースデンで生まれ、この町をこよなく愛していました。その彼の博物館が、2000年2月、ドレースデンにオープンしました。
ケストナー博物館(Erich Kaestner Museum)
博物館には、彼を偲ぶ展示品は数少なく、数枚の写真、彼が着ていた上着、タイプライターなどしかありません。小さな博物館ですが、しかし、その目的は大きく、ケストナーを研究する人のための博物館として、これから、あらゆる資料を集め、マイクロソフトで閲覧できるようにするそうです。
まだまだこれからのようですが、色別の箱を使った索引コーナーはかなり充実していました。室内には、各国の翻訳本が揃っていて、自由に読むことができるコーナーもあり、親子連れが目立ちました。
博物館はノイ・シュタットのアントン通り、アルベルト広場の一角にあります。少年時代のケストナーでしょうか、塀の上には、賑やかな通りを眺めている少年(銅像)が座っています。
そばのケーニヒシュトラーセをかなり歩くと、通り沿いに、彼が生まれた家や引っ越した家が残っています。
ゲーテ
ゲーテの生まれた家(フランクフルト)と亡くなった家(ワイマール)を久しぶりに訪れました。文学編としては、この世界的に有名なゲーテに触れないわけにはいかないのでしょうが、あまりに観光化されていて、ガイドブックにもしっかり載っているので、ここでは省略しました。
魔女人形探し編
魔女の故郷ハルツは魔女人形のメッカです。どの町に行ってもさまざまな魔女グッズがあって、目を奪われ、ついつい買い込んでしまい、ザーゲの家は魔女だらけになりそうです。
そこで、今回はちょっと変わった魔女人形を探してみようと思い、マイセンとザイフェンを候補に選びました。
1)マイセン
陶器で有名なマイセンの陶器博物館に行ってみました。ドレスデンから日帰りです。
マイセンの陶器は、18世紀初頭から作られるようになり、最初のころは、中国の白磁や柿右衛門の磁器に影響をうけ、模倣したものが作られていました。 やがて、しだいにヨーロッパ風のデザインや形に変わり、陶器といえばマイセンというほど世に知られるようになりました。マイセンの器や人形は、ドイツでも大変高価です。
マイセンの町にある陶器工場で製造過程を見学しました。行程はきちんと決められていますが、すべて丁寧な手作業の積み重ねで作られています。この工場には博物館が併設されていて、初期のものから現代ものまでため息のでるような作品が数多く展示されています。
ザーゲがマイセンを訪れた目的は、この博物館に陶器の魔女人形があるかどうか探すことでした。
現代作家による新しい絵柄のものがたくさんありました。アンデルセンの「人魚姫」やゲーテの「ファウスト」、シェイクスピアの「夏の夜の夢」をテーマにした人形群、ギリシャ神話に出てくる上半身は人間、下半身は山羊のパン(ローマ神話のファウヌス)と妖艶な乙女(?)像など、それなりに面白かったのですが、結局、魔女人形はありませんでした。
大空襲によって壊滅したドレスデンと違って、マイセンは昔ながらの姿を残す、美しい落ち着いた町でした。大聖堂もよかったですが、マルクト広場にあるフラウエン教会の木彫りの祭壇は一見の価値がありました。
2)ザイフェン
ザイフェンはドイツとチェコの国境近くエルツ山地にある小さな村です。ドレスデンから行くのが一番近いようです。昨年(2002年)の大洪水によってドレスデン一帯は大きな被害を受けました。
ザイフェンも鉄道が壊滅し、復旧のめどはたっていないということでした。 そのため、ドレスデンから代行バス→鉄道→鉄道→代行バスと乗り継いでザイフェンまで4時間以上かかりました。草ぼうぼうの駅前にポツンと立っている電話ボックスからホテルに電話して迎えにきてもらいました。1泊だけすることにしました。駅から村の中心までは約3キロです。
ザイフェンは木彫りのおもちゃの生産地として有名な村です。村はかつて銀鉱によって栄えていました。村に住む鉱夫や樵たちは寒い冬の手遊びに子どものために人形を作っていました。
18世紀に入り、鉱山が衰退してから、ザイフェンの木のおもちゃがこの村を支えていくようになりました。
今では煙吐き人形、クルミ割り人形、クリスマス用の人形や大きなツリー式飾り(ピラミッド)など多くの種類があり、世界中にザイフェン・ファンがいます。日本でも、ザイフェンの人形を扱っている店がたくさんあります。
さすがおもちゃの村だけあって、村中がおもちゃの店といってもいいくらい。製作過程を見せる大きな店、小さな、小さな店、通りには大小さまざまなクリミ割り人形や木彫りの人形が立っていたり、座っていたり。
クリスマスの時期が一番賑やかで、村を彩るイルミネーションがなんともきれいなんだそうです。村の教会に入ってみたら、木彫りの兵士と天使が飾ってありました。
おもちゃ博物館なら魔女人形もあるのではないかと期待して入ってみました。人形の姿形も時代によってずいぶん変わってきたのがよくわかります。マイセンでも同じでしたが、現代風の人形も作られています。
たくさん展示されている人形の中にあかずきんちゃんやおばあさん、オオカミ、猟師の人形はありましたが、残念ながら魔女人形はありませんでした。
ザイフェンのおもちゃもマイセンほどではありませんが、大きなものや手のこんだものは値がはります。ザーゲは魔女人形が手に入るなら、ちょっとした散財もやむをえないと決意してきたのですが、結局は魔女人形を手に入れることはできませんでした。
代わりに、「薬草を摘む女」という人形を見つけました。とても、とても小さな人形ですが、背にも腰にも薬草籠をつけ、手にも摘んだばかりでしょうか、薬草をもった、けなげな顔立ちの人形でした。写真で見てください。いかがでしょうか。ザーゲはすっかり気に入りました。お気に入り魔女人形の一つになりそうです。
ザイフェンは本当に小さな村ですが、ちょっとおすまし気味なところがあります。それに引きかえ、車窓から見えたエルツの森は自然そのまま、まったく観光化されていないように見えて、嬉しくなりました。
自然編
今回のドイツ自然めぐりは、もちろん魔女の故郷ブロッケン山、ハイデの花が真っ盛りのリュ-ネブルガーハイデ、そして、ドレスデン近郊のザクセンスイスです。
1)ブロッケン山
ザーゲは今回も晴れ女でした。これまでブロッケンに登って霧でまったく見えなかったのは1回だけでした。快晴の空のもと、SLに乗って山頂まで行ってきました。
写真は山頂にある魔女の祭壇。
2)リュ-ネブルガーハイデ
今年は昨年の大洪水とはまったく反対に異常渇水でした。植物も大きな被害を受けました。
いつもなら赤紫のハイデがひろがり、目を楽しませてくれるのですが、今年は色の鮮やかさにちょっと欠けていて、残念でした。でも、ザーゲの好きなネズの木は元気でした。
3)ザクセンスイス
エルベ川沿いに屹立する奇岩の名所、ラーテン岩劇場とバスタイ橋、ケーニヒシュタイン城砦の3箇所をまわってきました。ドレスデンから日帰りできます。高所恐怖症のザーゲですが、決死の思いで歩いてきました。
写真はバスタイ橋からみた奇岩群。
もっとたくさん報告したかったのですが、しばらく仕事に追われそうなので、とりあえず簡単ですが、アップ完了ということにします。
4月26日から5月6日までドイツをかけめぐってきました。今回はいろいろな目的がありました。それなりに収穫もあり、ザーゲはほぼ満足して帰ってきました。
ザーゲが訪れた魔女の夜ヴァルプルギスについては「2003年の魔女の夜」で報告しました。ここでは、今回の旅行で印象に残った場所やもの、新しい出会いなど、いくつか挙げてみようと思います。
『ブロッケンのちっちゃな魔女』の作者アレクサンダー・リースケさんと会ったこと
お話の舞台ハルツ山地の西にゴスラーという素晴らしく美しい町があります。ユネスコ文化遺産に指定されています。この町の近郊アストフェルトというところにリースケさんは、奥さんのヴェロニカさん、二人のお子さんと住んでいます。昔の領主館みたいな風格のある素晴らしいお家でした。
リースケさんは『ブロッケンのちっちゃな魔女』を出版したあと、1998年に『水の精』を書いています。その本にサインをしてプレゼントしてくれました。それが下の写真です。
来月には『ブロッケンのちっちゃな魔女』シリーズ2作目が出版されます。
夕食をご馳走になり、美味しいワインを何杯も傾けるうちに、私たちはduで話し合うようになりました。ドイツ語には英語のyouにあたる2人称が二つあり、親しい間柄の場合はこのduを使うのです。
リースケさんは現代音楽も作曲もしています。『ブロッケンのちっちゃな魔女』に登場する音楽家のモデルのようでした。3時間近くお邪魔して、ザーゲはすっかりリースケさんファンになって帰ってきました。
アルトエッティングの黒い聖母子像
ミュンヘン郊外のプラネッグという町に小さな小さなお堂があり、そこには黒い姿の聖母子像が祀ってあります。これはイタリアの巡礼地ロレートで売られているレプリカだそうです。
その後、ロマンチック街道の起点ヴュルツヴルクのケッペレ教会で、偶然、黒い聖母子像を見つけました。これもレプリカで、本物はフランス人によるものだが、ミュンヘン近郊のアルトエッティングという町にあるということでした。
ザーゲは黒い聖母子像と異教の女神像との関係に興味をもっているので、ぜひ本物を見てみたいと思い、このアルトエッティングに行ってみることにしました。
町の中央広場を取り囲むように、教会がいくつか建っていて、この広場の真中にザーゲの見たかった恩寵礼拝堂がありました。14世紀ころに建てられたものです。ちょうどミサが行われていたので、信者たちがお堂にあふれるほどでした。みな、マリアを称える賛美歌を歌っていました。
像が安置されている祭壇も、そのまわりも、いたるところ銀製品で飾られていて、まばゆいばかりです。像そのものには近づけないので、目をこらして見つめました。黒い聖母子像はミサのために白い豪華なドレスを着ていました。確かに黒い。ドレスが白なので、よけいに黒が際立って見えました。
礼拝堂の外壁には奉納画がびっしり飾られています。マリアさまが現れて病気が治った絵や、恐ろしい事故から奇跡的に助かった絵などに、マリアさまへの感謝の言葉が添えられています。
そして、出口には木の十字架がいくつも立てかけられているのですが、それをかついで、このお堂のまわりを賛美歌を歌いながら、何度も何度もめぐるのです。
近くには奇蹟の水の流れる井戸があって、信者たちはビンにその水を入れたり、その場で水を目にかけたりしていました。日本の巡礼地でもよく見られる光景です。観音霊場めぐりととても似ています。
広場の一角にある土産物屋では聖母子像やローソク、ロザリオ、水をいれるビンなどが売られています。これも京都の清水寺の参道に似た風景です。
これまで南ドイツの巡礼地をいくつか訪れましたが、ここが一番大きくて、にぎやかでした。
聖母マリアを信仰し、その巡礼地を訪れる信者たちの熱意を垣間見ることができました。
ザーゲの偏見ですが、黒い聖母マリアは白い聖母マリアよりも、確かに異教の雰囲気があります。それがまた実に魅力的でもありました。
木の枝と山猫に乗る女神
あるとき、魔女についての本を読んでいたら、「ホウキに乗る北欧神話の愛の女神フレイア」という説明で写真が載っていました。シュレースヴィヒ(北ドイツの町)の大聖堂に描かれた壁画だそうです。
私にはそれがどうしてもホウキには見えませんでした。丸い穂をつけた木の枝のように見えました。まわりの人にどう思うか尋ねたところ、「ホウキでしょう。丸い穂をつけた木の枝というのが、まさにホウキでしょうが」と言われてしまいました。
それでも、どうしても納得がいかない。そういうときは実物を見るに限るというのがザーゲの流儀。行ってみるしかありません。
あらかじめインフォメーションでこの壁画が実際あるのか、また、一般観光客が見られのかと尋ねたのですが、親切に町の地図や催しの案内などは送ってくれましたが、フレイアについては触れていませんでした。
ネットで大聖堂のサイトが見つかったのですが、壁画についてはなにも書かれていませんでした。まあ、なかったらなかったでいいか。それに、この町を訪れる目的はもうひとつあるのだから、とにかくでかけることにしました。
この町にあるゴットルフ城内の博物館で、ザーゲの好きな彫刻家エルンスト・バルラッハの作品が見られるのです。バルラッハの博物館はハンブルクの近郊にもありますが、そこで見られなかった「飛ぶ女」という作品がここにはあるのです。
シュレースヴィヒは、ハンブルクから電車で1時間半くらい、バルト海が内陸部まで入り込んでできた細長い川状の湾(シュライ川と呼んでいる)に沿ってできあがった町です。もう少し北上すれば、デンマークになります。シュライ川の南側にはヴァイキングも上陸したハイタブという場所があり、ヴァイキング博物館があります。いたるところ、デンマーク語が目につく町です。
ゴットルフ城はシュライ川の北側にあります。この城は中庭の別館も含めてすべて博物館になっています。郷土歴史館、近代絵画館、見るものは多く、日帰りでなく、ここで1泊することにしてよかったと思いました。念願だったエルンスト・バルラッハの「飛ぶ女」をみることができてザーゲは感無量でした。
さて、問題のフレイアの壁画がある大聖堂は、この城から歩いて30分ほどの川沿いにあります。町のどこからでも大聖堂の尖塔が見えるので、迷いません。遊歩道は川辺に沿って大聖堂まで続きます。春の花が咲き乱れ、葦が生い茂る川辺をのんびり歩く気分は最高です。
シュレースヴィヒ大聖堂は司教座教会だけあって立派です。多くの彫刻や絵画で飾られた中央祭壇は見事でした。中央祭壇に向かって左側の一角に大きな石棺が置いてあります。フレイアの壁画はその天井に描かれていました。
天井が高くて、はっきりとは見えませんでしたが、本でみた写真と同じ絵が描かれていました。聖堂内部は薄暗くて、残念ながらカメラではよく写りませんでした。
山猫に乗ったフレイアと、木の枝(あるいはホウキ)に乗ったフレイアと、2つの絵が天井の頂点をはさんでペアーで描かれていました。フーム、木の枝かホウキか、判断がつきかねます。
この日は日曜だったので、堂内にある販売所は閉まっていたし、教会関係者の姿もなく、尋ねることができませんでした。答はでないままになりました。
その後、ハンブルクに戻ってから、ハンブルク魔女研究所を訪れました。所員のココットさんと面会の約束をしていたので、さっそく彼女に尋ねました。 彼女の答えはやはり「ホウキではないかしら」でした。ウーン、私の勝手な思い込みだったのか、と思うものの、完全には納得しきれませんでした。
旅行から戻ってしばらくして、魔女の資料を整理していたところ、まだ読んでいなかった本が出てきました。ハルツの魔女についての本でした。そこにフレイアの写真が載っていて、こんな記述がありました。
「ほとんど裸に近い姿の女性は木に似たものに乗っている。また、もうひとつの絵の女性は縞のある大きな猫に乗っている。木も猫もヴォーダン(注・北欧神話の主神オーディンのドイツ版)と愛の女神フレイアのシンボルとして知られている・・・」
ヤッターと思いました。私だけの思い込みではなかった。ザーゲと同じ見方をしているドイツの資料が少なくとも、ひとつはあったのだ。
杖か、木か、はたまたホウキか。この「木に似た乗り物」、ザーゲの言い方では「丸い穂をつけた木の枝みたいなもの」の正体について、もっと詳しく調べてみようと意欲を燃やしています。
女神が魔女のルーツのひとつであることはいまではよく知られています。「だからと言って、この女神の乗り物を簡単にホウキと思い込んでいいのか!」とかなり強気になって息巻いている大人気ないザーゲです。
ウサギとハリネズミ
ウサギといえば、日本ではカメ。ところがドイツではこれがハリネズミなんだそうです。『グリム童話』に「ウサギとハリネズミ」という知恵比べの話があります。これがドイツではとても人気があって、ウサギならハリネズミというふうになるんだと聞きました。
この話の舞台はハンブルク近郊のブクステフーデという町で、そこには記念碑もあると知ったので、行ってみることにしました。ハンブルクから電車で小一時間もしません。ブクステフーデという変わった町の名前は犬のダックスフントに関係があるそうです。
バッハにも影響を与えたバロック音楽の作曲家として有名なブクステフーデは同じ北ドイツで活躍しましたが、この町とはなんの関係もありません。
町はドイツ特有の木組みの家が並ぶ美しく静かな町でした。駅前の通りを町の中心へむかって10分も歩いていくと、右手に小さな空き地があり、そこにウサギとハリネズミの噴水がありました。
ザーゲは、グリム童話に出てくる名前の町を訪れるのが好きです。そこになにか記念の碑でもあればそれで大満足です。この日は午前中が大雨で、どうなるかと思っていましたが、念願の噴水がみられて、ご機嫌でした。
ホワイトアスパラガス
春になると、ドイツではホワイトアスパラガスが市場にでまわり、人々はいろいろな料理法でこの春の味を楽しみます。
町中の出店にはアスパラガスが姿をあらわし、レストランでは「新鮮なアスパラガス、入荷!」といった張り紙がでます。日本なら、旬の筍を楽しむのに似ています。下の写真はミュンヘンの大通りに現れたアスパラを売る店です。
さて、しばらくドイツともお別れ。旅人のザーゲは、レストランで一人もくもくとアスパラ料理を食べて、日本へ帰ってきました。
アメリカ西海岸を旅行してきました。ハワイ以外のアメリカを知らないザーゲは、どんなアメリカが見られるか、とても興味がありました。
ロスアンジェルス
道路が広い。ヤシの樹が並ぶ街路は、写真で見て知っていたが、やはり新鮮だった。日本やドイツでは見られない草花が見られたのも興味深かった。
ゲッティ-センターは見所がいっぱいあって、お勧め。特に、春を迎える人々の花行列を描いた「春」(Lawrence Alma-Tadema 1894)は一見の価値がある。
センター内の庭園もよかった。庭師のおじさんがラベンダーの花を摘み取っていたので、少しわけてもらった。
ラベンダーは遠くからでも、すぐにわかる。香りが強烈だから。特に、夏のドイツでかぐラベンダーは格別。
それに比べると、ゲッティ-センターのはどうも香りが薄い。やはり土壌や気候が違うからだろうか。それでもさすがラベンダー、頂いたラベンダーは、今、ザーゲのバッグに入っているが、開けると、まだほのかに香りがただよう。
カウンティー美術館も訪れていいところ。ザーゲが目下関心をもっている聖母子像がいくつも見られてご機嫌。特に「Under the Moon」(15世紀)という月の女神の顔が聖母子の足元から覗いている像は興味深かった。タイトルの意味がよくわからないのだが。 もうひとつ特に面白かったのは、「黄金ヒワをもった聖母子像」である。聖母子像は山ほどあるが、聖母マリアに抱かれたイエスの手がなにをつかんでいるか見るのは面白い。実にいろいろなものを持っているのがわかる。
ここで見たものは、Goldfinch(黄金ヒワ)という鳥を手にしている。しかも鳥の口になにか餌のようなものを入れている。
この鳥とキリストの関係は、キリストが十字架を背負わされて、ゴルゴタの丘を登っていたとき、一羽のヒワが飛んできて、キリストの額から茨の刺を引き抜いた。
そのときキリストの額から血が1雫流れ、ヒワの羽根を染めたそうだ。ヒワの羽根についている赤い点はこうして出来たということだ。
以来、この鳥は受難のシンボルになり、幼子キリストのペットとして、聖母子像によく描かれている。
聖母子像を見るときは、幼子キリストがどんなものを手にしているか注意して見ると面白い。
ラスベガス
カジノにいりびたっていた。なかなか面白い。勝っているうちに、やめるのは難しい。で、結局、最後はなにも残らない。まあ、勝負にこだわったり、みみっちく考えると面白くない。
たくさんあるショーの中で、ジークフリートという名前にひかれて選んだのが、真っ白なトラやライオンがでるマジックショー「ジークフリート& ロイ」。入場料1万円だけあって、なかなか豪華な内容だった。
ラスベガスのメインストリートにはたくさんのホテルが並んでいる。どれも世界の都市を模して、そのシンボルをもった立派な建物である。ホテル・ルクソールはスフィンクス、ホテル・ニューヨーク・ニューヨークは摩天楼に自由の女神、ホテルパリスはエッフェル塔といった具合。ホテル内にはいずこも広い広いカジノ場がある。
砂漠にひろがる壮大な模倣の町である。悲しいかな、ホテルトーキョーやホテルベルリンはない。ザーゲはパリスに泊まる。エッフェル塔の下のカジノで宵と我を忘れたというわけ。
サンフランシスコ
といえば、チャイナタウン、夜霧、ゴールデンゲイトブリッジ、ケーブルカー、フィッシャーマンズワーフのシーフード、そしてアルカポネも入っていたという牢獄のある島アルカトラツ。
ザーゲはすべてを満喫した。帰り、空港までタクシーを頼んだら、ホテルに待機していたリムジンでどうぞと。運賃は普通のタクシーと同じだった。
リムジンって、なんだか芋虫みたいで、好きではないが、なるほど、中は広くて、リムジン初乗りはそれなりに面白かった。
戦争という亡霊がアメリカに出没しはじめた2003年2月、観光地はなんの関係もないように、観光客を楽しませてくれた。それでいいのですよね。