魔女の訳語

 

 「魔女は女ばかりではありません。ドイツの魔女裁判記録によれば魔女狩りの初期のころはむしろ男性が7割だったそうです。老若男女別なく魔女として狩られていったのです。

 ただ、魔女狩りも初期を過ぎると圧倒的に女性が犠牲になり、その期間が長く、また当時の画家たちが描いた魔女の絵がほとんど女性だったこと、その後、グリム童話に代表される昔話にでてくる魔女が女性だったということから、魔女というのは女だと思われてしまったのでしょう。」

 というような話をすると、「ヘー、男の魔女っていたのですか」とびっくりされることがある。「では男の魔女ってなんて言うのですか」とも聞かれる。

 魔女というのは日本語である。ドイツ語ならHexe(ヘクセ) 英語ならwitchである。男の魔女もいるのに、なんで魔女なのかという疑問はもっともである。それで、魔女という訳語についてわかる限りで以下にお伝えしよう。

 

・Hexeという言葉の語源は中世のハガツサで、「垣根を越える、あるいは垣根の上の女」という説が有力だそうだ。それならヘクセは魔「女」でもいい。

・ところが、魔女狩りの時代にHexeとして捕らえられ、Hexenprozess(魔女裁判)にかけられ、Hexeとして処刑された人は男女両方だった。だからHexeを魔「女」と訳すのは半分しか正解でない。

・では、日本で初めて魔女と訳された出典はなにか。それがわかれば、魔「女」と訳した理由もわかる。

 

・日本における翻訳の歴史を調べるのにふさわしい資料に『明治初期翻訳文学の研究』(春秋社 1961)がある。江戸時代の翻訳ものについては調べる手立てがなかった。

 

・いわゆる「魔女」がでてくる作品のもっとも古いものはなにか。日本の翻訳史を見ると、シェイクスピアの作品がもっとも古い。であれば、それは『マクベス』のwitchである。

 そこで、『マクベス』の翻訳を古い順に挙げ、そこでwitchがどう訳されているかを以下に記す。

 

(1) 1885年(明18) 『栄枯の夢』 藤田茂吉訳 郵便報知新聞 7月10日~18日

  ラムの『シェイクスピア物語』による「マクベス」

  「異形なる三人の夫人」「奇怪なる婦人」「奇女」「妖女」

 

(2) 1885年(明18) 『マッカベス』 無署名 文学雑誌 ~19年3月

  未調査

 

(3) 1885年(明18) 『マクベス』 学生学術雑誌 2号 柳田泉訳

  未見調査

 

(4) 1886年(明19) 『セキスピア物語』 品田太吉訳 丸善

  ラム作『シェイクスピア物語』による「マクベス」

  「(三個の女に似たる)異形のもの」「妖怪」

 

(5) 1887年(明20) 『マクベス評注』 坪内雄蔵(逍遥) 早稲田文学1~12

  ここで逍遥は

  「三妖婆とあるは我国のいづな使ひのやうなる老婆なり」と説明している。

 

※「いづな(飯綱)使い」ー管狐(くだぎつね)を使って術を行うこと。また、その人。長野県 飯綱山の神からその法を感得したという。

※「管狐」-想像上の小さな狐。通力を具え、これを使う一種の祈祷師がいて、竹管の中に入れ て運ぶという。(広辞苑)

 

この後も『マクベス』の訳はたくさん出ている。その中で有名な訳本を2つ。

 

(6) 1916年(大正5) 『シェイクスピア全集』 坪内逍遥訳

  「妖巫」と書き、ウイツチとルビをふっている。

 

(7) 1913年(大正2年)、森林太郎(鴎外)訳

  「魔女」 「まぢょ」のルビ

 

※この訳稿を森の依頼でチェックした坪内逍遥は、手書きで「まぢょ」、「魔女奴」には「まをんなめ」とルビをつけている。

 坪内が「魔女」に「まぢょ」とルビをつけたのは、当時、漢字にルビをつけるのは普通のことだったからか、あるいはやはり珍しい言葉だったからなのかは不明。

 

 

結論1

「マクベス」において「魔女」と訳したのは森鴎外が最初。それは1913年(大正2年)

 

 では、グリム童話の場合はどうか。これを調べるための資料に『日本におけるグリム童話翻訳書誌』 ナダ出版センター 2000年)がある。

 それに従って、Hexeがでてくる話を年代順に挙げてみる。

 

(1) 1888年(明21) 「小娘と蝦蟇」(かえるの王さま) 巌本善治訳 女学雑誌 4月14日

 復刻版があるので、それで調べたところ、訳者の名前は載っていなかった。しかも、グリムの「かえるの王さま」とは似て非なる作品だったのが面白い。

 

 「ある金持ちの小娘」がマリではなく金の指輪を井戸に落とす。蝦蟇がでてきて、(グリム童話と同じ)約束するなら取ってきてやるという。小娘は承知して指輪を取ってきてもらう。夜になると蝦蟇がやってきて、父親は娘が約束を守らないことを叱り、蝦蟇を家に入れる。ここまではほぼグリム童話に沿って筋は展開している。

 夜寝るときになって、蝦蟇は娘の布団に入れてもらう。すると、蝦蟇は布団を頭までしっかりかぶり、足が疲れたので、揉んでくれという。娘は嫌々ながらも、父に叱られるのを恐れて、蝦蟇の足を揉もうと掛け布団を取りのぞく。

 すると中には蝦蟇(王子さま)ならぬ一人の年寄りがいた。彼は娘の我儘ぶりを常日頃よく見ていて、懲らしめにやってきたのである。

 つまり、魔女に魔法をかけられた王子は出てこないので、「魔女」という訳語もでてこない。

 

(2) 1891年(明24) 『小学講話材料 西洋妖怪奇談』 渋江保訳  博文館

 グリム童話から37話が選ばれている。そのうち「魔女」の出てくる話は8話。

 以下、挙げてみる。タイトルはKML(グリム童話共通番号)で。

 

 「魔女」に「まつかひおんな」とルビ  1、22、43、122、123、135、193

 「魔女」に「まつかひばばあ」とルビ  169

 

  ※「まつかひおんな」とは「魔(法)を使う女」ということである。

 

 森鴎外訳『マクベス』の『魔女」より早くに「魔女」という漢字が使われている。

 当時、翻訳は英語版からのものが多かった。グリム童話とて例外ではなかった。渋江保が使っ た原典がドイツ語か英語かはわからないが、おそらく英語ではなかったかと思われる。

 

(3) 1892年(明26) 「ブレーメンの音楽隊」 西翁訳 小国民 5巻2号

 「魔法師」

 

(4) 1908年(明41)「ヘンゼルとグレーテル」 暁影生訳  家庭雑誌

 「鬼婆」

 

 

結論2

森林太郎訳以前に「魔女」と訳したのは、1891年の「グリム童話」である。ただし、ここでは 「まつかひおんな」とルビがついている。

 

☆『ファウスト』

 明治以後の文学作品におけるwitchの訳として『マクベス』を中心に見てきたが、ドイツ文学の世界でいえば、Hexeが出てくる作品で最初に訳されたのはゲーテの『ファウスト』である。

 資料ー『明治、大正、昭和翻訳文学目録』 風間書房 1959

 

(1) 明治30年 大野酒竹訳

  未調査

 

(2) 明治37年 高橋五郎訳

   未調査

 

(3) 明治45年 町井正路訳

  未調査

 

(4) 大正2年  森林太郎(鴎外)訳

  「魔女」

 

 森鴎外は『マクベス』で「魔女」と訳したが、『ファウスト』でも同じく「魔女」である。鴎外は『マクベス』を訳すとき、最初は英語版を用いたが、その本がかなりいい加減なテキストだったらしく、シュレーゲルによるドイツ語訳を使うようになったそうだ。

 

 

 シェイクスピアの戯曲は彼が生きている間、どれも彼自身の手になる本として刊行されていない。戯曲が本になって、それをもとに演じたというのではなかった。

 

 彼が『マクベス』に手をつけたのは1606年頃と推定されているが、彼の死後7年たった1623年、劇団員2人によって編纂されたものがあり、それが最古のテキストだと、今はわかっている。だが、当時、異本がたくさんあった。たとえば写本のようなものと考えてみるといいかもしれない。

 

 鴎外がどのテキストを使ったか、私にはまだ調べがついていないが、おそらく異本のどれかだったと思われる。鴎外の頃はまだきちんとしたシェイクスピア研究がなされていなかったので、定本ではないものを彼が見た可能性はある。

 

 いづれにせよ、鴎外は、『マクベス』も『ファウスト』も、Hexeというドイツ語を見て、それを「魔女」と訳したことになる。

 『マクベス』も『ファウスト』も、そこに登場するwitchおよび Hexeは女性である。だから魔「女」としたのは当然と言える。ちなみに、鴎外は『ファウスト』に出てくるHexenmeister(魔法の親方)を「男の魔」と訳している。

 「魔女狩り」や「魔女裁判」という歴史が、日本にいつ、どのような形で紹介されたのかも調べないといけない。それは森鴎外以後か以前か、誰が何に依拠して「魔女」裁判(狩り)としたのか、考えれば考えるほど面白いが、調べがおいつかない。

 

☆文学作品以外の魔女

 明治期の文学作品の翻訳を見る限り、1891年の「魔女=まつかひおんな」が最初であるが、では、それまで日本には「魔女」という言葉はなかったのかというとそうではない。

 

例証1.

 明治18年の『女学雑誌』に、伴直之助の「日本婦女の地位」という論文が載っている。簡単に以下紹介する。ちなみに伴直之助はこの年、東京深川の市議会議員に当選している。

 

 最近の日本婦人がいかにも堕落したようにいい、矯正が必要だという風潮があるが、まわりを見回しても、持ち前の美徳や謙虚さを失ってしまったという婦人は少ない。

 もし、責められるような婦人がいるとすれば、それは男性が悪いからである。そして、一端悪習に染まった女性は終に「立派な魔女と仮しさる・・・」が、「その源は実に男子に発すると思えば、余輩男子の罪極めて深しと言わざるべからず・・・」

 

 ここでは「魔女」が、ある種の否定的な女性を示す言葉として使われている。魔女という言葉はマクベスやグリム童話の翻訳より前に周知の単語であったようだ。

では、このような意味で、魔女という言葉が使われるようになったのはいつ頃なのか。

 

※カスレさんから「法華経ー普賢菩薩勧発品」と「米沢本沙石集」に魔女(まにょ)と言う言葉が出ていると教えてもらったので、調べてみた。

 

・法華経ー普賢菩薩勧発品

   原典「若魔。若魔子。若魔女。若魔民。若為魔所著者。・・・」

 

(1)『法華経』岩波文庫(下) 第28  坂本幸男/岩本裕 訳注より

 「(魔王パーピーヤス(波旬)も、)魔の息子も、魔界に属する天子たちも、魔の娘も、魔の  眷属たちも・・・」

 

(2)『大乗仏典5 法華経Ⅱ』 第26章 松濤誠廉/桂紹隆 訳より

 「若しくは魔、若しくは魔の子、若しくは魔の女、若しくは魔の民、若しくは魔に著(つ)か  れたる者・・・」

 

 

結論

 ここでは、必ず「魔の~」という形で使われている。「魔女」という独立した単語があったわけではないと思われる。だから、「魔女」を「魔の女」と訳したのではないか。

 

☆米沢本沙石集(1279-1283年) 10未-11

『日本文学大系 85 沙石集』 校注 渡邊綱也 岩波書店 1979より

 

原典

 「多智禅定現前ストモ、淫ヲ不断ハ必ず魔道ニ落テ、上品ハ魔王、中品ハ魔民、下品ハ魔女トナリテ皆従衆あり」

 

読み

 「たちぜんじょうげんぜんすとも、いんをたたずばかならずまどうにおち、じょうぼんはまおう、ちゅうぼんはまみん、げぼんはまにょとなりてみなじゅうしゅあり」

 

※沙石集の沙石は細かい砂や小石のことで、シャセキともサセキとも読む。

 この本はカナまじり文で、主に巷間に流布する仏教に関する説話、霊験談などを集めた説話集。

 

 作者は無住道暁(1226-1312)。無住は梶原氏一族ゆかりの僧。鎌倉で生まれ、30年ほど関東で過ごし、その後、尾張に移り、そこで生を終える。

 

※沙石集にはいくつか写本がある。ここでの底本は梵舜本であるが、10巻については米沢本を使っている。

※品とは極楽浄土に住む者たちの階位を表し、上中下がある。生前の功徳で分けたのが九品(くほん)である。

 

・ザーゲの推論

 『沙石集』のこの部分を平たく訳せば、「どんなにいろいろな知識があって、禅を実際におこなっていても、心を深く正しくとどめておかなければ、上に住むものは魔の王、中は魔の民、下は魔の女になってしまうよ」ということか。すると、この場合、魔女は下でも極楽浄土に住むことはできるようだ。

 西洋における魔女という言葉を歴史的に見ると、異端審問が始まる頃に作られている。それ以前は魔法使いの女(男)だった。

 

 やがて、キリスト教の立場から、悪魔という概念が作られるようになると、悪魔の情婦として魔女が生み出されていった。だから、魔女は決して天国に受け入れられるものではない。同じ宗教でも、これは大きな違いである。

 

 仏教においては「魔」の概念が柱となるが、キリスト教においては「魔女」という独立した単語として存在する。

 

 漢字も外来語という考え方をとりあえず脇に置いて、西洋語としてのHexe(witch)がいつ何と訳されたかと考えれば、それは明治期で、最初は「魔女=まつかひおんな」と言ってもいいのではないか。

 13世紀に仏教から生まれた魔女と、訳語としての「魔女」とは概念が違うということになるのではないだろうか。

 (2005.4.10.)

 

☆各国語による「魔女」

 「魔女」を各国語ではどんなふうな言葉で表しているか列挙する。「魔法使い」については扱っていない。ほかにご存知の方は教えてください。

 

ドイツ語   Hexe (ヘクセ)

英語     witch (ウィッチ)

フランス語  sorciere (ソルシエール)

スペイン語  burja (ブルハ)

ロシア語  (ガラ・ベジムイ) ※ロシア語の表記ができないので読みだけ。

リトアニア語 ragana (ラガナ)

チェコ語   Mala Carodejice (マラー・チャロディニッツェ)

アイスランド語/スェーデン語

       Huld (フルド)

イタリア語  stregone