魔女にも暦があります。私は新しい魔女の暦を作ろうと思います。ここは順不動、思いつくままに並べましたが、それをまとめたものが『あなたを変える魔女の生き方」です。
ところで暦ってなんなのでしょう。ちょっと理屈ぽっくなるので、うんざりしそうなら飛ばしてけっこうです。
月の満ち欠けを基にして日数を計算する1ヶ月単位の太陰暦も、太陽の運行によって1年や季節を知る太陽暦も、農耕社会に生きる人々にとっては、生活と結びついた自然の暦です。でも、現代社会、特に市民社会における暦は、社会生活を営むために必要な日程表の役割でしかなくなってしまいました。時計がさらに追い討ちをかけて、1日を細分化します。日の出とともに起きて、日が暮れたら家路につくなどという牧歌的な生活はもはやありません。暦に追い立てられるような日々が過ぎていきます。
暦の上に赤く囲まれた日付けがあれば、それは休日や祝日だから、なんの祝日か考えることもなく、ただただ嬉しく思う場合だってあります。赤丸がついてなくても、忘れることのない日付もあります。雛の節句やクリスマスがそうです。
最近のことですが、私はある人から「魔女はクリスマスをどんなふうに過ごしたらいいか」と問われました。この問いには、キリスト教によって魔女とされて命を奪われた多くの人々の歴史を考えるなら、どうしてキリストの誕生を祝うことができようかという意味が含まれているのではないかと思いました。
確かにキリスト教は自己保身のために魔女を作りだし、多くの人々を犠牲にしてきました。この歴史を否定することはできません。でも、魔女狩りによって多くの人々の命を奪った首謀者がキリスト教関係者だけであったかというとそれは違います。
教会と手を組んだ世俗の権力者や、彼らのおこぼれにあづかろうと卑劣な密告者になりさがった一般人にもその責任はあるのです。
そこで、それらすべてをひっくるめて、こうした人間を作り出した神とその子キリストに罪ありと断罪し、クリスマスを拒否するという主張もあるでしょう。しかし、そこまで遡ってしまうと歴史を正しく見ることができなくなります。すべて神の責任になってしまうからです。
日本にとってクリスマスは国家行事でもないし、昔から伝わる民間行事でもありません。新しく輸入された行事ですが、宗教行事かというと絶対そんなことはありません。クリスチャンを除けば、神の子イエスを信じて、その誕生を喜んでツリーを飾ったり、ケーキ食べたりしているとはとても思えません。
だから、クリスマスを祝うことにひっかかりを覚えるなら、世の中がどれほどクリスマスに浮かれていても、自分は関係ない時間を過ごせばいいと思います。
ドイツはキリスト教の国ですから、国家の暦とキリスト教暦とが重なっています。でも、プロテスタントの州かカトリックの州かという立場によって、祝日も行事も違います。
カトリックの強い地域では、たとえば、聖母マリアの被昇天(8月15日)は祝日ですが、プロテスタントの地域では祝日ではありません。反対に宗教改革記念日(10月31日)は、ルターの生まれた東部ドイツのあたりは祝日ですが、カトリックの地域では祝日ではありません。しかし、クリスマスは全国祝日です。
つまり、いつを祝日にし、どんなお祝いをするかは、それぞれの宗教的な立場で決定されるのです。
だから、私たちもそれに従って、自分で暦を作ればいいのです。もちろん、それはきわめて個人的な暦ですが。
テレビや映画、雑誌などで、ヨーロッパのクリスマス市の素晴らしさを見ることができます。ぜひ体験したいと思って、この時期ドイツへ行く人も多いようです。そのためのツアーだってあります。でも、参加者全員が宗教的な気持ちに動かされてヨーロッパへ飛んでいくわけではありません。教会で結婚式を上げるのと同じ理由で行く人もいます。それを馬鹿らしい、くだらないと思えなら、それでよしです。あるいはそれもいいじゃないと思うこともできます。
ヴァレンタイン・デイについても同じことが言えます。この時期、デパートに積まれた大量のチョコレートを見ると、私はなんて馬鹿らしいことと思います。これほど商売に利用された民間行事はないと私は思っています。チョコレート会社がこの日とチョコを結びつけて大ブレークをとったのは、ほんの最近、1953年のことだそうです。
この日は女性から男性に告白してもいい日ですって。冗談じゃない。告白したいときに告白すればいいじゃあないですか。どうしてこの日に告白しなければならないのですか。でも、ひょっとしたら、そういうことがなければ告白できない人もいるのかもしれません。この日があることによって、告白の勇気を与えてくれる日があることをありがたいと思っている女性もいるでしょう。それなら、それはそれで利用すればいいと思います。ただし、商売に利用されているということはよく承知しておくことが大切だと思います。
クリスマスツリーのイルミネーションは本当に綺麗です。ケーキだって美味しいし。加えて、教会へ行ってみると、あの音楽に賛美歌。なんともうっとりしてしまうでしょう。それだけあればじゅうぶん。クリスチャンでなくても、この雰囲気を楽しめるなら、それでいいじゃないと思う人がいても仕方がありません。でも、こういう素敵さというのは、キリスト教の巧妙な戦略、戦術だったのです。これをきちんと意識していればいいと思います。ただし、私はそれには乗りません。
現代は、見た目に心地よい形が求められる社会であり、それを頼りに生きている人々がいっぱいいるのだと思っています。ただし、ザーゲはそうしないというだけのことです。自分が納得しなければ、それは受け入れられません。
とはいえ、私のように生きた化石みたいになればいいかもしれないけど、こうした社会でこれからもづっと生きていかなければならない若い人にとっては、こうした考えをもっていると、変わり者と思われて、生きづらくなるかもしれません。
もしそれが気になるなら、皆と同じ社会生活を生きられるような術を身につけることが必要でしょう。
こういうことは、クリスマスについてだけ言えるのではありません。私たちが通常に社会生活をしていれば、さまざまな国家行事、民間行事、輸入行事に出会います。それらすべてを拒絶することが賢いとは思えません。現代の魔女は社会生活をうまく乗り切らなければなりません。
ただし、きわめて個人的な暦を内に秘めて生きるのも悪くはないでしょう。それぞれが自分用の暦を作って、自分の人生をデッサンするのも面白いのではないでしょうか。
魔女にとっては、何曜日がタブーで、何曜日が幸運の曜日なのでしょうか。
キリスト教社会では、金曜日は避けられますが、反キリスト教という名目で排除された魔女にとって、それなら逆に金曜日が幸運な曜日ということになるのでしょうか。
そうは思いません。それなら、魔女は単なるアンチキリストでしかありません。魔女はいかなる宗教からも自由でありたいものです。
ならば、曜日にこだわる必要などあるでしょうか。ないかもしれません。しかし、私たちの日常生活は1週間単位で繰り返されています。そのけじめとして、またときには楽しみとして、魔女独自の幸運の曜日を持つのもいいものです。
そこで、私はこんなふうに考えました。
それぞれが違った幸運の魔女曜日をもとう。自分が生まれた曜日を自分にとっての魔女の曜日にしよう。タブーの曜日などナシにしよう。
私の提案を受け入れてくれる人に、では、自分の誕生日が何曜日だったか簡単に知る方法を以下にお教えします。ぜひ、自分の幸運の曜日を見つけてください。
見ずらいでしょうが、勘弁してください。
ちなみに私の魔女曜日は日曜日です。
生まれた年 生まれた月
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
1953・1981 4 0 0 3 5 1 3 4 2 4 0 2
54・ 82 5 1 1 4 6 2 4 0 3 5 1 3
55・ 83 6 2 2 5 0 3 5 1 4 6 2 4
56・ 84 0 3 4 0 2 5 0 3 6 1 4 6
57・ 85 2 5 5 1 3 6 1 4 0 2 5 0
58・ 86 3 6 6 2 4 0 2 5 1 3 6 1
59・ 87 4 0 0 3 5 1 3 6 2 4 0 2
1960・ 88 5 1 2 5 0 3 5 1 4 6 2 4
61・ 89 0 3 3 6 1 4 6 2 5 0 3 5
62・1990 1 4 4 0 2 5 0 3 6 1 4 6
63・ 91 2 5 5 1 3 6 1 4 0 2 5 0
64・ 92 3 6 0 3 5 1 3 6 2 4 0 2
65・ 93 5 1 1 4 6 2 4 0 3 5 1 3
66・ 94 6 2 2 5 0 3 5 1 4 6 2 4
67・ 95 0 3 3 6 1 4 6 2 5 0 3 5
68・ 96 1 4 5 1 3 6 1 4 0 2 5 0
69・ 97 3 6 6 2 4 0 2 5 1 3 6 1
1970・ 98 4 0 0 3 5 1 3 6 2 4 0 2
71・ 99 5 1 1 4 6 2 4 0 3 5 1 3
72・2000 6 2 3 6 1 4 6 2 5 0 3 5
73・ 01 1 4 4 0 2 5 0 3 6 1 4 6
74・ 02 2 5 5 1 3 6 1 4 0 2 5 0
75・ 03 3 6 6 2 4 0 2 5 1 3 6 1
76・ 4 0 1 4 6 2 4 0 3 5 1 3
77・ 6 2 2 5 0 3 5 1 4 6 2 4
78・ 0 3 3 6 1 4 6 2 5 0 3 5
79・ 1 4 4 0 2 5 0 3 6 1 4 6
1980・ 2 5 6 2 4 0 2 5 1 3 6 1
・生まれた年の月にあたる数字を見つける
2003年7月生まれ→2
・この数字に生まれた日をたす
2003年7月11日生まれ→(2+11)13
・この合計の数字が次の数字とあてはまるところの曜日がそれです。
13→金曜日
日曜日 1 8 15 22 29 36
月曜日 2 9 16 23 30 37
火曜日 3 10 17 24 31
水曜日 4 11 18 25 32
木曜日 5 12 19 26 33
金曜日 6 13 20 27 34
土曜日 7 14 21 28 35
1月1日 魔女の覚悟を新たにする日
日本で太陽暦が採用されたのは、明治時代になってからですから、1月1日をお正月として祝うのはつい最近のことといえます。 でも、現代に生きる私たちの日々はこれによって動いているわけですから、無視することはできません。そこで、この日は魔女の覚悟を再確認する日にしたいと思っています。
2月22日 自分の日(ザーゲの魔女の日)
魔女の暦について書かれた本がいくつかあります。どれも古代の宗教や民間行事に由来したものです。
私もそのようなものをとりあげていますが、それだけでなく、もっと私たちにふさわしい魔女の日も作りたいと思います。伝統にもとずいたもの
だけでなく、なにか新しい魔女の日を設定しませんか。
そこで、まずは皆さん、自分の日を作り、それを暦に書き入れましょう。私は自分の誕生日を「ザーゲの魔女の日」にしました。
2月22日が猫の日だということを知ったのはつい最近でした。なに?私の誕生日が猫の日なんてちょっと出来すぎかな?
いったい何だって2月22日が猫の日なのかと調べてみましたら、ペットフード協会主催で猫の日制定委員会を発足させ、全国の愛猫家に公募したようです。その結果、ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)の語呂合わせで2月22日に決まり、1987年に制定されたということです。
ちなみに犬の日もあって、1月11日だっていいのですが、11月1日(ワンワンワン)だそうです。
猫について薀蓄を傾けているサイトで、『聖書』には犬という言葉は18回出てくるが、猫は一回も出てこないと書かれていました。これは本当だろうか。調べてみようと思っています。
しかし、それにしてもネットは凄いと思いました。日本記念日学会というサイトがあります。2月22日で検索してみました。その中でちょっと面白いものを挙げてみます。
・思わず笑ってしまったもの
「夫婦の日」 日本電気工業会が制定。食器洗い乾燥機によって食後のゆとりができ、夫婦団欒の時間ができ、ふうふに(222)っこりなんだそうな。
・ただフーンというだけのもの
「世界友情の日/国際友愛の日」 ボーイスカウト・ガールスカウトの創始者パウエル卿夫妻の誕生日にちなんで1963年に制定。夫の誕生日なのか妻のほうなのか書かれていなかったので、わからない。二人とも同じ誕生日?
・ヘーと思ってしまったもの
「聖徳太子 斑鳩宮で薨死」622年 まったく知りませんでした。知ったからといってどうということはないのですが。
4月30日 魔女の夜
魔女の祭りというと、日本ではケルトの流れを汲むハロウィンがよく知られていますし、最近は日本の年間行事の一つのようにもなっています。
ところが、ドイツに昔から伝わる魔女の祭りである「ヴァルプルギスの夜」のことがあまり知られていないのはとても残念です。
8月15日-9月8日 薬草魔女の日
この日はキリスト教暦では「マリアの30日」と言われ、カトリックの州では休日です。
マリアが天に召された(被昇天)のが8月15日、生まれたのが9月8日と聖書外典は伝えています。この日、薬草の束をマリアの祭壇に捧げます。
しかし、この行事は本来、薬草を集める人々が山に登って、薬草を捧げ、清めの儀式を行った時期だったそうです。
私の考える魔女は宗教とは無縁ですが、薬草魔女を支援する立場から、この期間を薬草清めの日として祝いたいと思ってます。
10月31日 ハローウィンをどう考えるかの日
最近、ハローウィンが魔女の行事の一つとして流行っているようです。この日をどんな風に過ごすか考える日にしようというのが私の提案です。
ハローウィンはもともとケルト人が信仰していたドルイド教の祭りで、秋の収穫を祝い、邪悪な自然霊や魔女を追い出す1年の終わりの行事です。ケルト暦では10月31日が大晦日になります。
この行事はイギリスで生き残り、やがてキリスト教に取り入れられ、アメリカに渡り、万聖節(11月1日)の前夜祭として盛大に祝われるようになりました。
万聖節は殉教したキリスト教の聖人たちの祝祭日です。835年、ドイツのルートヴィヒ敬虔王が制定しました。その翌日11月2日の万霊節に、死者の霊がこの世に戻ってきます。これは教皇ヨハネス14世が1006年に決めたことです。いずれもカトリックの行事です。
ハローウィンをキリスト教の行事として取り入れたことと、やはりキリスト教とは関係のない12月24日をキリスト生誕の日に制定したこととは同じキリスト教の仕業です。
そして、クリスマスと同じく、ハローウィンも最近では楽しい行事として受け入れられています。
北ドイツで4月30日に祝われるヴァルプルギスの夜も本来は古代ゲルマンの祭りでした。カーニヴァルもそうです。キリスト教は古来の民間行事を巧みに取り込んできました。
それは古来より民間に親しまれてきた行事を排除することができなかったからです。おかげで、完全な姿ではなくても、これら古代の行事の一端を伺い知ることができます。
このような民間行事の歴史を知ってみると、では、魔女志願の皆さんはハローウィンをどんな風に祝ったらいいのでしょうか。そのことを考える日にするというのもいいのではないでしょうか。
あまりに安易に魔女の格好をしてパーティーをするというのは、商売上なら許されますが、見直してみるというのはどうでしょうか。
「この日をどんな風に過ごすか考える日にしようというのが私の提案です」と最初に書いた。では、私がどう考えているのかをあらためてお伝えしようと思う。重複する部分があるが、それはお許しを。いつか一つにまとめるつもりである。
ハロウィーン(halloween)は英語でAll Hallow Evenの略。
hallowは聖人 een(=even)は夕べ(イブ)のこと。
つまりハロウィーンは万聖節All Hallows(すべての聖人の祝日)の前夜ということになる。この場合の聖人とはもちろんキリスト教の聖人のことである。この祝日は835年に制定されている。
その翌日11月2日は万霊節といい、死者の霊がこの世に戻ってくる日である。お盆やお彼岸のように、この行事はおそらく古代の民間行事であったと思われる。ただし、これとケルト人との関係がわからない。
なおわからないことは、ドイツはキリスト教の国だから、もちろん万聖節(Allerheiligen)と万霊節(Allerseelen)はある。しかし、ハロウィーンの行事はドイツにはない。だから、ハロウィーンにあたるドイツ語もない。大昔はあったのかもしれない。だが、ケルト人がドイツから姿を消し、ゲルマン人が定住するようになり、ドイツにはゲルマン伝来の行事だけが残ったのである。
ハロウィーンはイギリスからアメリカに移り、そこで華々しく行事化され、イギリスに逆輸入された。最近はドイツでもハロウィーンを祝う人々もいるし、ハロウィーングッズを並べる店もあるが、数十年前には見られなかったことである。まさに祭りもユーロ化している。
一方、10月31日は古代ケルト暦では1年の終りにあたる。11月1日は新年である。ケルト人の宗教はもちろんキリスト教とは違うから、当たり前だが、万聖節や万霊節などなかった。
しかし、ケルト人がヨーロッパ大陸から姿を消しても、彼らの行事はなお民間に伝わり残っていたのだろう。それがキリスト教に取り入れられ、キリスト教暦の万聖節と結びつけられていったのだろう。
それはキリスト教の異教対策だった。古代の太陽神ミトラの誕生日12月25日がクリスマスにされたのと同じである。
ハロウィーンはケルト暦では1年の終りだが、時期としては秋、収穫の時である。ケルト人はこの日、収穫を祝い、悪霊を追い払って新年を迎えた。この悪霊の中に魔女が取り入れられたのである。
では、ハロウィーンの魔女はヴァルプルギスの夜の魔女と同じなのだろうか。ヴァルプルギスの夜は春を迎える古代ゲルマンの行事だった。古代の神々が冬の悪霊を追い払う役目を担っていた。しかし、キリスト教がヨーロッパを制覇することによって、そうした神々が魔女に降格されたのである。
では、ハロウィーンの魔女も神の魔女化なのだろうか。そうではないように思える。つまり悪霊を追い払う行事を行うとき、具体的なイメージとして魔女が狩りだされただけではないか。それはいつからなのだろう。おそらくこの行事がアメリカに移ってからではないだろうか。
もちろん、そこには、異教を悪しき存在として魔女に仕立てた背景はあるが、ケルト人が年の終りに追い払う悪霊はあくまでも悪霊であって、キリスト教によって魔女にされたものではない。
つまりハロウィーンの魔女には裏がないように思えるのである。魔女はある意味で歴史の怨念を引きずっているものというのが私の魔女観である。
遊び心がないと言われるのは承知の上だが、そう思うと、私にはどうしてもハロウィーンの魔女に共感をもつことができない。
以上は「~だろう」「かもしれない」が多用されてるように、論証も薄い。きちんと証明立てられていない。これを埋めるのがこれからの課題である。ともかくハロウィーンが近づくと妙に気になってしまい、不完全ながら記したことである。(2005.10.29)
12月24日 魔女の家の日-ヘンゼルとグレーテルの魔女の命日
「ヘンゼルとグレーテル」は『グリム童話』の中でもダントツ有名な話ですから、よくご存知だと思います。樵の夫婦が大飢饉のために暮らしに困って、二人の幼い子どもを森に捨てる悲しい話です。
しかし、兄弟が小鳥の案内で森に入り、魔女が作ったお菓子の家を見つけると、話は一挙にファンタジーの世界に変わります。
お菓子の家って、いったいどんなものだろうとあれこれ空想がふくらみます。ところが、原文ではこのお菓子の家はパン、屋根はクーヘン、窓は白砂糖でできていると書いてあるだけです。
クーヘンはケーキ一般をさす言葉ですが、屋根瓦ですから、フワフワしたスポンジケーキではなく、薄く焼いたパンケーキのようなものでしょう。
夢のある挿絵で人気のあったドイツの画家L・リヒターは、ハートや可愛い動物、人の姿をした薄いクッキーの飾ってある家を描きました。
このクッキーは、レープクーヘンというドイツの代表的なお菓子で、クリスマスのときによく焼かれます。蜂蜜と香辛料の入ったサクサクした美味しいお菓子です。
また、お菓子の家には、「め」の字に似た8の字型のブレーツェルというパンもよく飾られます。これは、粒塩を振りかけた固めのパンで、ドイツに古くからあるものです。ビールと一緒に食べると、いっそう美味しさが増します。
この独特な形は、埋蔵品だった指輪や腕輪が原型ではないかとか、修道僧が腕組みした姿に由来するとか、いろいろな説があります。
ドイツでは、12月になると、ドイツの作曲家フンパー・ディンクのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』が上演され、ケーキ屋の店先にはレープクーヘンの「魔女の家」が飾られます。
フンパーディンクは、妹からクリスマスに子どもに見せるオペラを作ってと頼まれて、このオペラを作りました。初演は1893年12月23日でした。大評判になり、以来、このオペラの上演とお菓子の「魔女の家」はクリスマスの定番になりました。
クリスマスが近づくと、お菓子作りの好きなドイツの主婦は、レープクーヘンで「魔女の家」を作りはじめます。
クリスチャンでもないのに、なぜ日本人はクリスマスを祝うのかと揶揄されたりしますが、12月24日はもともとイエス・キリストの誕生日ではありません。異教の王ミトラスの誕生日でした。それをキリスト教が取り入れたのです。
ですから、私たちもこの日を「魔女の家の日」と命名して、大いに祝おうではありませんか。
そして、謂われなく焼き殺された魔女に哀悼の意を表しましょう。
※ザーゲの魔女の部屋でお馴染みのRosemaryさんから、ブレーツェルについて、以下のようなお知らせをいただきました。ありがとうございました。
「ブレーツェルは途切れることのないその形から、太陽が通る道、すなわち永遠を象徴するものとして、パンやクッキーを形作るのによく使われ、その歴史は千年以上もあるといわれています。」(『クッキーのすべて』集英社)