古代社会では、呪文は、呪術師(妖術師)や祈祷師、巫女、祭司たちの専門分野でした。彼らは、超自然的で神秘的な存在や死者たちの力を借りて、呪術を行います。そのさい必要なのが、呪文です。文化的発展をたどった民族なら、かならず会得していた文化的活動が呪術であり、呪文なのです。
きわめて古典的な呪文をいくつか紹介します。
☆ かつて賢き女ども座せり、そこかしこに。
ある者はいましめの鎖ととのえ、ある者は敵の軍団をおさえ、
ある者は鎖をむしりとれ。
「いましめを脱し、敵を逃れよ!」
☆ 脚をくじいた馬をなおすため、ゲルマン神話の主神ヴォーダンに助けを求めたときの呪文。
「骨は骨に、血は血に、関節は関節に、にかわでつけたようになれ!」
(F.マルティーニ『ドイツ文学史』三修社)
呪術の呪は「のろい」と読めば、恐ろしいですが、「まじない」なら私たちに親しい言葉です。上の呪文は、痛いところをさすっていう「チチンプイプイ、痛いの、痛いの飛んでけ」や、テルテル坊主を吊るして「明日天気になあれ」というのとまるでかわりませんが、由緒ある立派な呪文なのです。
ドイツで最古の呪文とみられているもので、10世紀頃の写本が、ドイツ東部ライプチヒの近くにあるメルゼブルク市の修道院で発見され、この名で呼ばれるようになりました。
汝、会得せよ
一を十となせ
二を去るにまかせよ
三をただちにつくれ
四は棄てて
五と六より
七と八を生め。
かくて魔女は説く。
かくて成就せん。
すなわち九は一にして、
十は無なり。
これを魔女の九九という。
(手塚富雄訳)
ゲーテ『ファウスト』の「魔女の台所」に登場する魔女が唱える有名な呪文です。なんとも理解不可能な呪文ですが、これはギリシャ語で書かれた錬金術についての古い写本に載っていたものということですから、これも由緒ある呪文です。
運命あやつる 姉妹三人
手に手を取って 海でも陸でも
思いのままに ぐるりぐるりと
お前が三たび こっちも三たび
に1度三たび しめて九たび
(福田恒存訳)
シェイクスピアの『マクベス』には、重要な役目をになう三人の魔女が登場します。上の呪文は彼女たちが唱える呪文です。マクベスの悲劇はマクベスが魔女の予言を信じたことから始まります。
あなたは予言を信じますか。たとえ、運命の糸を操る有能な魔女の予言とはいえ、私たちは自分の運命をそこに託してはならないのです。たとえ、すでに決められているとしても、運命とは自分で開拓していくものだと思わなければなりません。
「こっち飛べ、あっち飛べ、上飛べ、どこにもぶつかるな」
ドイツの魔女たちはこう唱えて、空を飛び、年に一度のヴァルプルギスの夜に参加しました。
2001年、群馬県の嬬恋村というところで、私はモアビート主催による「ヴァルプルギスの夜」という魔女の宴を村人たちと行いました。
横浜にある魔女グッズとハーブの店「グリーンサム」のオーナー飯島さんと彼女の仲間たちに、魔女の踊りを披露してもらいました。そのとき、
彼女たち年期の入った魔女たちは、「ホップラ」と叫びながら、踊りました。これは彼女たちの作った呪文です。
古代社会では効果ありと思われた呪術も、科学の発展とともに、その行為のある部分は解明されています。例えば、雨乞いのために高い山
に登って火を焚く儀式も、火の熱が雲を起こし、ひいては雨をよぶことになるといった具合です。
でも、自分の力ではどうしても越えることのできない苦しみや障害が呪文によって消え去るなら、どんなにいいかと思うでしょう。そして、いけな
いことだとわかっていても、他人を憎み、嫉妬し、その人の不幸を念じてしまう場合もあるでしょう。呪文や呪術をこのような目的で使ってはい
けません。
では、他人のためになるような呪文ならいいのでしょうか。それもわかりません。相手の気持ちを真に知ることなどできないからです。余計なお世話と思われるかもしれません。もし、かけた呪文が威力を発揮したらどうでしょう。そんなふうに他人の運命を操ることはいいのでしょうか。ですから、魔女はやたらに呪文をかけてはなりません。
ただし、自分のために呪文を唱えるのはいいでしょう。難しいことですが、やがて真性魔女になれるようにと願って。
呪文は自分で好きに作りましょう。秘伝とか奥義なんて仰々しいことはナシ。あくまでも、自分のために、自分にあった呪文を考えだすこと、これも魔女になるための修行です。