2002年9月、「薬草魔女」を探しにドイツへ行きました。
目当ては2つ。
Ⅰ 薬草治療の大先達ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの命日にあたる9月17日の行事に参加して、ヒルデガルトがどんなふうにドイツで受け入れられているのかを見てくること。
ヒルデガルトは、1098年夏、ライン河畔の町ビンゲンの近くで生まれました。8歳で、近くのデジボーデンベルク修道院へ入り、30年後、院長になります。42歳のとき、神の命令によって、これまで体験しながら、誰にも語らなかった幻視について書きだします。10年かけて書かれたこの本は『スキヴィアス 道を知れ』といいます。
1150年にビンゲンそばのルペルツベルクに新しい修道院を設立、20名ほどの修道女と共に、移ります。そこで、『医学と自然学』という本を書きます。この本は、動植物、鉱石などについての深い観察と彼女の強い信仰心とが結びついてできあがった驚異的な医学書です。
とくにハーブの効能と使い方について記した書はハーブ専門家に注目され、現代ドイツで、ヒルデガルト・ルネッサンスというブームを生みました。日本でも彼女の伝記や書物が翻訳されるようになりました。
彼女はその後、リューデスハイム近郊のアイビンゲンにも修道院を設立、週に何度か通い、ライン河畔の町を中心に4回の説教旅行をします。上記のほかにもいくつも本を書き、宗教曲も77ほど作曲しています。
時の教皇や皇帝、学者と文通も交わし、当時もっとも尊敬を集めた女性でした。彼女は1179年にこの世を去りました。
ヒルデガルトが初めて宗教の世界に足を踏み入れたデジボーデンベルクはいまは廃墟となっています。その広大な跡地を見てまわるには、半日はゆうにかかります。
小さなヒルデガルト博物館には、当時の修道院の名残を伺わせる遺物が展示してあります。また、入り口近くに小さなお店があり、ワインやヒルデガルトの本を売っています。
とはいえ、それだけで、見るものは特にありません。それなのに、ヒルデガルトを深く信仰している人たちはよく訪れるそうです。
私が訪れたときは、雨天だったこともあり、誰もいませんでした。廃墟の奥のほうにかつての薬草園の跡地が残っていると聞いていましたが、時間の関係でそこまで行けずに帰ってきました。
駐車場まで坂道を降りていく道に沿って広がる草地に、羊の群れがいました。そのなかの一匹がじっと私を見つめているのです。このときは日本人の知人2人と一緒でした。東洋人の来訪は不思議だったのでしょうか。
ヒルデガルトが設立したルペルツベルク修道院は、今は地下室が1室残っているだけです。石造りのアーチ型をした天井は当時のままだそうです。室内にはヒルデガルトが皇帝バルバロッサに出した手紙の複製など、興味深いものが展示されています。
中でも面白かったのは、ドイツの中世に活躍した画家グリューネヴァルトの有名な「イーゼンハイムの祭壇」の背景に描かれている廃墟はこの修道院だということでした。
この修道院跡地は民間の会社の所有になっていて、ビンゲンのインフォメーションで事前に予約しないと見られません。
市のガイドさんが案内してくれます。私が申し込んだときは、他に希望者がいなくて、たった一人だったので、いろいろと質問ができてラッキーでした。ガイドさんはかなり年配の女性で、とても親切でした。
暗くて見えずらいですが、かつて、ここで幼いヒルデガルトが祈りの生活をしていたのです。
アイビンゲンには立派な修道院があり、いまも多くのヒルデガルト崇拝者がやってきます。時代がもっと下れば、彼女は異端者の魔女にされたかもしれません。
アイビンゲン修道院は小高い丘の上にあります。そこからブドウ畑に囲まれた道を下ると、アイビンゲンの町に出ます。この町の中心はヒルデガルト教会です。
9月17日のヒルデガルトの命日には町中の人が教会に集まります。教会の横には薬草をプレゼントするコーナーもありました。私はラベンダーをちょっといただきました。
彼女の聖遺箱はこの日のみ一般公開されます。祈りを捧げたあと、神父さんたちがこの箱を担ぎ、信徒たちが後に続き、町中を粛々と歩きます。ヒルデガルトの像と花を玄関先に飾って祝う家がたくさんあります。
行列は町を一回りし、また教会に戻ってきます。そのときの写真をご覧ください。