昨年でコロナも終焉になるかと思われたが、最近になってまたぶり返しているというニュースを目にするようになり、気が晴れない。おまけに、私個人でいえば一昨年のコロナ陽性は何とかひどくならずに済んだが、昨年10月思いもよらぬ病気で手術をすることになり、今年はいまだ治療を受ける身になってしまった。
それでも私にとって旅が何よりの良薬。まずは春に行けなかったドイツに行くことにした。楽しく歩いてきた。今年の後半は国内旅行を考えている。旅日記の絶えることなく記せることを願って。
10月16日(水)
昨年大きな病気で手術を受け、今月17日でちょうど退院1年目になる。まだ快気祝いとは言えないが、記念の1泊温泉旅行を計画する。ここ数年は、福島市の郊外にある土湯温泉郷のうち、高湯、野地、土湯温泉に行った。今回は土湯温泉のさらに奥にある幕川温泉を選んだ。標高1300メートルのところにあり、普通のガイドブックには載っていない秘湯温泉である。交通手段は自家用車かタクシー。旅館の案内に「道が細いので注意していらしてください」とある。これまでは福島駅でレンタカーを借りて移動していたが、今回は土湯温泉までバスで、そこからタクシーを利用することにした。細い道がどのくらい細いかというと、私はこの温泉に大学1年の時に友人のY子と一緒に来て、旅館迎えの車に乗ったので、道の恐ろしさは十分知っていた。なぜそんな山奥の温泉を知っていたかというと、小さいころ、両親と一緒に何回か湯治に来ていた懐かしい温泉だったからだ。
一緒に行った友人Y子とは高校が一緒で、浪人時代も大学4年も同じ下宿で過ごした仲だった。大学生になったその夏二人で十和田湖旅行を計画し、幕川温泉に寄って東京に戻った。恥ずかしげもなく言えば,いいこと、悪いことすべて含めて過ごした二人の青春時代だった。その友が今年の7月に亡くなった。親のこと、Y子のこと、わが身のこと、様々な思いを抱きながらやってきた。
幕川温泉には旅館が2軒あるのだが、どちらに泊ったのか記憶にない。露天風呂や展望風呂などあるが、昔からの板張りの湯舟もあって、懐かしい。これらの湯は白い粉のような湯花が浮いている透明の湯だが、旅館の外にある渓流露天温泉は白濁色の湯で、これも面白い。
曇天だったので、期待していなかったが、その通りで、月も星もアトラス彗星も見えなかった。
10月17日
早朝、予約していたタクシーで土湯温泉まで。途中で、素晴らしく紅葉した樹木が固まって立っているのを見た。土湯温泉からバスで福島駅へ。ここ3年ほど福島市に来ているので、特別寄りたいところはなかったのだが、せっかくだからと調べまくったら、郊外(飯坂温泉に近い中野)に中野不動尊という曹洞宗の寺院があった。永平寺の直末寺で、日本三大不動尊の一つに数えられるという。けっこう面白そうだったので、行ってみることにした。2時間に1本というバスをうまく乗り継いで行く。
それほど広くはないが、祈禱殿、奥の院、7つの洞窟や不動滝などけっこう面白かった。それでも時間が余ってしまったので、予定より早い電車で帰途に就く。
なんとなく湿っぽくなってしまった旅日記だが、こういう旅もある。
ただただ温泉に浸かるだけだったが、それなりに満足もできた。来月は大学時代の友人たちとY子の墓参を
予定している。
今回の旅は10日間という短い旅行だった。昨年10月に手術をし、経過は良好とはいえ、体力に自信が持てなかった。それで、ずっと娘の世話になりながら、のんびり歩いてきた。現地8泊でどこを訪れるかいろいろ考えた。私にとって特別思い入れのある町を選んで、なんか私のセンチメンタルジャーニーみたいになったが、楽しかったあれこれを記しておく。これが最後のドイツ旅行にならないことを願って。
7月5日(金)
例年なら土曜の午前に日本を発って午後ドイツに着く。今回は金曜の夜の便で出発。するとドイツに土曜日の早朝に着く。これだと土曜日一日得することになる。機内でぐっすり眠ればドイツに着いてからすぐに行動できる。
夜便は羽田発しかない。久しぶりの羽田空港国際線だが、ずいぶん変わってしまったのに驚いた。2020年オープンの本屋蔦屋がすごい。広い場所、カフェもある。たくさんのソファがある場所は読みたいものを持ってきて読んでもいいコーナー。ドイツでもこのような本屋があったが、どこの国でも同じようになったのだろうか。誰でも入れるので利用してみるといい。
写真はフランクフルト空港で見たオブジェ2点。
7/6(土)ライプチヒ
フランクフルト空港からライプチヒへ。ライプチヒは私の好きな町の一つだ。交通も便利なので、ここで4泊することにした。ホテルは駅を出てすぐのところ。荷物を預けて町へ。
まずはライプチヒ造形美術館。常設展は無料だった。ドイツには無料の美術館がけっこうある。無料だからと言って適当な絵でごまかすなんてことはない。ここには私の好きな絵が2点ある。作者不詳の「愛の魔術」とアーノルト・ベックリン(1827-1901)の「死の島」。
素敵な絵画を堪能してからトーマス教会へ。教会を背に大きなバッハ像。教会の中にはバッハの墓あり。
・少々疲れたので、教会のそばにあるCafe Kandlerでお茶する。ライプチヒの有名なお菓子にライプツィガーレープヒェン(Leipziger Räbchen)とライプツィガー・レアヒェ(Leipziger Lerche)があり、この店のものが美味しいらしい。下の写真は駅の構内で売っていたレアヒェとその食べかけ。レアヒェとは(鳥の)ヒバリのことで、1876年に(どんな理由か不明)ヒバリ禁猟令が出たので、ヒバリを記念し、このような菓子を作ったとか。十字の印はひばりを縛った紐を表しているとか。中にはヒバリの心臓を表すイチゴジャムが入っているのだそうな(よく意味がわからないが気味悪い)。食べかけながら写しておいた。レープヒェンはプラム入りのマジパンを粉でくるんで揚げたもの。揚げ饅頭みたいだ。
私はメレンゲユズケーキ(Yuzu Bauer Tarte)を注文する。ユズは日本にしかないようだ。とても美味しかった。
元気が出たので、ライプチヒ大学そばのパノラマタワー(Aussichtsplattform Panorama Tower)に登る。29階までエレベーターがあるが、その後は48段の階段を上らなければならない。頑張る。屋上は吹き曝しで、風がかなり強い。飛ばされそうになるので、身体が揺れて景色をうまくカメラに納めることができない。眺望はいい。ナポレオンに勝利した諸国民闘争を記念した塔がよく見える。
今年はちょうど2024年ユーロサッカー選手権の年。6月15日から7月14日まで、決勝戦はベルリン・オリンピアシュタディオーン。ドイツ中湧きたっていた。ライプチヒにもパブリックビューイングが設置されている。ところが、私たちがドイツに着いた翌日、つまり今日、ドイツは準決勝でスペインに敗れてしまった。暴動でも起きるかとハラハラした。駅にはたくさんのポリスが警戒しているも、なんだか虚脱したような人々の顔、顔、顔。翌日には応援グッズを売っている店では3割引きとか4割引きもあった。ライプチヒのパブリック・ビューイングでスクリーンを見る人もいるが、チケットを買っていたのかもしれない。
いつだったかドイツがFIFAワールドカップで優勝したちょうどその日ベルリンに滞在していた。ホテル中から歓声が聞こえたものだ。今年は残念。帰国してほどなく2024年パリオリンピックが始まり、サッカー男子は頑張って、準々決勝で対戦するのがスペイン。ドイツの仇討ちになるか(笑)
7/7(日)ドレースデン日帰り。何度来てもいい町。
ツヴィンガー宮殿は改築工事のため庭は閉鎖中。まずは宮殿内にあるザクセン王家の所蔵する金銀財宝の宝物の館「緑の丸天井」へ。今は階が分かれていて、歴史的展示物とその他の展示物の2つになっている。以前訪れたときは確かすべて一緒だった。今回、歴史的展示室に入るときには身に着ける小さなバッグすら許されない。とても厳しかった。出口でも身体全体にセンサーをあてられて外に出る。盗難騒ぎでもあったのだろうか。前はこんなことはなかった。それでも展示物は素晴らしい。王侯貴族の権勢がしのばれる。
次は何と言ってもアルテ・マイスター絵画館。ラッファエロのあの有名な「システィーナの聖母」。額縁にもたれかかる二人の天使が人気独占という絵だ。
キリスト教の聖者のアトリビュート(シンボルとなる持ち物)に興味をもったことがあったが、そのとき聖母マリアの絵にカタツムリが描かれていて、カタツムリは聖母のシンボルだということを知った。だが、その後、その絵をどこで見たのかどうしても思い出せなかった。ところがなんとここだったのだ。イタリアの画家フランチェスコ・デル・コッサ(1430-1477)の「受胎告知」だった。やっと胸のつかえがとれた。
カタツムリは雌雄同体なので、他の個体と性交せずに卵(子)を産むので、処女懐妊のマリアのシンボルだそうだ。ヘー、知らなかった。
ここにはフェルメールも2点ある。「取り持ち女」と「窓辺で手紙を読む女」。「窓辺で・・・」は最初フェルメール作とは思われなかったそうだ。あれこれあって戦後ロシアよりドイツに返還された何かと曰くのある絵だった。しかも、修復のためにX線で調べたら、背景の壁にこれまで見えなかったキューピットの絵が現れた。修復は2021年に終わり、今はそのキューピットの姿が再現されている。
その後、ドレースデン観光の定番「君主の行列」、「ゼンパーオーパー」、聖母教会あたりをブラブラし、昼食は大きなピザを娘と半分づつ食べて満足。
歩いていて、おやっと思ったら人形だったという面白騙され写真を何点か。
これまで何度も訪れていたドレースデンだが、今回初めて知ったのが、町はずれにあるケーブルカーだった。トラムとバスを乗り継いで行く。客はあまりいない。昔、ブッパータールのケーブルカーがとても気にいって2度ほど訪れたことがあるが、同じ設計者によるもの。なかなか面白く、頂上の眺めもいい。
エルベ川にかかった橋が二つみえるのだが、奥にある橋が作られたことによって景観を壊したと言ってユネスコ文化遺産「ドレースデン・エルベ渓谷」はその登録を取り消されたと言う。全然景観を壊しているようには見えないのだが。
エルベ川を渡って反対側で降りた町の眺めがとてもいい。
7/8(月) グリマ日帰り
半日ほどのんびりして過ごせる景色のいい町はないかと探して見つけたのがライプチヒから30分で行けるグリマ(Grimma)という町。調べてびっくり。そこはマルチン・ルターの妻カタリーナが入っていた尼僧院Kloster Nimbschen(ニムプシェン?)があった町で、今もその廃墟跡が見られるという。
当時、カタリーナを含む9人の修道女たちがルターの信仰に感銘を受け、修道院から脱出する計画を立てた。1523年にルターと交流のあった出入り商人の手を借りて彼女たちは脱出し、ルターの世話で一般人として結婚した。
ところがカタリーナはルター以外の男性とは結婚しないと言いはった。そして、1525年、26歳だったカタリーナ(1499-1552)は41歳だったルターと結婚した。当時は生涯独身を誓った修道士や修道女の結婚はカトリック教会においては大罪だったが、ルターは自らそれを破り、結婚のすばらしさを説いた。
そのカタリーナが暮らしていた修道院がこの町にあったと知り、なんとしても行ってみようと思った。ライプチヒから1時間に一本の快速電車で30分。市内のバスを使って修道院跡まで。バス停そばにはホテルと新しい修道院(Neuzeitliche Kapelle nahe der Klosterruine)がある。
新修道院は閉まっていて中には入れなかった。裏手の道を5分ほど歩くと、修道院跡に着く。今はレンガで囲われた壁だけが残っている。空が碧い。
カトリックなのにルターの教えに感銘を受けて、いわば宗旨替えを決意した9人の尼僧たちがここから脱出を図り、還俗したのだ。中でもカタリーナのルターに寄せる想いの強さに感じ入った。
町に戻る。池のある小さな公園で一休み。そこからちょっと先にムルデ川(エルベ川の支流)がある。つり橋がなかなかいい風情を醸している。でも私はつり橋が怖いので眺めるだけ。
そのあと今は裁判所になっているグリマ城と石橋を見る。近くのスーパー前からライプチヒ行きのバスがあり、ちょうど出発するところだったので、それに乗って帰る。電車もいいけど、田園を走るバスもいい。
ホテルに着いてバタンキュー。2時間ほど休憩し、夕食を食べにアオアーバッハス・ケラーに行く。ゲーテの『ファウスト』で有名なレストランだ。私はシュニッツェル、娘はグラタンを頼む。写真を見ればわかると思うが、私のシュニッツェルはまさに巨人の草履並で、これに大きな茹でじゃががつく。娘はグラタン。味は間違いないが、どうしても全部は無理。コーヒーとジュースをつけてもらい二人前69.60ユーロ。ほぼ12000円!日本を出発する前にみるみる円安になってしまい、愚痴ってもしかたないが、1か月前までは1ユーロが160円前後だったのに、この時期は179円!!
私たちはホテルを予約するとき、だいたい朝食抜きにする。朝は駅構内のパン屋で好きなパンを買って電車の中で食べる。これが一番楽だし安上がり。そんな朝食のパンで美味しかったものを写した写真を載せる。これが一個だいたい600円から700円!
「こんな朝食ばかりだったの?」「はいそうです」
7月9日(火)ベルリン日帰り
日本にもあるのかどうか調べていないが、ヨーロッパには「Ruhebereich「ここは 静かに」という車両がある。今回はべ
ルリンへ行く電車がそれだった。
ベルリンを選んだ目的。
➀旧国立美術館を。
ちょうどドイツロマン派の代表画家カスパ―・ダフィート・フリードリヒ特別展があるということを知ったので、迷ったが時間的に無理と判断し、絵画館はやめてここにした。カスパー生誕250周年記念展だそうな。それにしてもカスパーはドイツ人に人気がある。炎天下にもかかわらずの行列。昨年夏ハンブルク美術館でみることができなかった「雲海の上の旅人Wanderer」(1818年)が見られると思ったものの、結局見られなかった。どこをさすらって(wandern)いるのか。それとももうハンブルクに戻ってきているのか。本当に残念だった。
「楡の森の修道院」(1809-1810)も人気のある絵で、これについては名の知れない画家が何人も摸倣画を描いたようで、彼らの作品も展示されていた。カスパーの絵から受け取るのはまさに凝縮された静寂の世界だ。
ここの常設展にはやはり私の好きなベックリンの「死の島」がある。「死の島」は5つのバージョンがあった。私はライプチヒの造形美術館とここベルリン旧国立美術館、そしてバーゼル美術館の3点は見ているが、メトロポリタン美術館のは見ていない。5つ目の絵は第二次世界大戦で焼失し、モノクロの写真だけが残っているという。よく見ると少しづつ違いがあり、その違いについて多くの絵画評論が様々な説明をしている。
ライプチヒとベルリンの絵を並べて載せてみた。
➁ドイツ一美味しいカリーヴルストの店で昼食を。
この店は3度目。本当に美味しい。サラダあるいはポンフリにカリーヴルスト1本だけ。ほかのメニューはなし。店は以前にはなかった屋台ができていた。昔は立ち食い。それでも行列ができる。ついでに今回の旅行で食べたヴルストの写真。
➂定番ブランデンブルク門と議事堂、ホロコースト記念碑、ジーゲスゾイレを見るつもりだった。しかし、最初に書いたがユーロ2024年のため、ブランデンブルク門前にパブリックビューイングが設置されていたので、近寄ることができず。横の柵から見るだけ。ジーゲスゾイレも近くまで行くバスが運行中止で、行けなかった。
④ウンター・デン・リンデン通りの菩提樹の並木の写真を撮る。
菩提樹が花盛りだったら香りはどうなのですかと以前聞かれたことがあった。全然気にしたことがなかった
のでちょうど花の季節でもあるから、確認。フンボルト大学内を見た後でウンター・デン・リンデン通
りへ。今は花も終わりに近く、どの木も実を乗せた船のような葉を豊かに茂らせていた。香りはそれほどな
かった。
そして、これまで全く気が付かなかったのだが、この通りだけでなく、ドイツにはじつにたくさんのボダイ
ジュの木があったということ、そして今回初めて菩提樹の花を見た。とても美しくてびっくりした。
今まで私は何を見ていたのだろうかと思った。
⑤ハリボーの店でグミーを買う。
ハリボーは世界で初めてグミを開発した会社。あらゆる種類のハリボーを扱っている店がベルリンにある。
特に今回はドイツの有名な建造物を6個かたどったHappy Germanyというグミーがあると知り、小袋があれば
お土産に買いたいと思った。残念ながら小袋はなく、大袋〈700g〉を一つ。その他いろいろな種類のグミー
を買う。帰宅してからお皿に乗せてみた。それぞれ4色、ブランデルブルク門、デトモルトのヘルマン記念
塔、ケルン大聖堂。ノイシュヴァンシュタイン城、フランクフルトのレーマー広場だ。日本だったらどんな
建物になるだろう。
次いで、近くにあるリターチョコの店も覗いてみる。ホテルには冷蔵庫がないので、チョコは帰国日の空港で買うことに
して、見るだけ。それでも子どもみたいな要求が満たされて大満足。
ライプチヒに戻る車窓から見た夕焼け。早いもので、旅程の半分が過ぎた。明日は移動日。
7月10日(水) ライプチヒ→マクデブルク→ゴスラー
オットー一世(ドイツ神聖ローマ帝国初代皇帝)には何か心惹かれるものがある。彼がこよなく愛した生誕の地であり亡くなった地でもあるメムレーベン(ナウムブルク近郊)には2度行ったことがある。今回も考えなくはなかったのだが、日程とルートを考えると無理だと思い、大帝の墓のあるマクデブルクに行くことにした。
そこでマクデブルクの町を調べていたら、市内を流れるエルベ川が西から流れてくるライン川の運河と交差するところがあるのを知った。うまく説明できないので、ドイツのマクデブルク水橋 |愉快な惑星 (amusingplanet.com)で紹介されているサイトから写真を借りた。上を流れる運河と下を流れるエルベ川が交差しているのがわかるだろう。橋の上に登ることができ運河に沿って歩くことができる。とても行きたかったが、残念ながら橋のたもとまでのバスはない。車があれば楽々なのだが。いつか行けることがあるだろうか。いまだに残念に思っている。
雲行きが怪しくなったので、マルクト広場から出ている観光バスに乗る。1時間コース。走り出した途端大雨。降りた時には雨も止んだので、助かった。観光バスは雨模様のときや疲れたときに利用すると便利だ。
そろそろ昼食の時間だ。ドイツのカウフホーフというデパートにはレストランが併設されていて、セットメニューもあるし、肉、野菜、スープなど好きな物を皿に選んでレジに持っていくと目方で料金が出る。これはとても便利で安上がりなので、旅行中必ず一回か2回は利用する。
ここでもいたずら三昧だったティルオイレンシュピーゲルの噴水を見、大好きなフンデルトヴァッサーの建物
に立ち寄り、早めの電車でゴスラーへ向かう。
7月11日(木)ゴスラーからヴェアニゲローデとブロッケン山 日帰り
ネットサーフィンしていたら、ヴェアニゲローデに魔女の信号機ができたという記事を見つけた。東西ドイツが統一しても東で利用されていたアンペルマンの信号機は評判がよく、旧東ドイツでは今もあの可愛い絵柄が使われている。私もベルリンのアンペルマンの店で女の子の絵柄のあるTシャツを買っている。
魔女の故郷ヴェアニゲローデで魔女の絵柄の信号機ができたとしてもおかしくない。これは絶対見ておこうと思った。記事では消防署の前の信号と書かれていたのでわかった。そもそもヴェニゲローデの町中には信号機はない。駅から町中に入っていく道路の信号機があり、それ一つしかないはず。
少し早めの電車でヴェアニゲローデに着き、信号機目指して歩く。思っていた通りのところにあった。進めの青はホウキに乗った魔女、止まれの赤は両手を広げている悪魔。もっと増えてもいいのに。今のところはここだけのようだ。
そのうちアンペルマンショップにあるようなグッズができるだろうか。
久しぶりの蒸気機関車で2時間、ブロッケン山へ。昨年、「キクイムシによって森は殺された」という友人たちの言葉を聞いて登るのをやめたものの、帰国してからやっぱり登るべきだったと後悔した。それで今回の旅程にはなにがなんでもブロッケン行きを組み入れた。
確かにキクイムシの仕業は酷かった。これまでうっそうと茂っていた森林がすべて立ち枯れの状態で何とも無惨。樹々で隠れていた下の村が今はすっかり見える。切り倒された枯れ木が横たわっている。知人の説明では、ハルツの森は自然公園なので、人工的に植林をするのは許されていないそうだ。やがて(何年後か、何十年後か)自然の力で生き返るのを待つのだそうだ。見ておいてよかった。相変わらずハイカーが多いけど、彼らはこの死んでしまった森をどう感じるだろう。
頂上はもともと樹木がないので、以前と変わりはない。ちょうど昼時、私はここの名物エンドウ豆スープ、娘は焼きチューリンガーヴルスト。どちらも美味しかった。
ハルツの森に別れを告げ、汽車で再びヴェアニゲローデに。ハルツではいつもお世話になっているゲルディと娘さんのダニーが車で迎えに来てくれた。ヴェアニゲローデ城に連れて行ってもらう。バルコニーからブロッケン山がよく見える。そのあと、カフェで一休み。ゲルディの孫のチミーが仕事の合間に来てくれた。
みんなから思いがけないお土産をもらう。これまで彼女たちから受けた多くの親切に感謝。
7月12日(金)市内散策とアレックスの家訪問
ゴスラーを訪れる日が決まったので、友人のY子さんに連絡したら、私たちが泊まるホテルのそばにある公民館(?)で、Y子さんの知り合いの娘さん渡辺瑠璃さん(ライプチヒ在住)の個展があるから見ていただけるかなという。もちろん今日朝一で見に行った。彼女の作品は童話のようであり女の情念をも秘めたなかなかの作品だった。日本で開催できるといいのだが。
昨年日本で開催されたポテロ展は面白かった。そのポテロの作品のあるところから町へ入る。
町をぶらぶら散策し、マルクト広場のレストランで昼食をとり、夕方Y子さんと待ち合わせする。彼女の車で、ランメルスブルク山にある鉱山博物館を外から眺め、近くにある見晴らしのいい場所に連れて行ってもらう。ゴスラーの町が眼下に広がり、ホッとする時間を過ごせた。ベンチが一つあるだけの狭い場所(?)だが、地元の人でなければ来ないだろう穴場だ。ゴスラーの町を車で案内してもらい、夕方6時にアレックスの家に着く。いつもいつも気持よく歓待してくれて嬉しい。昨年はアレックス一人だったが、今日は奥さんのヴェロニカもいる。歓談を楽しむ。バーベキューをごちそうになる。私は初めて食べたのだが、バーベキュー用の焼きチーズがとても美味しかった。
7月13日(土) ブラウンシュヴァイク日帰り
私がドイツと関わりをもつようになった理由はいくつかあるが、ブラウンシュヴァイクという町を知ったのもその一つである。昔ゼミの先生が講義の合間に「テイル・オイレンシュピーゲル」について話をしてくださった。ティルはこの町のパン屋働いているとき、サルやフクロウの形のパンを作って親方に叱られたがパンは売れたという話。今だったらいいアイデアだろうに。先生はこんな噴水があるんだよと一枚の写真をみせてくださった。その噴水は当時の日本では見たことのないようなもので、へー、ドイツにはこんなものがあるんだと感心し、もしいつかドイツに行けることがあったらティルの噴水を見に行こうと夢見た。あの頃ドイツへ行くなんてまさに夢のまた夢だった。ところが10数年後、私の夢が叶いブラウンシュヴァイクへ行くことができた。ティルの噴水を見ることが出来て、ドイツという国は遠い遠い世界にあるのではないんだと思った。今回もティルの噴水を見て、アントン・ウルリヒ公爵美術館でフェルメール(ワイングラスをもつ少女)を見た。毎回同じコースだが、でも楽しい。
ただ今回初めて知ってびっくりしたことがあった。それは(ベルリンブランデルグ門の上の像でよく知られている)立派なクヴァドリガ像のあるブラウンシュヴァイガー宮殿の1、2階が完全にショッピングモールになっていたことだ。
この宮殿は1718年に造られたのだが、火事や戦争など幾多の災難にあい、1945年に戦災で完全に廃墟となってしまった。跡地は公園になったのだが、この公園をつぶしてショッピングモールにしたいという企画が持ち上がり、賛否両論の結果、建物の正面を昔の宮殿と同じにするということで市議会が可決し、2007年に完成したという。150店舗とほかにも博物館や文書館のようなものも入っているという。
このような経過をまったく知らずに立派な正面のある建物に入ったら、ずらりとショップが並んでいたのでびっくりした。たとえば赤坂離宮を思い浮かべ、中に入ったら様々な店が並んでいて、マックとかロスマン(ドイツのドラッグストア)などもあるという感じだ。
昼食はいつものカウフホーフのレストランで。皿の上の緑の野菜はラプンツェル(フェルトザラート)。デザートはいかにもドイツ的ケーキ。
もう一つ初めて知ったことがあった。この町の名物にムンメ (Mumme 普通の意味ではミイラ)という食品があるという。発酵食品の一つらしい。インフォメーションセンターで売っているというので行ってみる。茶色の液体だったり練り物だったり、調理の時に使うと味がよくなるという。どうもよくわからない。すると店員がムンメ入りのキャンディーを一個くれた。特別、ああこれがそうかという味はなかった。それにしても面白いものがあるものだ。味も香りも違うが、全然違うが、特別な調味料、たとえばナンプラーみたいなものか。
インフォメーションの商品売り場に山と積まれたムンメ。ついでにキャンディーの包み紙まで写真に撮ったので、載せる。
7月14日(日)
ドイツ最後の日。この日をどう過ごすかあれこれ考えた。
日本のユーハイムで売っているフランクフルター・クランツというケーキは私の大好物なのだが、現地フランクフルトにも同じ名前のケーキが食べられるカフェがあるという。しかも今日は日曜だというのにこのカフェーは開店しているらしい。店はすぐに分かったが、ショーウィンドウに並んでいるケーキは日本のものと全く違っていて、食べたいという感じのものではなかったので、やめた。
予定ではマイン川の遊覧船に乗ることにしていたが、残念ながら乗れなかった。というのは全く考えていなかったのだが、空港で荷物を預けて市内で遊び、チェックインする1時間半くらい前に戻ってくればいいかと思っていたのに、なんと荷物預り所が夕方5時15分で閉鎖というのだ。日本もそうだが、空港にロッカーはない。閉鎖されてしまったら大変。それだったら中央駅に預けるのだったと思っても後の祭り。とにかく市内まで行って、5時までに戻ってくるには観光船に乗っていては間に合わないということ。5時15分というのは今日が日曜だからかもしれない。そうだとすれば私たちのチョンボだ。
ドイツ最後の昼食は中央駅構内にあるカリーヴルストの店。昔からよく利用している。考えた末、私はなんとハンバーグ、娘はシュニッツエル。期待を裏切らない美味しさだっだ。
7月15日(月)「ただいま」
16時45分羽田着。娘には面倒かけたが、行けてよかった。来年春の「ヴァルプルギスの夜」にはシールケを訪れることができたらいいなと欲を出している。