ザーゲの旅 2020年


秋の奥多摩 <11月16日~17日>

今年は新型コロナウィルスの流行で、予定が次々と中止になり、昨年から計画していた青森旅行に行けたのがやっと10月になってからだ。これで今年の旅行も終わりかと思うとなんとも淋しい。それで我が家から2時間程度で行ける奥多摩だが、少しでも旅気分を味わえるよう1泊することにした。
 

Go toトラベルを利用して鳩ノ巣渓谷沿いにあるホテルに泊まる。ちょうど紅葉の季節で、お天気も上々。本当は「おりおり」に載せようと思ったが、それなりに楽しめた旅だったので、写真を中心にメモ書き程度だが、旅日記にアップした。

16日(月)

日原鍾乳洞(にっぱら):昔訪れたときは階段などあったかなというほど平気だったのに、今回は半分回っただけで終わり。

奥多摩湖と小河内(おごうち)ダム:東京にこんな素晴らしい自然があるとは。本当に感動した。余水吐放流は見られなかったがいつか調べて見に行きたい。ドラム缶を浮かべて橋にした歩行者専用の「ドラム缶橋」は怖くて渡れないだろうが、見てみたかった。今はドラム缶がついた普通の橋になっているが、狭そうなので、やはり私には無理だろうな。車窓から見るだけ。

鳩ノ巣渓谷:泊まったホテルの部屋の真向かいは山だったので、遠く見晴らすことはできないが、いかにも山奥の温泉地という感じだった。部屋から渓谷の流れを見下ろす。

17日(火)

御岳神社(みたけじんじゃ):ガイドブックではケーブルカーで降りたところから神社まで徒歩25分と書いてある。ところがどうして、階段に次ぐ階段、階段、急坂・・・ということで1時間半かかった。それでも見晴らしがよく、きれいに紅葉した木々もあって、文句は言わない。

階段のところどころに休憩のためのベンチがあるのだが、こんな面白いものもあった。

急な坂道を我慢して登るだけの価値はあった。

チョットしたハプニング:山道を走っていると、車が怪しい振動をし始める。道路のせいかと思っていたが、どうもおかしい。降りてみると、何とパンクしていた。山の中である。こういうときはスマホ頼み。近くにガソリンスタンドのあることがわかった。親切な店員さんだった。在庫から古いタイヤを見つけ出して、ともかく走れるようにしてくれた。感謝。こういうハプニングも楽しめてしまうのが旅の面白さ。

三頭山荘(みとう)の山菜料理:宿泊もできるし、日帰り湯もあるし、食事だけでもよし。小皿に乗った22品の山菜料理は見て楽しい。味は少々濃かったが、お酒があれば\(^o^)/ とろろとごはんと味噌汁がついて2800円(税抜き)。この値段が高いか安いか分からないが、一度は試してみるのもいいと思う。私は二度目。

夕方には帰宅。ともかく旅の雰囲気は味わえた。これで今年の残りは「スティ ホーム」?


青森(大間岬、恐山、竜飛岬、五所川原)・秋田 <10月19日~23日>

新型コロナウィルスの感染拡大で、今年のヴァルプルギス参加は無理かと諦め、2月には泣く泣く航空券をキャンセル。夏になれば事態も好転するかと思ったが、甘かった。今のところ来年の渡欧も無理そう。
 
そこで、前から計画していた東北旅行だけは実現しようとスケジュールを立てたものの、東京都民の移動自粛という最悪な状況になってしまった。やっと10月になって都民も「go toトラベル」の仲間入りができたので、航空券を予約。

ところが秋田県は東京からの移動自粛要請をなかなか解除しない。行きたかった秋田カトリック修道院(涙を流すマリア像で有名)に電話で確認とったところ、来年春まで待ってくださいというつれない返事。マイレージをつかった青森・秋田の航空券は変更ができず、嫌でも秋田空港から帰京ということになってしまった。愚痴ばかり言ってもしかたない。とにかく4泊5日のスケジュールを立てて出発。

昨年夏からお預けになっていた気ままな一人旅である。

10月19日(月)

家を5時30分に出て、この日の目的地大間崎に着いたのが夕方4時6分。

羽田空港から青森空港に。青森駅からJR青い森鉄道で野辺地、次いで大湊線に乗り換えて下北。そこから下北交通佐井線バスで大間崎。公共の交通手段を使ってこれが最短。車窓からの景色を大いに楽しむ。

降りたところが大間崎公園。有名なマグロと漁師の腕をかたどった2つのモニュメントと灯台、向かい側には泳いで行けるのではないかというほど間近に函館が見える。来たかった本州最北端の岬だった。そしてなによりうれしかったのはちょうど日没。今日は快晴だったので、真っ赤な大きな太陽が津軽海峡に沈んでいく。これをカメラに収めるのは私の腕では無理。目に焼き付けるだけで満足。

宿は岬にある数件の民宿の一つ「海峡荘」。ここには民宿しかない。女将さんが言うには「大間のマグロが入荷しないときはよそのマグロになるけど、冷凍は一切出しません」この日の夕食は残念ながら大間のものではなかったが、美味しかった。今回の旅の目的の一つ岬めぐりの初日は上々だった。

 

10月20日(火)

大間漁港が見たかった。しかし、バスの運行時間では無理だったので、大間崎からタクシーを利用し、いくつもある漁港を見て、津軽海峡フェリー乗り場「大間フェリー」まで行く。今日も快晴だったので、タクシーの運転手さんには、「天気がいいから船は出ていて港は空っぽだよ」と言われて、その通りだった。私がみたかったのは幟旗を掲げた漁船のひしめく漁港だったのだが。

大間フェリーは函館まで午前と午後の2運行しかない。これも運転手さんの話だが、大間には大きな病院がないので、乗船者の多くはここから朝の便で函館に行き、夕方のフェリーで帰ってくるとか。フェリーが出航する建物の2階から津軽海峡がきれいに見える。

しばらく海を眺めて、下北交通のバスでムツバスターミナルへ。約1時間30分。

今日の目的地は恐山。恐山は10月末で閉山になるので、日程としてギリギリだった。
 
ムツバスターミナルから恐山直行のバスに乗る。ガイドアナウンスがある。途中「冷水」という山から流れてくる水を飲める場所があって、これは霊水だから、飲んでみてくださいとバスは一時停車してくれる。

恐山は慈覚大師が開基した恐山菩提寺のある山である。山門を入ると、地蔵殿や本堂があり、その裏手に硫黄岩の積み重なった岩山があり、そこに地蔵や釈迦像がいくつか置かれている。寺の外には三途の川と言われる宇曽利湖が広がっている。

恐山には今でもたくさんの参詣者がいるのだろう。境内の一角に男性用と女性用の湯殿がある。誰でも自由に入っていい。誰もいなかったので、そっと中を覗いてみた。硫黄を含んだ黄色の湯だった。

恐山はそれほど期待はしていなかったが、とりあえず一度は行って自分の目でみたいと思っていた。そういう意味では「行ってきたよ」という感じか。

再びバスでムツバスターミナルに出て、下北行きのバスに乗り換える。下北駅から青森駅に。駅前のビジネスホテルにチェックイン。ここで2泊する予定。

青森駅のすぐ近くに新鮮市場という海鮮を扱った店がたくさん入っているビルがある。面白く見て回る。

なにか美味しいものを食べようと思っていたが、ホテルの近くにあるのは居酒屋ばかり。青森ではマグロをたくさん食べようと思って来た。丼ものよりも刺身のついた和定食を食べようと思っていたのだが、見つからなかった。しかたなく居酒屋の一軒に入り、マグロ丼と「津軽海峡」という焼酎のお湯割りを頼む。

 

10月21日(水)

今日は津軽半島竜飛崎へ。電車の発車まで時間があるので、青森駅そばのラ・ワッセ(佞武多の館)に行く。巨大な佞武多(ねぶた)に圧倒される。祭りにはこの3基が主となり、中佞武多、小佞武多が数多く町を練り歩く。佞武多は3年に一度作り替えられるそうだ。今年はコロナで中止となったので、展示されているものは昨年のものだ。今は電線除けのため、幅9メートル、高さ5メートル、奥行き7メートルに決めたそうだが、なんとも壮観である。これを祭りまで保管しておくので、建物は高くなる。

さて、青森駅11時1分で蟹田駅乗り換え、三厩(みんまや)12時24分着。三厩駅から町営バスで竜飛崎灯台まで30分強。バス料金100円とはなんと安いのかとびっくり。しかも案内係の人まで乗っていて、いろいろ質問に答えてくれる。

バスは海辺を走る。天気もよかったので、実にラッキーな時間だった。バスは竜飛崎灯台のふもとが終点。そこに「津軽海峡冬景色」の歌碑が立っていて、ボタンを押すと石川さゆりの歌が響き渡る。

「上野発の夜行列車おりた時から・・・私もひとり 連絡船に乗り・・・ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと・・・風の音が胸をゆする 泣けとばかりに ああ 津軽海峡冬景色」

この歌では竜飛岬となっているが、地名は「竜飛崎」。どちらが正しいのかバスのガイドさんに尋ねたところ、地元では「崎」だそうだ。作詞阿久悠が「岬」としただけとのこと。その津軽海峡が目に前に広がり、向かいは北海道。

灯台までちょっとした丘を登る。その途中に「階段国道」と言われる階段の降り口がある。ここは車両通行不可、人しか歩けない362段の階段でできている一般国道339号である。国道339号の一部が階段になっているのだ。実際に車はバイパスを通って、階段下の国道339号に出る。なぜそんな国道を作ったかというといろいろ説があるようだ。

この階段を降りるのは10分ほどだが、登りはかなり辛いとガイドさんが言う。階段の下は町営バスの停留所になっているから、そうしたらどうかと言う。しかし、上から階段を見たが、降りるのに私の足で10分ということはなさそうなけっこう急な階段だったので、諦めることにした。

加えて、階段下のバス停近くにある青函トンネル記念館が残念ながらコロナのために閉鎖されている。かつ観光案内所竜飛館(再現された太宰の部屋あり)は休館日というので、灯台からまっすぐ三厩の駅まで戻ることにした。

このときガイドさんの言ったバスの時刻を私が聞き間違えてしまった。私が階段を下りると思って、階段下の時刻を教えてくれたのだ。私は灯台発のバスに乗って帰るつもりだったので、5分の違いで灯台発のバスを逃してしまった。次のバスは2時間後。灯台から海峡をしっかり見てもいくらなんでも時間があまる。しかたないのでバス停そばのレストランに入るが、ごはん類は売れきれでラーメンかうどんしかないという。チャーシューラーメンを頼むが、これがとても美味しかった。

津軽海峡をたっぷり眺めて、三厩駅に16時12分に着く。しかし、ここでも1時間半待ち、着いた蟹田(かにた)駅でも青森行きの電車に乗るのに1時間半待ち。

三厩も蟹田も無人駅。列車が到着する30分くらい前にならないと駅舎の明かりも点かない。津軽線は上り下りそれぞれ日に5本である。それでもこんな旅をしたかったという思いもあるので、満足。

三厩という地名、私は最初読めなかった。三厩の由来は義経伝説からきているらしい。義経は平泉から逃げてここにやってきて、厩の岩という岩の上で三日三晩お経を唱えた。すると3頭の竜馬が現れ、それに乗って北海道へ渡ったという。

蟹田は名前の通り「トゲクリガニ」が名産とか。この町の観覧山という山の頂上に太宰治の記念碑があるという。この碑の除幕式に檀一雄が『火宅の人』のモデルとなった入江杏子と一緒に訪れている。もう日もとっぷり暮れて、訪れるのは無理。こんなときは車だったらなあと思う。プラットホームに太宰の『津軽』から引用した「蟹田ってのは風の町」という碑がある。

鉄道の旅をすると、面白い駅名にあえてうれしくなる。名前だけで知っていた地名が出てくると、それだけでうれしくなる。車なら行きたいところにちょっと立ち寄ることもできるのにとは思うが、鉄道も捨てがたい。津軽海峡鉄道、津軽鉄道、大湊線、五能線など、今回乗ったり、歩いたりした土地はすべて初めてのところばかりだったので、なおさら楽しめた。青森から弘前に行く途中に「撫牛子」という駅があった。日本の読み方難関駅名の一つだそう。答えは写真の説明に載せた。

 

10月22日(木)

 青森駅から川部乗り換えで五所川原に。ホテルに荷物を預けて、津軽鉄道で金木(かなぎ)町へ。津軽鉄道は冬になるとストーブの入った列車が連結され、運賃にストーブ代金が加算されるという。五所川原に向かう車窓からずっと見える岩木山(1625m)は富士山よりだいぶ低いが、その裾野は長く広がり、堂々としている。

金木は太宰治で持っているみたいな町。駅前から太宰治ルートを歩けように丁寧な看板がでている。そして、どこもそんなに離れていないので、疲れることなく歩ける。「斜陽館」明治40年に金融業者津島家六代(太宰の父)が竣工。太宰はここで生まれた(明治42年)。昭和23年、戦後の農地改革のため地主だった津島家は大邸宅の母屋を売却。買主は旅館「斜陽館」として開業する。後に金木町が買い取り、今は太宰治記念館となる。

  1. 津島家は地主、金融業として権勢を誇っていた。暴徒の侵入を防ぐため、屋敷はレンガの塀で囲われ、近くに警察署を作らせたりした。実に豪勢な作りの屋敷。
  2. 「旧津島家新座敷」太宰の兄青森県知事だった文治が結婚を機に建築した離れ座敷を昭和23年、母屋からそのまま移動(曳き家)させた。太宰は戦時中に疎開し、昭和21年まで家族と一緒にここに滞在している。
  3. 「雲祥寺」太宰の母は病弱だったので、治は幼少の頃、タケという子守りに世話してもらっていた。この寺の境内でタケと一緒によく遊んだ。
  4. 「南臺寺」津島家の菩提寺。先祖代々と文治の墓。

太宰の好きな友人に絵ハガキを購入する。本当は太宰まんじゅうとか太宰せんべいなどあるかと思ったが、そういうものはなかった(笑)。観光案内所は閉鎖。地元名産の野菜や漬物を売る店があったので、ホテルで食べるリンゴを一個買う。とても美味しかった。ちょうどリンゴの季節。車窓から見えるリンゴ畑には見事なリンゴの実が鈴なり。

天気予報では明日は雨、それもかなり激しい雨らしい。金木駅から見える岩木山も雲をかぶり始めた。

五所川原に戻って、立佞武多の館に行く。青森の幅広佞武多に対して、ここの佞武多は立っている。電線の普及とともに背の低い形になったが、1996年復元された立佞武多は高さ22メートル、1998年に今のような祭りになったとか。外見は下のほうが細くて上に広がっているのでいかにも不安定に思えるが、台座や心棒などで安定できるように工夫されているそうだ。ここは見ごたえがあった。

五所川原から弘前乗り換えで秋田に。ここまですべてローカル線だったが、初めて特急に乗る。本当は八郎潟を見て、男鹿半島に泊まりたかったのだが、秋田に拒否され(笑)、残念ながら五所川原に変更したのだった。でも、今日は天気予報通り、雨が降り出したので、秋田市内を歩くだけという予定にしてよかった。というか秋田に着いたらものすごい雨で散策どころではなくなった。

予定していた秋田県立美術館は安藤忠雄の設計で、藤田嗣二の大壁画があるのだが、この週は閉館だった。建物だけでも見たかったが、この雨では仕方ない。

竿燈(かんとう)の館(ねぶり流し館)に行く。青森の佞武多、五所川原の立佞武多、そして竿燈と東北3大祭りの二つを飾りだけでも見られたので、良しとした。竿燈も高さがある。最も高いので16~18メートル、長さ約8メートル、重さ50キロにもなる。若竹に46個の提灯を9段に分けて吊るす。この竿燈を平手、額、肩、腰に乗せて技を競う。これをかざす技のすごさに感心してしまう。

今回の旅行では貧しい食事になってしまったので、最後くらい空港内で何か美味しいものを食べようとレストランを見て回る。比内鶏の親子丼か、稲庭うどんか、キリタンポか。迷ったが、やっぱりお寿司にする(笑)

ついでに町で買った大きなリンゴと様々な種類のリンゴジュースがあったが、そのうちの2本。最後に秋田空港なら絶対あるだろうと思っていたクッキー。

あっという間に終わった4泊5日の旅だった。もう少しスケジュールをうまく立てたら、いろいろ立ち寄ることもできたのに、もったいないと東北通の人には思われるかもしれない。しかし、私としては十分楽しめた。旅は自己満足でいいと。

さて、次はいつ?どこ?と早くも日本地図が頭に浮かぶ。

*太宰治について補足
 青森から帰ってきてほどなく山梨県富士河口湖と笛吹市にまたがる御坂峠に10月29日に行った。3月頃に計画していたが、コロナウィルス禍で中止のままになっていた。峠には太宰治の『富嶽百景』に出てくる天下茶屋(太宰が数か月滞在)がある。今回の金木訪問と日を経たずの太宰治巡り。

「富士には月見草が似合う」という言葉はよく知られているが、月見草はマツヨイグサのことだろうとのこと。茶屋のご主人によると、今はこの付近には自生していないという。この『富嶽百景』や『津軽』だけでなく太宰の小説について書き出すときりがなくなるので、旅日記の範囲に止めて、峠の周辺の写真を数枚載せるだけにする。