今年は例年より1日早くに出かけ、帰京も一日早い30日だったので、おせち料理作りに余裕があった。水上温泉でも過ごし方は例年通り。
ただ、今年は積雪が多くて、与謝野晶子公園まで歩けなかった。
27年ぶりにローマとフィレンツェに行くことにした。もう一度ヴァチカン美術館とシスティナ礼拝堂、ウフィチ美術館に行きたかった。暑いのは覚悟である。
スケジュールは19日までドイツ一人旅、26日まで娘とイタリア、そして残りは再びドイに。
7月12日(土) 羽田~フランクフルトへ
羽田を夜中の便で出発。最初から愚痴もなんだが、7月の機内映画がまったく面白く なかったので、残念だった。そして、食事がことのほか不味かったのにもがっかり。しかし今回は訳あってプレミアム・エコノミーだったので、座席は快適。
7月13日(日) フランクフルトからベルリンへ
6:05にフランクフルト空港に着く。6:48の電車でベルリンへ。中央駅11:30着。駅そばのホテルにチェックインし、旧ナショナルギャラリーに行く。久しぶりである。
やはりベックリンの「死の島」はいい。私はバーゼルとライプチヒのヴァージョンを見たことがある。残るメトロポリタンヴァージョンをいつか見てみたい。
遅い昼食をとり、ホテルに戻ると、中央駅はドイツ国旗を手にした人々、国旗をデザイ ンしたマントや帽子を身に着けている人々、ドイツ国旗の三色を使ったレイを首にかけた人々の群れでものすごいことになっている。そう、今日は2014年FIFAワールドカップ決勝戦の日。ドイツ対アルゼンチンがあるのだ。
ブランデンブルク門(ベルリン中央駅から歩いていける)のところがパブリック・ビューイング会場になっていて、なんでも25万人が集まっているとか。そんな人の波に巻き込まれたら大変。ホテルのロビーもテレビ観戦する泊まり客でいっぱい。私は一人で部屋のテレビで応援する。延長でドイツが1点を入れたときは、外からの歓声が部屋にまで聞こえる。優勝の瞬間には花火の音が轟く。
私も一人テンションがあがって、明日からの旅がうまく行くような気持ちになった。
7月14日(月) ベルリン・ヴァンゼーへ
ヴァンゼー(湖)へ行ってきた。ヴァンゼーは大と小の二つの湖に分かれている。私の目的は小ヴァンゼー湖畔にあるハインリヒ・フォン・クライストの墓である。
クライストはドイツの作家(1771-1811)で、代表作は『ハイルブロンのケートヒェン』、『ミヒャエル・コールハウス』など多数。1811年11月21日、彼はここで人妻のヘンリエッテ・フォーゲルとピストル自殺を遂げた。湖畔のそばの丘の上にその墓がある。
ベルリンからSバーンで西へ30分ほどのヴァンゼー駅で降りて、そこからバスでヴァンゼーブリュッケまで行く。クライストの墓という標識があるので、それに従って歩けばすぐわかる。
そこは墓地ではない。クライストとヘンリエッテの名前が刻まれている墓石が立っているだけである。静か。湖畔のベンチでしばらくボーとして、またベルリンに戻る。
私は人間の終焉の地に惹かれる。著名な人なら、その生涯がわかっているので、余計に感慨も深くなる。えてして記念館というのは、その人の輝かしい業績を知らしめ、称賛に満ちているのが多い。墓地は静かにその人を偲べるので、いい。もっとも生前の栄光をひきづったずいぶん豪華なものもあるが。
余計なことだが、これまで私が見てきた著名人の墓でいいなと思ったものをリストアップしてみようかななんて思ったりする。(笑)それなら、まず一番はプラハでみたフランツ・カフカの墓(ユダヤ人墓地)になりそう。
夕方はベルリンに住む友人のジョニーとその息子さん夫婦に会う。いい天気だったので、ジョニーの提案で町はずれにあるフリードリヒスハイン公園を散歩する。この公園には多くの国々の寄付によって作られた「世界平和の鐘」がある。鐘の下にあるプレート「記憶と警告」には広島と長崎の原爆の投下日、殺された人々の数が記されてある。毎年、8月に慰霊祭を行っているとのこと。後日、ジョニーから今年の慰霊祭の新聞記事が送られてきた。
ジョニーは第二次大戦のときにドイツから脱出してフランスの田舎に住みついた人々(ジョニーも同じような経歴をもつ)の記録を長年にわたって調べてきた。その本がやっと昨年出版され、その本をプレゼントされた。
ジョニーが送ってくるメールのタイトルを見て、私の顔は緩む。Lebenszeichen「生きているよ」だ。私たちの付き合いはベルリンの壁がまだあったころからだから、ずいぶん長い。お互いに歳をとった。このところ、会えば、また会えるかなという思いが私たちの中に生まれつつある。ジョニー、これからもLebenszeichenのメールを送ってね。
7月15日(火) ベルリンから日帰りでフランクフルト(オーダー)へ
フランクフルトはマイン河畔だけではなくオーダー河畔にもある。川向こうはポーランドになる。今は検問なしで橋を渡ってポーランドに行ける。一度は行ってみたいと思っていた。
ベルリンから電車で1時間ほど。駅前からバスで市内に入る。町はオーダー川に面している。中心街に入れば、シュタットビュルッケ(橋の名前)方面と書いた標識があるので、それに従って行けば、ほどなく大きな橋のたもとに出る。橋を渡れば、そこはすべてポーランド語。ストラースブールでもライン川を歩いて渡ってドイツへ入ったらすべてドイツ語。当たり前だが、欧州はなるほど陸続きの世界なんだなあと思う。
この町にはクライストの生家があり、博物館になっている。町の中心部に入る手前にクライスト・フォールムという建物があるが、ここはクライスト博物館とは違うので、注意。
とりあえず入ってみたが、クライストファンか研究家なら面白いと思ったかもしれないが、私には取り立てて印象に残るような展示はなかった。昨日の墓の印象のほうが強かったからかもしれない。
ベルリンに戻って、ツォー駅近くの和食の店「大都会」に行く。38年前に一度来たことがあったが、当時の店長の上から目線の態度が気に入らず、値段も高くて、2度とくるものかと思った。それでもどうなっているのか気になって行ってみた。今年40周年を迎えたという。店員の接客はとても自然でいい感じだった。料理も美味しかった。ドイツでは飲めないキリンを飲んで気持ちよくホテルに戻る。
7月16日(水) ベルリンからツヴィカウへ
ツヴィカウは初めての町である。なぜこの町にやってきたかというと、行ってみたい博物館のある町で泊まるのが不便だとわかり、それなりに大きな町ツヴィカウから日帰りで行ったほうがいいとわかったからだ。また、この町にはローベルト・シューマンの家もある。
マルクト広場の一角に「ローベルト・シューマンの家」がある。この博物館は小さいけれど面白かった。シューマンやクララ、そしてブラームスの写真がたくさんあって、ミーハーの私には楽しめた。ブラームスといえば、ひげもじゃな顔の写真がすぐに思い浮かぶので、イケメンな若き日のブラームスの写真にはびっくり。音楽に詳しい友人が言うのは、ブラームスのイケメンぶりはかなり知られていることなのだそうな。私が無知だっただけ。
7月17日(木) ツヴィカウから日帰りでヴァルデンブルクへ
18世紀の頃、ドイツのある村で、頭が二つある牛が生まれた。これは魔女の仕業にちがいないと噂になった。その牛の剥製を展示してある博物館がヴァルデンブルクにあると聞いたので、行ってみることにした。
ツヴィカウから2時間に1本の電車でGlauchau(グラオハウ)という駅まで行き、そこからバスで20分ほどしたヴァルデンブルク・マルクトで下車。電車のヴァルデンブルク駅はあるが、マルクトまでは遠く、急な坂道を登らなければならないので、バスに乗り替えたほうが正解。
高台にある立派な城は約1時間のガイドによる案内でのみ内部を見ることができる。ドイツの城はどこも同じようだが、13世紀にできたという古い城である。
城の真向いに「Das Waldenburger Naturalienkabinett」博物館がある。博物学関係の博物館としてはドイツでも古い部類に属し(19世紀中頃)、リンク薬局一族による珍品の蒐集として有名なのだそうだ。
珍品というには気味の悪いものばかり、たとえば奇形児のアルコール漬けとか、奇形の動物の剥製などがずらりとそろっている。お目当ての二つ頭の仔牛のほかに背中から足が四本突き出ている仔牛の剥製もあった。よくもこれだけ集めたものだ。
受付の女性にこれら展示品はすべてオリジナルかどうか尋ねてみたら、胸を張って「そうですよ」ということだった。
剥製の写真は載せないことにした。代わりにヴァルデンブルクで見つけた珍しい(かどうかわからないが)写真を載せた。知人からベルリンはイヌを大切にする都市で 町中にイヌのフンを入れる箱があると聞いたが本当かと聞かれた。ベルリンでだけでなくほかの町でも見かけたことがなかったが、「なるほどこれか」というのを目にすることができた。 「犬のトイレ」というようだ。
7月18日(金) ツヴィカウからフランクフルトへ
明日は9時半ローマ行きの飛行機に乗らなければならないので、今日はフランクフルトで1泊することにした。ツヴィカウからフランクフルトへ電車で行くには、ミュンヘンから行くか、ライプチヒから行くか、いずれにせよ5時間半かかる。私はライプチヒ経由にした。
夕方6時に仕事関係のM氏とNさんと待ち合わせして、夕食を一緒する。現地に住んでいる人は美味しいお店を知っているので、嬉しい。
7月19日(土) フランクフルトからローマ経由でフィレンツェへ
ローマに向かう機中からアルプスの山々を見下ろす。フランクフルトから夜行列車でアルプス越えをしたのはずいぶん昔のことだ。
フィレンツェ空港で娘と落ち合う。ホテルで休息したあと、町散策。初のジェラートを食べる。
7月20日(日) フィレンツェ市内散策
メディチ家礼拝堂、サン・ロレンツオ教会、ダンテの家を見て、ベッキオ橋そばのジェラート屋でジェラートを食べ、午後12時半からウフィツィ美術館へ。ここは予約しておかないと数時間は並ぶことになる。予約はネットで日本からできる。
日本語のオーディオガイドもある。借りてよかった。オーディオガイドはパスポートと引き換えなのでパスポートを忘れないように。ついでに、ガイドブックには撮影禁止とあるが、フラッシュなしならオーケー。
今日の予定は残りここだけなので、ゆっくり6時間かけて堪能する。さすが世界的名画ボッテチェリーの「ヴィーナス誕生」や「春」の前は人だかり。素晴らしい受胎告知の絵はたくさんあるが、シモーネ・マルティーニの絵が私は好きだ。受胎を告げられたときのマリアの拒否しているような顔がなんとも言えない。
7月21日(月) フィレンツェから日帰りでラヴェンナへ
イタリア行きを決めたときに、ラヴェンナには絶対に行こうと思った。拙著『不思議な薬草箱』でラヴェンナのサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂に描かれた壁画「最後の晩餐」について触れたのだが、その絵の実物を見たかった。
フィレンツェからラヴェンナには特急でボローニャまで行き、ローカル線に乗り換えて2時間強。ラヴェンナの町はモザイク壁画の教会がいくつもあることで知られている。できるだけたくさん訪れることができるように、まずラヴェンナの一つ先の駅、クラッセまで行き、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂を見る。それから、バスを使ってラヴェンナの町に出ることにした。
モザイクといえばグラナダのアルハンブラ宮殿にはびっくりしたが、ラヴェンナもそれに匹敵するほどで、規模の大小はあるが、どの教会のモザイクも見事だった。
お目当てのヌオヴォ聖堂の壁画は双眼鏡で見てやっとわかる。上段左から2番目にあった。確かに皿の上には魚が二匹。実物を見られるのは嬉しいものだ。
サン・ヴィターレ聖堂と同敷地内にあるガッラ・プラチーディア霊廟のモザイク壁画には圧倒される。
ネオニアーノ洗礼堂を見て、サン・フランチェスコ聖堂へ。ここにはダンテの霊廟がある。政争に敗れフィレンツェを永久追放になったダンテだが、その後、ラヴェンナに住みつく。今更だろうに、フィレンツェはダンテの遺骨を返してほしいと申し入れているが、ラヴェンナは応じない。それでも霊廟の天井につるしてあるランプの油だけはフィレンツェから取り寄せたものを使っているとか。
7月22日(火) フィレンツェ市内
バス一日券を有効活用。
・サンマルコ美術館
サンマルコ修道院内の美術館。フラ・アンジェリコの壁画「受胎告知」がある。修道士の暮らしていた狭い独房がずらりと並んだ僧坊は見応えあり。ここの修道院長だったサヴォナローラの部屋もある。
ドミニコ会士のサヴォナローラ(1452-1498)はフィレンツェの腐敗やメディチ家の独裁支配、果ては教皇に対してまで批判を向けるようになり破門され、やがて共和国に捕えられて焼き殺される。
彼の生涯は実に強烈で、興味深いものがある。彼の処刑された場所を示す丸いプレートがヴェッキオ宮殿前のシニョリーナ広場にある。
・中央市場で定番のお土産バルサミコやオリーブオイルを買う。
・アカデミア美術館
ミケランジェロのダヴィデ像を見るための行列がすごい。私たちは予約を入れておいたので、すぐに入れた。
ダヴィデ像はミケランジェロの傑作の一つとされているし、どれほど多くの美術評が書かれているかを思えば、ここで何も書くことはない。にもかかわらず、素人の私としては「?」をつけたい。
ミケランジェロはこの仕事を途中から引き受けたそうで、大理石の大きさ、おおまかなポーズはすでに彫られていたらしい。それを考えれば気の毒な気もするが、どう見てもダヴィデがゴリアテに襲いかかる直前の躍動感というものが感じられない。あまりに端正なダヴィデであることが気になる。ダヴィデが持っている投石器のバンドも前から見ると、湯上りタオルを肩にかけたみたいに見える。
・オフィチーナ・プロフーモ・ファルマチェティカ・ディ・サンタマリアノヴェッラ薬局
なんと長い名前だ。世界最古の薬局の一つと言われている。1200年代、ドミニコ会修道院が園内で栽培した薬草を使って薬、香油、軟膏などを作っていたが、17世紀初めには薬局として営業を始めている。
建物の外観は立派。今は主に香水、クリームなどを扱っている。日本人もいい顧客なのだろう、日本語の品名リストも置いてある。日本でも通販で扱っている知る人ぞ知る高級品らしい。
7月23日(水) フィレンツェからローマへ
・ピッティ宮殿内パラティーナ美術館を見て、ボーボリ庭園へ。
以前、ボーボリ庭園で見た奇妙な噴水「亀に乗った道化師(?)」が忘れられなかった。あれは何だったのだろうとずっと思っていた。昔はネットで情報探しなんてできなかったのが、今はありがたいものだ。この噴水、ルネサンス期のけっこう有名な彫刻家ヴァレリオ・チーゴリによる亀に乗った「バッカス」なのだそうだ。絵葉書にもなっているほど有名な噴水なのだが、かなりグロテスク。
・ミケランジェロ広場
広場にはベッキオ宮殿前と同じダヴィデ像のレプリカがある。ここは見晴らしがいいので、観光客も多い。
夕方の電車でローマへ。チェックインしたあと、そばのサンタ・マリア・マッジョレ大聖堂まで散歩。ローマ4大バジリカ教会の一つだそうな。確かに大きい。
7月24日(木) ヴァチカンとローマ市内
・ヴァチカン美術館とシスティナ礼拝堂
予約したほうが絶対にいい。日本語のオーディオガイドあり。
口をあんぐり開けて見上げる膨大な数の天井画。ラッファエロの「署名の間」の片隅にそっと描かれたラッファエロ自身の自画像。廊下の端にしつらえてある名札付きの戸棚は何なのだろうと不思議だったので、係員に尋ねたら、司祭たちの本箱だという。
システィーナ礼拝堂のお馴染みミケランジェロ「最後の審判」と天井画の「天地創造」でも首を上げっぱなし。
・サン・ピエトロ寺院
炎天下、かなりの行列。カトリックの総本山だけのことはある。無料だが、荷物チェックがある。寺院への入口の床に鍵のプレートがはめ込まれている。これはマタイ福音書(16:19)に「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます」(日本聖書刊行会訳)に由来する。これをもってカトリック教会はペテロを初代のローマ教皇としている。ところがこの文言はマタイ福音書にしか載っていない。他の4福音書にはないのである。このことについて宗教学者たちの解釈がいくつもあり、それはとても面白いのだが、ここでは触れない。
さて、この寺院にはクーポラという丸屋根の塔があり、そこは展望台になっている。約550段の階段を登るのだが、200段まではエレベーターがある。これについて注意しておきたいことがある。この回路は一方通行になっている。つまりエレベーターから降りたら300段登って上まで行って降りると、そこには別な降り専用のエレベーターがあるというのだ。
私は足が痛くなったので、あと300段は無理かもしれないと思い、娘だけ上に行き、私はここで待っていることにしようとしたが、娘はここには戻ってこられないし、ここのエレベーターも昇り専用だから降りられないということになる。なにがなんでも300段登って降りるということらしい。
で、どうしたかというと、私はエレベーターの係員に正直に足が痛いと言ったら、なにやら電話連絡して娘と二人降ろしてもらった。エレベーターのチケット売り場にはこれは頂上までは行かないと書いてあるが、一方通行だとは書いてない。
足に自信がなかったら諦めること。エレベーター代は7ユーロもするのだ。
・ボルゲーゼ美術館
完全予約制で、2時間限定、総入れ替え。荷物は預けなければならない。財布、パスポート程度を入れるビニールの手提げを貸してくれる。カメラはオーケー。
ここは初めて。宮殿内部は実に広くて、見事な装飾。展示されている作品も半端じゃない。ラッファエロの「聖母子像」もよかったし、カラヴァッジオもよかった。ウフィツィで彼の「バッカス」を見たとき、頭を大きく飾る花束が鬘のように見えたせいか、とてもおかしな連想なのだが、芸者みたいに見えた。カラヴァッジオの描く少年の顔はみなこの「バッカス」に似ている。ただ、ここで見た「病めるバッカス」は実に気味が悪い。
ベルニーニの「ダヴィデ」像もある。ゴリアテに立ち向かう真剣な顔つき、投石器を構える腕の筋肉、力の入ったつま先、ミケランジェロにはなかったまさに戦うダヴィデだ。
ベルニーニはミケランジェロより100年も後に活躍した芸術家だ。ルネサンスとバロックの違いもあるだろうが、アカデミアで見たミケランジェロのダヴィデ像が今一つだったので、ベルニーニの作品には圧倒された。
特に「プロセルピーナの略奪」は目が点になったみたいにしばし見とれてしまった。写真を載せるが、この手と肌が大理石から彫られたものとはとても思えない。
7月25日(金) ローマ市内
乗り降り自由、何回乗ってもオーケーの市内観光バスのチケットを購入する。まずはテルミニ駅を出発し、どこにも降りずに一周する。約1時間。2回目は見たい場所で降りて観光し、次のバスに乗り・・・、こうして移動を繰り返す。最後にもう一周する。この方法はなかなかよかったと思っている。一人16ユーロだからお得。
バスから撮った松の木についてだが、このような唐傘のような松を傘松と言って、ローマでよく見られる。初めてみたとき、このような松の木って日本で見られるのだろうかと 思った。今回、バスを降りたとき、そばの松の木をよく見たら、下のほうの枝が伐採されていた。それで残った上の枝葉が傘のように見えるだけなのかなと思ったが、そうでもないらしい。 よく調べてみよう。
ベルニーニ製作の「4大河の噴水」がある広場に面したレストランで食べたラザニアがことのほか美味しかったので、写真を1枚。
・パンテオン
前に来ているはずなのにすっかり忘れている。柱の並んだ正面と円形の内部のコントラストが絶妙。丸屋根の天井の頂上は丸く開いている。雨が中に入ったとき用の雨水を流す穴が床にあるのは面白い。ここにはラッファエロの墓がある。
・トレビの泉
現在工事中で泉の水はなく、ほとんどの彫刻はシート付き足場で見えない。でも、ここはローマ観光には欠かせない名所ということで、なんと乾いた泉の上に木の橋を作り、観光客はそれを渡る。ここも行列だった。昔、後ろ向きでコインを投げてきたので、また来ることができたのかな。
明日は娘と一緒にドイツへ戻る。飛行機の出発が早いので、市内のホテルは引き払って、ローマ空港に唯一あるヒルトンホテルに移動する。
そういえば、「スタンダール症候群」という言葉があるのを初めて知った。スタンダールがフィレンツェの聖堂や絵画を見ているうちに、至福感と同時に激しい動悸に見舞われて卒倒しそうになったそうで、それを著書に書いたところ、フィレンツェを訪れる観光客にも同じような症状が見られるらしく、フィレンツェの心理学(精神科)の医師がそういう症状を「スタンダール症候群」と名付けたのだそうな。
膨大な壁画や見事な天井画を首を反らせて見続けるので、頸部動脈が圧迫されるからだという説、あるいは、できる限り多くの芸術作品を見ようという強迫観念にかられて、観光する余裕を失い、頭痛などの症状を引き起こすのだという説もある。
この二つの説のどちらも納得できる。私は幸いこのようなシンドロームには罹らなかったが、もう少し長く滞在していたらわからない。それほどフィレンツェやローマでは首を反らし続けたし、「あー、あれも見たい。これもまだ見てない」と思ったりもした。
7月26日(土) ローマからフランクフルト経由でハンブルクへ
フランクフルト市内でお土産を買い、中央駅で娘は空港へ。私は電車でハンブルクへ。
夜、友人のアンゲリカと会って、韓国料理の店で夕食。
7月27日(日)~ 8月2日(土) ハンブルクからミュンヘンまで
27日と28日は一人でのんびりハンブルクを散策し、28日の夜に仕事関係の人たちと落ち合う。
今年の春からあるプロジェクトにかかわることになった。その下調べにやってきたグループに同行する。詳しい報告は改めてここにアップするつもりでいるので、今回の報告はここまで。それでも回った町だけは挙げておく。
・ハンブルク ・ヴェアニゲローデとブロッケン山 ・ザバブルク
・シュルヒテルン ・ゲルンハオゼン ・ローテンブルク
・シュパイヤ― ・フェーリンゲンシュタット ・イプホーフェン
ミュンヘンに着いて仕事は終了。打ち上げはラーツケラーで。プロジェクトの成功を祈って乾杯!食べて、飲んで、おしゃべりして・・・
8月3日(日) ミュンヘンから羽田に
帰国便が夜なので、ほぼ一日時間がある。それでもう一度行きたかったケンプテンに行くことにした。ドイツ最後の魔女と言われているアンナ・マリーア・シュヴェーゲリンの裁判が行われた町である。
彼女は1775年に処刑されたと伝えられてきたが、現地の高校の教師が実は彼女は処刑されたのではなく6年後に獄死したという記録を発見した。このことが新聞で大々的に報じられ、たまたまケンプテンを訪れていた私はその新聞記事を読んでかなり興奮したのだった。1998年春のことである。
裁判が行われた宮殿の部屋や彼女が獄死した牢獄などをいつか見てみたいと思っていたので、今回の旅の最後に行ってみようと思った。
ケンプテンのHPを見ると、月に何回か市のガイドによる「魔女ツアー」が行われている。しかし、今回は無理なので、個人でもそれらの場所を見られるのかどうか観光局に問い合わせたが、返事がないままになっていた。
ロココ様式の大きな宮殿。内部はガイドによる案内でしか入れない。天井に描かれた豪華な壁画。たくさんの部屋の壁を飾るたくさんの絵画。でもガイドではアンナのことには一切触れなかった。私はそれが見たかったのだとガイドに告げるが、彼女はよく知らなかった。
宮殿のそばにある郷土博物館でアンナの本を売っているから、それを読んだらと言われ、ガイドが終わったら、親切にも彼女のご主人(交代でガイドをしているらしい)が案内してくれた。記録を発見した教師が書いた本で、彼は今や大学教授になっていた。帰ってから読もう。私の知りたいことが書いてあるといいのだが。
ミュンヘン空港のレストランでいつも食べるジャーマンポテト。これは美味。ヴァイツェンビーアと一緒に味わい、これをもって、しばしドイツとお別れ。
何度見てもいいのがウィーンの美術史美術館とミュンヘンのアルテ・ピナコテーク。ということで、今年の春の旅行は羽田からフランクフルト経由で、ウィーンへ。その後、ドイツへ入り、もちろんヴァルプルギスの夜を見て、南下し、ミュンヘンから羽田へというコースにした。メモ書き程度と思って書き出したが、それなりに長くなってしまった。
4月22日(火)
夜の羽田発ヨーロッパ便はフランクフルトには翌日の早朝着になるが、乗り継げば昼にはヨーロッパの主な都市に着けるので便利。
4月23日(水)
ウィーン空港からバスを利用。ドナウ運河そばのモルツィンプラッツが終点。ホテルはそこから歩いて5分ほど。地下鉄もバスもトラムもすぐ近くとあって、地の利はグー。
ホテルは安いから仕方ないとしても、簡素さを通り越していた。しかし、エレベーターは旧式だがちゃんとあるし、タオル類は実に上質で清潔。従業員も驚くほど親切。最後の日は朝早い出発だったが、すごい量のランチも作ってくれた。しかも5泊したが、ずっとチップは取らなかった。ここはそういうホテルだと最初からわかっていれば、また泊まってもいいかなと思った。
75時間乗り物フリーのチケットを買う。ともかくここはウィーンということで、ホテル・ザッハーでザッハートルテとメランジェで一休み。
その後はアルベルティーナ美術館で夕方まで。ここはデューラーの「野兎」で有名。私のお目当てはハンス・バルドゥング・グリーンの絵二枚。
今日から1週間、ウィーン国立歌劇場のライブ中継が外壁にしつらえた大きなスクリーンで見られる。今日は「バラの騎士」、5時から席を確保する。だが所詮街頭スクリーン、おまけに私は飛行機乗り継ぎのままウィーン到着だったので、眠くなってしまい、一幕だけ見て、ホテルに帰る。
4月24日(木)
美術史美術館で一日過ごす。いい絵を見れば心安らぐ。ホテルそばの駅に戻ったら、ものすごい雷雨。傘を持っていかなかったので、小降りになるまで駅の屋根の下でぼんやり。 美術館以外どこへも行かなかったが、充実した一日。
4月25日(金)
・レオポルト美術館へ。
エゴン・シーレの作品が多かった。
・ゼセッションへ。
前に来ているが、確かクリムトのベートーヴェンフリースという壁画があったことしか覚えていないので、もう一度。ところが覚えていないはず。ここにはこのフリース(帯状装飾フリーズ)しかなかったのだ。受付で確かめると、「そうなんです。クリムトならベルヴェデーレにあります」ということだった。ただし、このフリースは面白かった。撮影禁止。
・ナッシュマルクトへ。
こういう市場は見るだけで面白い。
・中央墓地へ。
第二門から入った名誉区という一画(32A)にヨーハン・シュトラウス、シューベルト、ベートーヴェン(墓碑はヴェーリング東墓地にあったものをそっくり模倣したもの)、モーツアルト(記念碑)などあり。その他、入口近くの壁づたいにあのサリエリの墓もある。
「第三の男」のラストシーンで確かこの墓地の小道を歩くシーンがあったが、どの道かわからなかった。後で知人に教えてもらったが、第1門から入った東西に伸びる並木道(末端にはソビエト兵の慰霊碑がある)だそうだ。
いつかまたウィーンに来ることがあったら、この並木道やモーツアルトの記念墓碑のあるマルクス墓地を見てみたい。
4月26日(土)
ベルヴェデーレ上宮の美術館で一日過ごす。ここのオーディオガイド、日本語あり。とても詳しくて内容もよかった。たっぷり堪能。
帰りにドナウインゼルで下車して、ドナウ川の岸辺でぼんやり。
4月27日(日)
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世と皇后エリーザベト(シシィ)の息子レーオポルト皇太子が男爵令嬢マリー・フォン・ヴェッツラ(当時16歳)と心中したマイヤーリング事件(1889年)の舞台、マイヤーリングへ行く。
この事件についてはクロード・アネの小説『うたかたの恋』やその映画化などでよく知られているが、心中の真相はいまだわからないようで、20世紀になると暗殺説もでてくる。
たまたま今年1月にアメリカのテレビドラマ「マイヤーリング」が東京六本木で上映されたので、観に行った。なんと主役はオードリー・ヘップバーンとメル・ファーラー。
マイヤーリングにはSバーンでメードリングまで行き、そこからバス。だが、このバスは2時間に1本。一電車乗り遅れてしまったので、バスは出たばかり。ぼんやりベンチに座って次のバスを待つ。
バス停はアルテス・ヤークトシュロッス。心中事件の舞台だった狩猟館はバス停前で今はマイヤーリング・カルメル派修道院。
中に入ることはできるが、何か特別なものが見られるわけではない。事件についての説明と写真を載せたパネル。令嬢の棺(どこからかもってきた)程度。
だが、満足。快晴の田園風景にうっとりしながら帰りのバスを待つ。
市内に帰りついてから、造形美術絵画館へ。ルノワールやクラナッハ、レンブラント、モネなど展示品は数多いが、私の関心を引くものはなかった。ただ、クリムトやシーレが通った美術学校に併設された美術館ということで建物だけでも見られてよかった。
夕食はウィーン名物のパラチンケン(クレープのようなもの)を食べに行く。以前、ウィーンの屋台で初めて食べ、その後、知人に連れていってもらったミュンヘンのレストランで食べたことがあった。とても美味しかったので、期待していた。しかし、思ったほどではなかったのが残念。
4月28日(月)
ウィーンからハンブルクへ。ジャーマンウィングスという飛行機に初めて乗った。コーヒー一杯でも買わなければならない格安航空会社だが、ルフトハンザで予約したからか、運賃も安くなかったし、朝食も飲物も出てきた。機種だけということもあるのだろうか。
ハンブルクのホテルにチェックインしてから、ハンブルク駅構内で花を買い、リューネブルクに向かう。リューネブルク駅前からバスでキルヒゲレルゼンという村に行く。この村は私にとって特別思い入れのあるところ。ここで知り合った多くの知り合いが今はみな鬼籍に入ってしまった。おそらく私の墓参も今年で最後になるかもしれないと思い、みんなにお別れをしてきた。
ハンブルクに戻って、夜、友人のアンゲリカと会う。和食を一緒しようということになり、「だるま」という店に行く。30年も当地でお店を続けているご夫婦の店。メニューは大根おろしにシラスといったごく一般的な家庭料理。値段も高くない。知っておいていい店だと思った。
「モラヴィア」というビールがお勧めと言われて飲んだ。とても美味しかった。モラヴィアだったらチェコ産かと思ったら、ハンブルクの地ビールだそうで、ほかではまず手に入らないそうだ。
4月29日(火)
「ドイツで唯一川の中にある教会」というキャッチフレーズに惹かれて行く。ハンブルクのエルベ川運河に並ぶ倉庫街にあるという。残念ながら6月まで改修工事だった。だが、その場所はすぐにわかった。青い箱で覆われているが、屋根に錨と十字架を組み合わせたものが乗っていた。この倉庫街なら何度も来ているのに気が付かなかった。
夕方ヴェアニゲローデに着く。友人のゲルディが車で迎えに来てくれた。ホテルでチェックイン。同じホテルに仕事関係の知人Nさんがすでに到着していて、初顔合わせ。私はハルツの案内役。一緒に市内散策し、夜は再びゲルディもやってきて3人で夕食。
4月30日(水)
SLでブロッケン山へ。「今日はヴァルプルギスの夜でしょう?どうしてこんなに人が少ないの?」Nさんの疑問はもっともである。
昨年も同じだった。肝心のシールケ駅も閑散としていて、例年飾る大鍋と魔女の人形も 見えない。まだ午前中だからじゃないかと思うが、昨年あたりからどうも様子がおかしい。
今年は久しぶりにへクセンタンツプラッツの祭りに行くことにしたので、どうだろうかとちょっと不安。
山頂で食べたジャガイモスープが美味しい。
時間の関係で、下りのSLはドライアンネンホーエンという駅で降りる。駅前からバスでヴェアニゲローデまで。そこからバスでターレまで。ターレのインフォメーションで祭りの会場まで行くゴンドラあるいはバス往復付き入場券を買う。さすが、観光局の人たちは魔女や悪魔に扮して張り切っている。
ヘクセンタンツプラッツの会場はようやく始まったばかり。それでも雰囲気が出始めていた。これなら大丈夫かとちょっとばかりホッとする。
それでも駆け足の観光だ。今宵はあと2つほど見なければならない場所がある。7時頃にターレに降りて、そこからバスでヴェアニゲローデに戻る。ゲルディの車でベンツィンゲローデという小さな村に連れていってもらう。この村は初めて。
ゲルディのお孫さんのレアちゃんは小さいときからヴァルプルギスの祭りに参加している。ヴェアニゲローデ城の祭りの魔女コンテストで2度優勝し、一昨年からはフォイヤーショー(火を使ったショー)に出演。今年はベンツィンゲローデでおおがかりなショーを見せるのだという。素晴らしいショーだった。ここに動画を載せることができず残念。
次はヴェアニゲローデ城での祭り。バルコニーから見下ろす市内の眺めはいつ見てもいい。夜はイルミネーションがうっとりするほどきれい。
5月1日(木)
今日もゲルディの車でミヒャエルシュタイン修道院に連れていってもらう。昨年と同じくここの付属薬草園と野菜園の案内が目的。今年はドイツは一度も雪が降らなかったらしく、暖冬だった。そのためか、春の訪れも早く、どこもかしこもまっ黄色の菜の花、栃の木の白い花、ライラックの紫色の花が見事だった。
修道院からバウムクーヘンハウスへ。お茶してお土産にバウムクーヘンを買う。そのままヴェアニゲローデの駅まで行き、ゲルディとサヨナラ。いつもいつも親切に世話してくれる彼女に心から感謝。
Nさんとゴスラーへ。由紀子さんと待ち合わせ。Nさんを市内案内してくれる。由紀子さんにはいつも感謝。
夕方、3人でアレックスの家に。いつも庭でバーベキューをしてくれるが、今日は生憎の雨。居間で美味しいご馳走とワイン。お嬢さんのテレザが学校の交換旅行でフィンランドに行っていて会えなかったのが残念だった。
面白いことがあった。(私の)見知らぬ女性が居間に入ってきて、レオナルト(アレックスの息子さん)の髪の毛を切りはじめた。いったい何が?聞けば、ヘーそういうことってあるんだとびっくり。
青少年の薬物対策の一つとして、若者の毛髪検査をするらしいのだが、一切そういうことに関係ない(無菌)と思われる少年の毛髪を見本として採取するらしく、それにレオナルトが選ばれたのだそうだ。日本でもそのような検査ってしているのだろうか。
アレックスはもともと音楽家だが、出版社も経営し、自分の作品を出版している。特にドイツの著名な歴史上の人物を扱ったガイドブックは優れもの。見やすい折りたたみ形式でたくさんの写真と質の高い解説をつけたものである。
昨年はフードリヒ大王を扱い、私はポツダム宮殿のショップで見つけて誇らしかった。今年は『ルターとその時代』を上梓した。アイゼナーハやアイスレーベンで扱われるはず。見かけたら手に取ってみてほしい。
毎年5月1日に私を待っていてくれるアレックスと彼の家族に感謝。
5月2日(金)
ちょっとした用事で再びハンブルクへ。そのあと、ハノーファーでドイツ在住のCさんと6年ぶりに会う。変わらずエネルギッシュに生きている彼女に会えてうれしかった。
二人で州立博物館を見る。私の好きなフリードリヒ・カスパーの連作「朝、昼、晩、夜」が見られてご機嫌。
Cさんと遅いランチを食べ、夕方に別れる。私はそのままカッセルへ。
5月3日(土)
午後2時に知り合いのブリギッテと会う。カッセル市内の繁華街にザバブルク城の土産ものを売っている店がある。バラ茶ならザバブルク城のものが一番と思っているので、ここで「バラ茶」を買う。
ついでに、そばのスーパーでマイボウレという春の飲物を買う。マイボウレはワインにクルマバソウの葉をつけこんだいかにも春らしいさわやかな飲物である。1リットルのビンしかなかったが、知り合いに買ってくると約束していたので、荷物になるけど買う。
その後、ブリギッテの車でカッセルから1時間ちょっとのところにあるフリッツラーに行く。何度も来ているのだが、また行ってみたくなる町である。
ここには中世の外壁と見張り塔がいくつもしっかり残っている。その塔の一つデア・グラオエ・トゥルム(38メートル)には魔女迫害についてのパネルや拷問道具が展示されている。
マルクト広場でお茶する。もちろん今が旬のラバーバークーヘン(ルバーブのケーキ)とコーヒー。大きなケーキだが、ペロリと食べてしまう。ブリギッテはとても親切な女性で、いつも私を歓待してくれる。
そのあと、聖ボニファーティウスのオーク切り倒し事件の現場と言われているガイスマル村に立ち寄り、8時にウッフェルマン氏と合流し、3人で食事。ウッフェルマン氏から面白い話を聞く。聖ボニファーティウスのオーク切り倒し事件は本当は今日訪れたガイスマルではなく、別なところだということがわかり、かなり証明されているのだという。それだったら大変。今年の夏はそこへ行ってみないといけない。
5月4日(日)
カッセルからニュルンベルクへ。
・デューラーの家へ。
日本語のオーディオガイドもあり、前に来た時よりも少し見応えがあった。
・ゲルマン博物館へ。
時間が足りなくて残念だった。何度来てもいい。一日かけてもいい。
5月5日(月)
ニュルンベルクからアイヒシュタットへ日帰り。ここは3度目。目的はヴァルプルギスの夜の名の由来と言われている聖ヴァルプルガの修道院で「奇跡の水」を買うことと、いまもまだこの町に「魔女横丁」という名前の横丁があるかどうかを見てくること。
ヴァルプルガはハイデンハイム(南ドイツ)で亡くなるが、数年後、その遺骸は取り出され、彼女の兄ヴィリヴァルトが初代司教となったアイヒシュテット大聖堂のそばの修道院に葬られる。すると、その棺の置いてあるところから水が湧き出てきた。この水は足の悪い人にとてもよく効く奇跡の水なのだそうだ。
前にここを訪れたとき、受付の尼僧に「ここへ来たくて日本からやってきました」と話したところ、「ちょっと待ってね」と言って、奥の方から小さなビンをもってきてくれて「差し上げます」と言われた。その水、ずっとそのままにしていたらいつのまにか蒸発していた。
そこで、今度の旅行前に足を痛めてしまった私と、足が悪い知人とに買っていこうと思ったのだ。ところが修道院のショップを見ても置いてなかったので、尼僧に尋ねたところ、今度も「ちょっと待っててね」と言って、奥の方から持ってきてくれた。「これは売り物ではないのです。水はわずかしか採れないのでね」と言われた。
そう言われては2つ欲しいとは言えず、知人には悪いけど、自分用にいただいた。さて、効くかどうか、蒸発する前に試してみよう。
「魔女横丁」は健在だった。小さな戸口はあるが、表玄関ではないので、住所としては使われていないと思う。なぜこんな名前になったのか、インフォメーションの若い女性に聞いたが、「わかりません」。それでは困るんだけど。
この町には1629年に274人の魔女を処刑したという記録が残っている。ヴュルツブルクと双璧をなす魔女迫害のひどかった町だったのである。おそらくかつて魔女とされた人々がここを通って裁判所に曳きたてられていったのだろうと私は推測している。
5月6日(火)
ミュンヘンに移動。日本でホテルを予約したのだが、駅近くどころかほとんどのホテルが満室あるいはいつもの3倍から4倍の値段になっていた。あまりの高さに3泊する予定を1泊に変更し、あとはニュルンベルクにした。この1泊、朝食付きで210ユーロ。3万円弱。
どうやらミュンヘンは秋のオクトーバーフェストだけでは足りず春祭りを始めたようだ。5年目というから私が知らなかっただけ。4月中から5月10日あたりにミュンヘンのホテルを予約するのは要注意だ。
アルテ・ピナコテークへ。現在改修中で一部見られない部屋があったが、有名な絵は見られるように引っ越ししていたので、不満はなかった。というより、大満足。どこへも寄らずにホテルへ戻る。
5月7日(水)
今日は雨。荷物をホテルに預けてレーンバッハ・ギャラリーへ。ここはお勧めの美術館だ。フランツ・マックスの「青い馬」の前には学芸員の説明に耳を傾ける小学生のグループ。なかなか動かない。カンディンスキーの作品はここが一番多い。
外は相変わらず雨だが、ドイツ博物館へ。乗り物好きな人にはたまらないだろうが、私はここの薬事コーナーだけ見られたらよし。入口に服を着たマンドラゴラが相変わらず吊るしてあるかどうかの確認だけしたかった。変わらず。
夜の便で羽田へ。機中で映画を見るのが楽しみな私です。行きはディズニーの「アナと雪の女王」。帰りは次の2本。
・「ペコロスの母に会いに行く」
認知症役の赤木春恵がよかった。監督森崎東はなん と85歳だそうな。
・同じく、82歳の監督山田洋二の「ちいさなお家」。
黒木華がよかったし、松たか子もよかった。とくに倍賞千恵子がよかった。私は「男はつらいよ」のさくら役しか知らなかったが、昨年、廃校をテーマにした「ハーメルン」を見て、びっくり。こんないい演技のできる役者だったのかと見直したばかりだった。
まずまずの旅だったわ
義兄のお見舞いで大阪へ。そのあと娘の住む松山まで足を伸ばした3泊4日の旅行。行きは新幹線。帰りは松山から飛行機で。国内航空券のあまりの高さにびっくりし、初めて格安航空ジェットスターを利用してみた。3分の1の料金で済んだが、成田着しかなかったので、飛行機に乗っている時間より成田からのバスのほうが長かった。
倉敷、松山、大三島で見たことについて簡単に記しておきたい。
3月30日(日)
前夜は大阪の親戚の家に泊めてもらう。9時26分の新幹線で新大阪から岡山へ。岡山から在来線で倉敷へ。夕方の電車で松山に向かうので、倉敷はお目当ての大原美術館のある美観地区だけ。
倉敷紡績を経営する大原孫三郎(1880-1943)から経済的な支援を受けていた画家児島虎二郎(1881-1929)は西洋の優れた作品を日本に紹介したいと大原に訴え、絵画収集のために西洋に行かせてもらう。
彼はパリで精力的に絵の収集をするが、若くして亡くなる。大原は児島が集めた絵および児島の作品を公開するために美術館を設立。これが大原美術館である。第二次大戦後は大原の息子が西洋の前衛的な絵や日本の洋画も収集する。
エル・グレコ、モネ、ゴーギャン、マティスルノワール、ピサロ、ピカソ、ブラック、ルソー、ミレー、モディリアニ、ロートレック、モロー、セザンヌ、ムンク、佐伯祐三、梅原龍三郎、岸田劉生など、すばらしい画家たちの作品が揃っている。
面白いのは、それらの絵につけられた説明だった。作品の解説ではなく、児島がその絵をパリでいかに苦労して入手したかが書かれている。ときには個人的に面会し描いてもらったりしたとか、高額になるがよろしいかと大原に連絡したとか、大原は具体的な金額を聞くことなく児島に任せたとか・・・これが実に面白い。
私が大原美術館に行きたかったのはモローの絵「雅歌」が見たかったからである。画集で見たものとは別物かと思う程に色が鮮明で強烈だった。どんな絵もそうだろうが、特にこの絵の色は実物ではないとダメというものがある。私はフェルメールの「真珠の耳飾りの女」を見たときにそれを強く感じた。モローのこの絵もそうだった。私はとても満足して倉敷を後にした。岡山からしおかぜ号で松山へ向かう。
3月31日(月)
駅前のレンタカー店で車を借りて、しまなみ海道へ。今治から瀬戸内海に浮かぶいくつかの島を橋でつなぐ尾道までの海道である。今回は大島、伯方(はかた)、大三島(おおみしま)へ続く橋を3つ渡った。
目的は大三島にある大山祇神社(おおやまづみ)である。山や海、戦いの神、大山積神を祀っている。伊予の一宮で、三島神社や大山祇神社の総本社である。
「つみ」と読ませる祇(ぎ)は「土地の神、くにつかみ」という意味らしいが、延喜式神名帳(927年にまとめられた官社に指定された全国の神社の一覧)でには大山積神社と書かれていたという。扁額にも大山積神社とある。いつどうしてこうなったかはわからないらしい。
境内には樹齢3000年の神木楠を筆頭に生きているのもあるが枯れても堂々としている楠がそびえている。このあたりにある38本の楠は「大山祇神社のクスノキ群」として国の天然記念物に指定されている。
国宝館に展示されていた刀や鎧はほとんどが国宝か重文というもの。国宝の刀や鎧の8割がここにあるという(ウィキでは4割と書いてあったが)。源平の武将たちが武運長久を祈って武具を奉納。義経や頼朝奉納の刀もある。長さ2メートルもある太刀で戦ったのだ。
もう一つ海事博物館が併設されている。ここで見たガンギエイの干物にはびっくり仰天。マンドラゴラの比ではない。知る人は知っているようだが、私は初めて見た。エイを下から見ると確かに人間の顔に似ているが、この干物は顔ばかりでなく全体が人間の姿とそっくりで、顔はエイリアンのよう。ともかくもびっくり仰天だった。
YouTubeに載っていた動画を借用した。伊勢神宮のおかげ横丁で見たという。昨年、おかげ横丁に行ったのに、気が付かなかった。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=snpXRA-JxOQ
ところで通り過ぎただけの伯方島(はかた)だが、例の伯方の塩で有名なところだ。この塩の原材料天日塩はオーストラリア産だったということを初めて知った。天日塩(てんじつえん)は簡単に言うと、海水を乾燥させた純粋な結晶塩で、煮詰めたりしないもので(違うかもしれないが)、日本ではできないそうだ。塩を買うときに表示を見てみるとわかる。
多々羅しまなみ公園(大三島から生口島(いくち)へ渡る多田羅大橋のふもと)にある道の駅で昼食をとる。ここでマハタという幻の魚が食べられるという。スズキの一種だが、なかなか獲れない魚だそうだ。調理して真空パックで12000円という高価なもの。1皿1600円の薄つくりを注文する。これがシコシコして実に美味しい。東京では入手可能だろうか。高級料亭だったらあるのかな。
大三島から松山に戻る。道後温泉のそばにある道後公園の桜が勢いがあって見事だった。
4月1日(火)
松山空港でじゃこ天を買い、チェックイン。30分遅れて出発。初めて乗るジェットスター。通路が狭い。アナウンスも持ち込みのお酒は栓を開けないようにとか、なんとなく言っていることが格安だなあと思う。しかし、これで9千円もしないのだからよしとするか。
成田から京成バスで我が家のある駅まで。ちょうど今日から消費税8パーセントに。これまで3000円だったバス代が3100円になっていた。
今回の旅でも私の知らなかったことをいろいろ知ることができて意義があった。機会があれば松山から尾道まで通しで行ってみたい。三島水軍や村上水軍の歴史館も見てみたい。心配だった義兄が元気であったし、頑張って生活している娘にも会えて、よい旅だった。