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今夏の「メルヘン街道こだわりの旅ツアー」は申込者不足で催行されなかったのだが、2名の方がツアーを楽しみにしていたので、ツアーではなく私個人の旅行に同伴するという形でいいだろうかと提案。
本当なら、ツアーが終った後、拙著新刊『ドイツメルヘン街道夢街道』の取材でお世話になったドイツの知人たちに会ってお礼を言うスケジュールを組んでいた。そこで予定を変更し、二人には、勝手ながら知人訪問に付き合っていただきながら、ツアーのスケジュールに沿って案内するということで了解をいただいた。というわけで前半は女性3人の旅である。後半は娘とオランダからドイツへという旅程を組んだ。
*写真掲載予定
8月16日(火) 成田―フランクフルト
ツアーの出発日は18日。私は航空運賃の安い16日発をすでに取っていたので、一足先に出発。この日はフランクフルトに宿泊。今回はいつも泊まる駅そばのホテルと同じ駅のそばでちょっと安めのホテルを予約してみた。新しいホテルも開拓したいと思ったからだ。しかし、いつものホテルのほうが部屋も朝食もはるかによいということがわかった。
フランクフルトから電車でブレーマーハフェンまで行く。今年の春から新しくメルヘン街道に参入したブレーマーハフェンでお世話になったベーアマンさんに会う。ベーアマンさんとのことは今年の春の旅行記で紹介している。
この日はここで1泊する。春にはブレーメンから日帰りしただけだったので、惜しい思いがあったからだ。昼過ぎに着いて、彼女との約束の18時まで港を見てまわる。
春に見られなかった「海外移住者の家」へ真っ先に行く。1825年から1974年までここから海外へ渡航したドイツ人は7百万人になる。その7割がアメリカ大陸へ渡った。海外渡航する理由は時代によって異なるが、ドイツの歴史とむすびついていることがよくわかる。
展示の一つに、何万人もの乗船名簿が入った引き出しがある。引き出しの半分ほどは自由に開けて、中の名簿を見ることが出来る。
森鴎外の恋人とみなされたエリスもここから香港経由で横浜にやってきたという。ブラウンシュヴァイク号の1等船客だったそうで、この船は船舶博物館で見られる。
8月18日(木) ブレーマーハーフェン―フランクフルト
午前中は港に浮かぶ本物のUボート内を見せる博物館に入る。船のことなどなにも知らないので、機械や鉄管が縦横無尽に走る船内を見ても、船にはとんと無知な私には猫に小判なのだろう。
昼過ぎにブレーメン空港まで行く。初めての空港だった。ブレーメン駅から市電で17分という近さにびっくり。14時45分発の飛行機でフランクフルトへ。16時35分にSさんとHさんが無事元気に到着。そのまま電車でゲッティンゲンまで行く。
ゲッティンゲンに3泊し、日帰りでメルヘン街道のいくつかの町を見る予定。
8月19日(金) エーバーゲッツェン 日帰り
エーバーゲッツェンは絵本『マックスとモーリッツ』の作者ヴィルヘルム・ブッシュが幼年時代を過ごした村である。ゲッティンゲンからバスで30分弱。同じ村にあるパン博物館にも寄る。昨日までは寒くてフリースを着ていたのに、暑さがぶり返したようだ。
一端ホテルに戻り、お世話になったギュンターさんと会う。彼女はパートナーのニーマイヤーさんと一緒に元気に現れた。典型的なドイツ料理の店を紹介してとお願いしていた。連れて行ってくれた店はまさに典型的なバイエルン風ビアホール。ハルツの町でもバイエルン料理の店が出来たと聞いた。北ドイツでもバイエルン料理は人気があるのだろうか。
8月20日(土) エッシュヴェーゲ―バート・ゾーデン・アレンドルフ 日帰り
エッシュヴェーゲはメルヘン街道の町ではない。木組みの家街道に入っている。名前にたがわず木組みの家が美しい町である。
取材のために昨年の夏と今年の春に訪れて、ツーリストインフォメーションの方々にお世話になったので、拙著を持っての三度目の来訪である。
この町をツアーに取り入れたのは、魔女迫害の時代に魔女の嫌疑を受け、処刑されたカタリーナという女性が4ヶ月間監禁されていた牢獄が残っていて、中を見ることができるからだ。
このあと、電車でバート・ゾーデン・アレンドルフへ。アレンドルフはシューベルトの「ボダイジュ」のモデルの地である。木組みの家がとてもきれいな町である。ちょうど秋祭りの日だった。帰国したら町主催のイベントを企画し、それにかかわっているHさんは参考になると喜んでくれた。
しばらく祭りを見て、ついでゾーデン側へ行く。塩水の流れ落ちる濃縮塩水装置が長く広がる様子を眺める。
8月21日(日) ゲッティンゲン―ザーバブルク―トレンデルブルク
電車でカッセルまで行き、いったん下車して駅そばのホテルへ。今日はここからラインハルトの森で1泊し、明日から2泊このホテルに泊まる。それで大きな荷物は預かってもらい、身軽になって出かける。ホーフガイスマルからバスでザーバブルク古城へ。ここで「優雅」にランチ。ここの薔薇茶がとにかく美味しいので、土産にたくさん買い込む。
タクシーでトレンデルブルク古城へ。ちょうど庭で「ラプンツェル」の劇(といっても10分程度)が行われていたので、それを見る。劇が終ると、子どもたちは王子様とラプンツェルの写真が載った絵葉書にサインをしてもらう。もちろん私たちもしてもらう。
さて、部屋に入ってびっくり。一昨年はそんなことなかったのに、なんと掛け布団を巻いてハート模様にしたものがベッドを飾っている。サイドテーブルには芯をくりぬいてすぐに食べられるようになったリンゴとケーキを乗せた皿もある。
この日の夕食は「ラプンツェル」の人形芝居を見ながらディナーというイベント付き。料理と料理の合間に芝居を見せてくれる。ディナーのデザートにはケーキの上にパン生地だろうか三編みの髪の毛をかたどったものが乗っている。
そういえば、門のそばの塔からは長いラプンツェルの髪が吊るされていた。「ラプンツェル」を全面に押し出して旅行者を呼び込もうとしているのがありありで、私としてはちょっと興ざめな部分もある。子どもは喜ぶかもしれないが、数年前までの落ち着いた古城のたたずまいと古い調度のある部屋だけでじゅうぶん楽しめたのに、なんか小道具が多すぎる。
8月22日(月) ホーフガイスマル―ハン・ミュンデン―カッセル
ホーフガイスマルからカッセル乗り換えでハン・ミュンデンに。観光局のヤーンさんに会って、拙著を届ける約束をしていた。ツーリストインフォの伺うと、地元の新聞社の方ケーニヒさんが待っていて、インタヴューと写真撮影。ケーニヒさんは王様という意味。初めて聞いた名前だったが、それほど珍しいというわけではないという。
この記者さんは女性だったので、ケーニギン(女王)さんだったらもっとよかったかもと思うが、姓なのだから、男の人の場合、「女王さん」というのも変だし。
このインタヴュー記事と写真は8月24日の新聞に載り、ヤーンさんが日本の自宅まで郵送してくれた。その手紙に、日本とつながりのある会社から、新聞を読んだので、日本に知らせたいので、本のISBMを教えてほしいという電話があったと書いてあった。ありがたことである。
おまけに、ヤーンさんは私たち3人にお昼を招待してくれた。私たちはとてもいい気分で町を散策し、夕方ハン・ミュンデンにお別れをした。
カッセルのホテルにチェックインし、しばし休息したあと、今度はカッセルのドイツメルヘン街道観光局のブレドウさんに会う。グリム博物館で待ち合わせをし、車でまずヴィルヘルムスヘーエ公園まで連れていってもらう。
今回は2人にぜひこの公園を見てもらいたかったのだが、スケジュール上、無理だと諦めていた。それを聞いたブレドウさんが連れていってくれたのである。ヘラクレス像のある建物から下のカスカーデンを見下ろす景色は何度見てもいい。2人もとても喜んでくれたので、私としても嬉しかった。ブレドウさんに感謝。
そのあと、ブレドウさんのお嬢さんと町中で待ち合わせして、一緒に夕食をとる。お嬢さんは京都の大学に1年間留学することになっている。本当は4月に来日するはずだったのだが、震災で9月に延びた。とても魅力的で可愛いブロンドのお嬢さんだ。おまけに日本語がとても達者。きっと実り多い留学生活ができるだろうと思う。
この旅行記を書いている現在、彼女は無事京都で学生生活を始めている。今のところ、困ったことはない、日本に来られたことをとても嬉しく思っているという安心するメールを送ってきた。
11月にはブレドウさんもドイツ観光局のイベントで日本へ来る予定。これも最初は5月だったのだが、11月に延びた。今度は私たちが二人を東京案内できると楽しみにしている。
8月23日(火) ホレおばさんの池 日帰り
カッセルからトラムでヘッシシュ・リヒテナウまで。ツーリスト・インフォメーションの女性に挨拶。ホレが池までのタクシー往復の予約をお願いしていたのだ。シュヴァルベンタールという見晴らし台からホレが池へ。しばし池畔にたたずみ、再び町へ戻る。
一昨年、この町のサイトを見て、まもなくホレおばさんミュジアムが開館ということで楽しみにしていたのだが、昨年春のツアーに間に合わなかった。1年遅れて今年の秋だという。今はほぼ完成直前ということで、インフォメーションの女性が中を見せてくれた。ほぼというわりにはまだまだだったが、完全オープンが待ち遠しい。町はずれの小さなレストランで昼食をとり、トラム駅そばのホレ公園を散策する。
今夜はメルヘン街道観光局の局長さんの招待で、ブレドウさん、ラインハルトの騎士ディートリヒさん、私とSさん(Hさんは残念ながら疲れが出て欠席)の5人でディナー。
グリム兄弟ゆかりのバオナタールのレストランでドイツ料理に舌鼓を打つ。
このときも写真撮影。これは拙著紹介の記事と一緒にドイツメルヘン街道観光局の公式サイトに載っている。
8月24日(水) カッセル―フランクフルト
早いもので、二人を案内した旅も今日で終わり。フランクフルトに出て、駅のコインロッカーに荷物を預け、マイン河畔へ。本当は河畔沿いのシュテーデル美術館でハンス・バルドゥング・グリーンの油絵「二人の魔女」を見てもらいたかったのだが、現在改修中で閉館。
河畔を歩いて橋を渡り、レーマー広場からドームへ。ハート印の絵馬(?)が橋にずらりと吊るしてある。どの国も同じか。そのあとクラインマルクトの中を覗く。さまざまな食材の店、特に野菜売り場は見るだけで楽しい。お土産はツァイル通りのデパ地下で。昼食はフランクフルト名物のグリーンソースを食べる。空港で二人にサヨナラする。楽しんでくれただろうか。
私はそのまま市内のホテルへ。明日夕方は娘と会って、そのままオランダへ。
8月25日(木) フランクフルト―デン・ハーグ
夕方空港で娘と会うまでなにをして時間を過ごしたかというと・・・
・シュトルヴェルペーター博物館へ
昔ドームのそばにあったのが、何年か前にビル一つを使って立派な博物館になった。シュトゥルヴェルペーターなら何でもありという熱意の見える博物館だった。このときは私一人だったが、日や時間によっては子どもたちがグループでやってくることが多いようで、その種の展示や遊戯室のようなものもある。 それにしても、シュトゥルヴェルペーターは実にパロディー向きにできている。さまざまなペーターを描いた絵本がたくさんある。中でも出色なのは「シュトゥルヴェルヒトラー」だ。
・ネットカフェで
行きはSバーンで行ったのだが、帰りは歩いて中央駅まで出て、更にレーマー広場まで歩いてしまった。本当のことを言うと歩きたかったわけではなく、道に迷ってしまったのだ。それでかなり時間がかかってしまった。
10日近く留守したので、残る時間はメールチェックでもしようとネットカフェに行く。旅行にはPCを持っていかないので、携帯メールを知らせている人以外から重要なメールがあるかもしれない。ドームからツァイル通りに出るところにある。私はよく利用する。15分単位で1.60ユーロ。1時間で6.40ユーロ。日本では最初は1時間で500円あたりのようだ。日本のように漫画喫茶も兼ねていたり、宿泊できるなんてドイツでは考えられないことではないだろうか。
・無料のコーヒーとケーキで一休み
私が定宿とするホテルのロビーではコーヒーや水、ジュースなどの飲み物やケーキを自由に頂くことができる。今回初めて別なホテルにしたが、こちらのほうがはるかにいいと16日のところで書いたが、こういうサービスも嬉しいのです。いじましい?
さて、空港へ向かい、無事娘とも会えて、KLMでアムステルダムまで。アムステルダムはなんと15年ぶり。当時も大きな空港だったが、より洗練された大空港になっていた。電車でデン・ハーグへ。駅そばのホテルにチェックインしたのは11時をすぎていた。デン・ハーグはつい2、3年前と思っていたら、ここもなんと7年前のことだった。
8月26日(金) デン・ハーグ
まずはマウリッツハイス美術館へ。ここで、デン・ハーグ、アムステルダム、ユトレヒトの共通ミュージアムパスを買う。44.90ユーロとちょっと高めだが、1年間有効で、私たちのように数日しか滞在しない場合でも合算するとお得。
マウリッツハイスと言えば、フェルメール、ショップで売っているグッズのほとんどが「青いターバンの娘」関連。私はこの絵のついた布製の携帯入れを買う。いかにもお土産品だけど、帰ってきてからもずっと重宝している。
無料のオーディオガイドが嬉しい。今回オランダの美術館をいくつか回り、オランダの風景画がどんなものかよくわかって面白かった。ブリューゲルだけじゃない。
エッシャー美術館では前のときより「騙し絵」の展示がふえていて、これぞエッシャーと思わせて、それなりに面白かった。
そうは言っても、今日の一番はスへーヴェニンゲンだった。トラムでちょっと行けば、北海の海辺に出る。豪華な保養所の建物の裏に広い広い北海。ブレーマーハーフェンの港では遠くにかすかに見えただけだったが。
風がかなり強かったせいもあって、海岸に押し寄せる白波は幾ら見ていても見飽きない。貝殻を拾ってみたりして、なんか乙女チックに時間を過ごす。それから希望だった海鮮料理を食べる。舌平目のムニエルのコース。激しい雨が降り出す。止むまで待って、満足してホテルに戻る。
8月27日(土) デン・ハーグからアムステルダム 日帰り
アムステルダム駅前のインフォメーションで、一日フリー交通パスを買う。美術館フリーパスはあるので、今日の出費は食事くらい。まずは国立美術館。これがなかなか面白くて昼過ぎまで見てしまう。ここにもフェルメールが4点ある。しかしその中の1点「手紙を読む女」は修復中ということで展示されていなかった。
帰国してわかったのだが、修復を終ってすぐにツアーで京都に出かけたらしい。「フェルメール展」が京都市立美術館で行われていて、その重要な1点がこれだった。
ゴッホ美術館の切符売り場は行列。しかし、共通ミュージアムパスがあると並ばないで横から入れる。どうも私の感性が貧しいからか、ゴッホにはそれほど入れ込めない。ひととおり見て、ここでお昼を食べる。
シンゲンの花市も面白かった。運河の上に突き出た床が店になっている。ここで買ったチューリップは持ち帰ることができないと聞いて、残念だった。しかたなく空港で買う。
1時間の運河クルーズが思いのほか面白かった。もう一度乗ってもいいかと思うほど楽しめた。
8月28日(日) デン・ハーグから日帰り アウデワーターとユトレヒト
ゴーダ経由でアウデワーターへ。アウデワーターの魔女裁判所(1595年建設)博物館が目的。魔女狩り時代に狩られた魔女は裁判所で秤にかけられる。人間の常識を超える軽さだったら、魔女と認定される。魔女は悪魔に魂を売ったので、軽くなるのである。魂はそれほど重いものなのだそうな。記録では2キロというのもあったそうで、もちろんそれらはすべて出鱈目。ところがここアウデワーターの裁判所は公正な測量をすることで知られていて、多くの人が列をなしてやってきて魔女ではない証明書をもらったという。
広間には当時の秤があって、量ってもらえる。昔はいくらか払って証明書を書いてもらったのだが、今は入場料に入っている。おまけにさすがIT時代。魔女が秤にかけられている有名な図版が残っているのだが、その絵がPCに映し出されていて、魔女の顔の部分が切り抜かれている。PCの横にカメラがあって、そこに顔を向けると、切り抜かれた顔に自分の顔が出てくる。すると秤が上下に動き、最後に魔女ではないと認定さる。見物していたまわりの人々が拍手して終わり。動画である。最後にメールアドレスを入れると、送ってくれる。
私は帰国してメールチェックをする際、あまりにも迷惑メールがいっぱいだったので、一括して削除してしまった。どうやらその中にあったようだ。残念!娘はちゃんと開いて見ることができた。すごいサーヴィスである。
そのあと、ユトレヒトに出る。初めての町である。ここはミッフィーの作者ディック・ブルーナの活躍している町だそうで、ミッフィー博物館がある。特別ミッフィーに思い入れがあるわけではないが、シュトルヴェルペーター博物館みたいに、あのミッフィーをどんな風に展示して見せてくれるのか楽しみにしていた。しかし、期待はずれだった。子ども連れの家族だったら楽しいのかもしれないが。
ミッフィー博物館の前にあるカタリナ・コベント博物館を見る。これはキリスト教関係の絵画や彫刻が数多く展示されていて、とてもよかった。予想以上の面白さだった。この町一番の大きな博物館というだけあって、ゆっくり見たらずいぶん時間がかかる。
日帰りなので、そろそろ戻らなければならない時間になって、さて、この町にミッフィーの信号機があるというので、それを探す。東ドイツのアンペルマンの信号機はけっこうたくさん眼にするが、ミッフィーの信号機はユトレヒトだけで、一つか二つくらいだそうな。
繁華街の百貨店前の交差点にあるので、車の往来が激しい。つまり青のときは渡ってそばまで行って写真を撮ることができるが、赤の場合は通りに出るのは危険なので、うまく撮れない。
帰りの電車から見た風景に心が和む。そしてオランダの水路の豊かさに目を見張る。いたるところ水路が作られていて、見世物でない昔ながらの風車も見える。
8月29日(月) デン・ハーグ―アムステルダム―デュッセルドルフ
スキポール空港はデン・ハーグからアムステルダムにいたる間にある。そこで、空港で一端降りて、荷物を預け、アムステルダムへ。先日残してあったものを見る。
アンネ・フランク博物館。30分待ちの行列だった。出てきたときは1時間待ちという看板が出ていたので、早めにやってきてよかった。建物も展示もすべて15年前とは比較にならないほど充実している。そしてナチス時代についての私の知識も15年前よりは深まったと思っているが、アンネその人についての細かいことは案外知らなかった。
この隠れ家に住んでいたのはフランク家の4人を含めて全部で8人だったことなど細かいことはすっかり忘れていた。「アンネの家」発行のパンフレット(10ユーロ)は日本語訳もある。8人をかくまった人たちのこと、彼らと8人のその後の運命など、詳しく載っている。読みごたえがある。
「アンネの家」のそばの西教会でレンブラントの墓を見る。その後、エルミタージュ博物館へ行く。ここはテーマを決めて、それにあったものを本家のエルミタージュから持ってくる仕組みになっている。
本家ロシアにならって食事にはボルシチを頼む。
こんなふうに、ミュージアムカードがあるので、空港へ行く時間まで王宮や新教会など目に付いたところに入ってみる。
スキポール空港21時35分のKLMでデュッセルドルフへ。ホテルのチェックインは23時過ぎ。ドイツ語を目にし、耳にしてホッとする。オランダ語は文字を見ればドイツ語とよく似ているので、なんとなく理解可能なものもあるが、耳で聞いたらまったくわからない。
今回はずっと雨のオランダだった。傘が手放せなかった。寒かった。スエードを持ち歩いた。それでも1日のうち何時間かはお日様が出て、きれいなオランダの風景を見ることができた。そんなときは暑かった。ドイツはどうだろうと思う。
8月30日(火) デュッセルドルフから日帰り ヴッパータール
デュッセルドルフは初めてである。なんとなく足が向かなかったというところか。今回の目的であるオーデンタールはケルンからでも同じくらいの距離なので、ケルンでもよかったのだが、デュッセルドルフ近郊のヴッパータールに面白い乗物があると知って、どうしてもそれに乗りたかったので、デュッセルドルフで3泊することにした。
その乗物とは1900年に出来た世界最初のゴンドラ(懸垂)式モノレールで、市内を流れるヴッパー川の上を13キロの距離を走る。しかも、それが遊覧ではなく一般市民の足として利用されているという。写真で見て、なんとしても乗ってみたくなったのだ。
デュッセルドルフ中央駅から30分弱のヴッパータール・オーバーバルメン駅で降りる。モノレールの始発駅である。そこから終点のフォーヴィンケルまで40分。川に沿ってその上を走る。けっこう速度はある。川が曲がればモノレールもそのまま曲がって走る。終点近くになると市内の上を走る。期待通りの面白さだった。片道2.30ユーロと安い。もう一往復したいほどだった。ともかく大いに満足してデュッセルドルフへ戻る。
その後の市内めぐりで、ハイネの家(今は本屋)やハイネの噴水を見る。クンストパレス美術館は見ごたえがあった。特に表現主義時代の絵がたくさんあって嬉しかった。
8月31日(水) デュッセルドルフから日帰り アルテンベルクとオーデンタール
今日はスケジュール通りに行くかどうか心配だった。目的はオーデンタールという町。そこにあるという「魔女の井戸」(ヘクセンブルンネン)を見る。
しばらく前から「ヘクセンブルンネン(魔女の井戸)」に興味を持ち始め、面白い情報を求めては、ネットサーフィンをしていた。オーデンタールの魔女の井戸もそうして見つけたものだ。
『ニーベルンゲンの歌』のジークフリートが殺されたというのはオーデンヴァルトの森にある泉。昔、その泉(ブルンネン)に行ったことがある。どちらもオーデンなので、ヴァルト(森)ではなくタール(谷)ということで、その近くだろうと思ったが地図を見るとそうではなさそうだった。
デュッセルドルフかケルンからか電車とバスを乗り継いで行く。人口約15000人の小さな町である。このオーデンタールの近くに(有名な)アルテンベルガードーム(アルテンベルクの大聖堂)と「童話の森」があるということも知った。
そこで、オーデンタールのツーリストインフォメーションに問い合わせしたところ、どちらもそう離れていなくて、路線バスが走っていてるから大丈夫という返事をもらった。バスについてはラッキーなこともあり、なんとかスケジュール通りに行けて、おまけにケルンにも寄ることができた。
・アルテンベルクのドーム(大聖堂)
荘厳な外観。今日はほとんど人影を見ることがなかったが、宿泊施設などからして、それなりの拝観客が訪れるのだろうと思われる。中に入ると、男の人が熱心にオルガンの練習をしていた。オルガンというのは天井の高い教会によくあった楽器である。教会じゅうに響き渡る調べは身体じゅうにも響く。ドーム内は私と娘だけ。まるで私たちのための演奏会みたいだ。長いこと聞き惚れ、お礼の言葉の代わりにそっと頭を下げる。私たちに気がついていたようで、彼も軽く会釈を返す。身も心も洗われるような気分で外へ出る。
・童話の森
ドームの横手の坂道をしばらく登って行ったところにある。HPで見た限り、子ども向けの小さな遊園地で30分も見ればじゅうぶんかという感じだったが、どうして、なかなか楽しいところだった。帰りのバスの時間を考えずに済むなら、もっと時間をかけてもいいと残念に思ったくらいだった。
もちろん子ども向けだが、大人だけでも楽しめる。ただ、山の斜面に作られているので、けっこうしんどい。登るたびに小屋がある。その小屋の中ではグリム童話など子どもによく知られたお話を人形を使って再現した場面が作られている。小屋の横にあるスイッチを押すと、簡単な粗筋が紹介される。
昔、メルヘン街道のフェアデンにあったテーマパークと似ているが、それよりも規模が大きい。正確に数えなかったが、15くらいあったと思う。
山の途中で一休みしていた女性が話しかけてくる。お孫さんを連れて来たらしい。私たちが日本から来たと知って、日本でもグリム童話は読まれているのかと尋ねられた。もちろんと答えると、とてもいい本だ。私は孫が寝る前にいつも読んでやっているんだと誇らしげに言う。そのお孫さんはとっくに上のほうに登っていったようだ。
・オーデンタールの魔女の井戸
アルテンベルクの停留所ですでに出発を待っているバスが来ていた。これに乗って、ちょっと先のところで乗り換えることになる。運転手さんにその確認をすると、そうだ、大丈夫だと答え、ところで、あなたは日本から?それとも韓国から?と聞いてくる。日本からだというと聞きたいことがあると言う。自分はポーランド人でカトリックである。仏陀は神なのか人間なのかと思いもかけない質問をされた。そんな難しいよ。しかもドイツ語でだよ。でも、ここは張り切らなきゃと懸命に私なりの仏教観を話す。
そうしているうちにバスの発車時間となる。さあ、乗りな。オーデンタールに行きたいのだろうと言う。さて、乗り換えのバス停で降りようとすると、いいから、いいからと手で制する。そしてしばらく走って、さあ、ここがオーデンタール・キルヒェエだよと言う。
確かにそうだった。エッ!なんとこのバスは迂回してくれたのだ。乗客は2名ほどで笑っている。こんなことがありうるのか。お釈迦さまのごご利益?ということで運転手さんにお礼を言って、バスから降りる。
バス停の前にスーパー。道路の向かい側に教会。バス停の裏に市庁舎の建物が見える。あとは何も見えない。町の中心地はここなのか。もう少し離れているのか、いないのか、通りを見てもまったくわからない。
私の目的は市庁舎のそばということだけわかっているので、今回はそれだけでよしとしよう。市庁舎の裏は駐車場になっている。こんなところにあるのかと思ったが、あった。鍋型の洗礼盤のようなものがそれだった。中からはドクドクと水が噴出している。盤の回りには魔女狩りの様子が彫られている。足元のプレートにはこう書いてある。
「ヘクセンブルンネン オーデンタール 1988.5.
魔女として裁判にかけられ、処刑された人々にたいする追憶」
この町でもかつて過酷な魔女裁判が行なわれたのである。
その後、バスで来たときとは反対のグラートバッハというそれなりに大きな町まで行く。そこから電車でケルンまで20分。おもいのほか時間がかからなかったので、ケルンに行ったら見ようと思っていたチョコレート博物館に行く。
1993年オープンということだが、全然しらなかった。最初はドイツのチョコレート会社が共同出資して作ったが、今はスイスのリンツが出資しているようだ。
みんなチョコが好きなのか大勢の観光客だ。博物館の中はいかにもドイツらしい。チョコ3000年の歴史を詳しく書いたパネル。そして子ども向けのチョコ教室では椅子に座った子どもたちがカカオ豆を手にとって神妙に話を聞いている。
もちろんチョコが出来上がるまでの製造行程を見せてくれるし、最後にはウエハースに出来立てのチョコを塗って配ってくれる。
ケルンでもう一つしてみたかったのがライン河を渡るゴンドラに乗ること。これまで何度もケルンに来ているのに、こんなゴンドラがあるなんてこれも知らなかった。チョコ博物館の近くに乗場がある。4,5分だろうか、ライン河を越えて向こうの丘まで行く。丘から徒歩で降りてくればライン河畔の広い公園に着く。そこから橋を渡って市内ということになる。
最終は18時。私たちが乗場に着いたのは18時ちょっと前。丘の上を散策してまた戻ってくることはできない。しかし、歩いて河畔まで降りるには帰りの電車に間に合いそうもない。そこで係員に尋ねると、このまま乗ってそのまま降りてくればいいという。確かに。往復切符を買って、上からまた降りてくる。
高度恐怖症の私はそれなりに怖い思いをしたが、見晴らしは素晴らしかった。オランダの雨がウソのようにドイツに入ってからは晴天で、暑いくらい。今日も満足してデュッセルドルフに戻る。
9月1日(木) デュッセルドルフ―ヴェッツラー・ブラウンフェルス城
今回の旅の目的の一つに「ラプンツェルの塔」がある。画家ウッベローデがこの話の挿絵を描くのにモデルとした塔は実はメルヘン街道の古城トレンデルブルクにある塔ではなく、マールブルク近郊のアーメナオという村にあるのだということを知って以来、行ってみたいと思っていた。
そこでマールブルクを拠点にして動こうと計画したのだが、どういうわけかマールブルクのホテルがどこも満室だった。それでマールブルクとフランクフルトの中間にあるヴェッツラーに泊まることにした。
ヴェッツラーはゲーテの『若きヴェルテルの悩み』のモデルとなった地である。そこにはゲーテが恋をしたシャルロッテの館があり、ゲーテはほとんど毎日のように彼女のもとに通ったという。そのことはよく知っていたし、いつかは行ってみたいと思っていた町だった。
また、ヴェッツラーにはライカの本社や工場がある。私はカメラにはまったく疎いがライカの名前くらいは知っている。工場は町からちょっと離れているが、本社は市庁舎の隣りにあり、市庁舎の中にライカについての展示室があるというので、それもついでに見てみたいと思った。
町の市街地図や写真を見ると、どうやら旧市街は坂の上、しかもかなり急な坂のようだ。ここは覚悟を決めて、逆に坂の一番上だろうと思われるところにホテルをとった。駅そばのホテルはあまりよさそうなところはない。旅の最後を過ごすホテルだから少しは雰囲気のあるところにしたいと思った。これは正解だった。また来るなら、使っていいかなと思える感じのいいホテルだった。
旧市街には路線バスや市内巡回バス(安い)がある。ホテルにはどちらでも行けるが、坂道を登らなくてすむのは路線バス。旧市街は歩いて回れる。しかし、予想していた通り急な坂道の町である。
さて、デュッセルドルフを朝早くに発って、ヴェッツラーに昼前に着く。駅は小さくて、ちょうど工事中だったこともあり、殺風景だった。駅のすぐ横に大きなショッピングセンター(フォールム・ヴェッツラー)があり、新市街の人々の生活を担っているようだ。
駅のロッカーに荷物を預けて、駅前から出るバスに乗ってブラウンフェルス城へ行く。ここは娘が見つけてよさそうということで決めた。外観がいかにも城然(?)としていて、マルクト広場から城門に到る道には木組みの家が並んでいる様子が心そそられたのである。
40分ほどで着く。城の内部は1時間毎に出ているガイドでしか見られない。ガイドは約1時間。この城はゾルムス伯爵の居城として、すでに1246年の古文書に載っているという古い城である。今も末裔が住んでいるので、ガイドで見られるのは一部だけ。内部の撮影は禁止。
素晴らしい部屋をいくつも回る。展示は騎士の甲冑が主で、馬の鎧姿は初めて見た。そしてガイドさんは熱心に説明してくれるが、この伯爵についての知識もないし、大きな歴史の流れには登場しない伯爵のようなので、聞いていてもわからないことが多かった。それでも見てうっとりするようないい城だった。
9月2日(金) ヴェッツラーからアーメナオ 日帰り
「ラプンツェルの塔」のあるアーメナオはマールブルクから電車でヴェッターまで。そこからバスで行くのだが、このバスは朝夕以外はほとんど運行していない。そこで、駅前の文房具屋さんにタクシーを呼んでもらえないかとお願いする。快く呼んでくれた。
村に入ってわかったのだが、あたりは農家と畑しかない。HPには人口964人とある。本当はここでのんびりと昼食を食べるつもりだったが、この村唯一というレストランは曜日によって開く時間があり、平日の開店は午後4時からということを運転手さんから聞いた。
それではしかたない。昼食はマールブルクまでお預け。タクシーの運転手さんに2時間後に迎えに来てほしいと頼み、「ラプンツェルの塔」のそばで降ろしてもらう。
ラプンツェルの塔はこの村の大農場主の屋敷内に建てられた園亭である。とてもちいさな建物だが、この村一の観光名所である。塔のそばにはウッベローデの挿絵を貼りつけた看板が立っていて、そこから見るとまさに挿絵通り。やっと見ることができたと満足する。
村のまわりは広い畑。その畑の真ん中に小高い丘がある。そこに大きな樹が1本立っている。高さ30メートル、幹回り4メートル。これが「裁きの菩提樹」である。これはセイヨウボダイジュで、お釈迦様のボダイジュ(クワ科)とは違う。セイヨウボダイジュは葉っぱの形がハート型をしていて、この木の下で愛を語らうというロマンチックな樹であると同時に、古代ではこの木の下で裁きを行なったという厳しい樹でもある。ここのボダイジュは樹齢約350年とみられるそうで、30年戦争の頃、ここで村人を裁いたという記録があるそうだ。
緑の畑、牧草地、囲いの中で木から落ちたリンゴをむしゃむしゃ食べながら、私たちをじっと見る牛。ボダイジュの下のベンチに座って、しばし田園風景を楽しむ。なんて貴重な時間だろう。贅沢な時間を過ごしていると思う。
迎えのタクシーがなかなか来なくて心配した。タクシー会社の電話番号を聞いておくのだった。30分もすぎてやっとやってくる。道が工事で渋滞していたと申し訳なさそうに言う。ともかくも、よかった、よかった。
ヴェッターからマールブルクに出る。マールブルク方伯城を見て、エリーザベット教会を見て、ヴェッツラーに戻る。
9月3日(土) ヴェッツラー―フランクフルト空港
ホテルに荷物を預け、ヴェッツラー市内見物。ゲーテの噴水、ゲーテの家、シャルロッテの家、ドーム、木組みの家々など、観光案内に載っているところをまわる。もちろん坂の上から下へ!
坂を降りて橋を渡ったところがエルンスト・ライツ通り。ここに市庁舎がある。その前の広場に、ライツの家族の像が立っている。ライカはドイツの光学機器メーカーであるルートヴィヒ・ライツのブランド名である。ライカの展示室を見る予定だったが、今日は土曜日、市庁舎は休みだった。
夕方の電車でフランクフルト空港へ。私の夏の旅行は終った。また来年。
今年はヴァルプルギスの夜に参加するツアーは企画しなかったので、今年は一人。旅の主目的は3つ。
一つはヴェアニゲローデの友人ゲルディのお孫さんティミィの成人式に親戚一同集まる。そのパーティと市主催の式典に参加。
二つ目はもちろんヴァルプルギスの夜に参加。三つ目は6月に出来上がる予定の拙著新刊の準備。お世話になった人へのお礼となお不足な掲載写真の撮影、うろ覚えだった場所や名前をしっかり確認する。もう一つおまけにカールスルーエの美術館で版画を見せてもらう。
4月27日(水) 成田―ロンドン経由フランクフルト
日本で航空券を買う頃、フランクフルト直行とロンドン経由では2万円近くの差があった。この日の移動はないので、20時35分に着いても問題なしと思って、安いロンドン経由を購入した。ところがロンドンで乗り継ぎ便に座ったところで、どうしたことか離陸まで1時間以上待たされた。それでホテルに着いたのが11時ちょっと前。前もロンドン経由で2時間以上遅れた。私とロンドンは相性が悪いのか。
4月28日(木) 成田―カッセル―エッシュヴェーゲ―カッセル
早起きしてマイン河畔のシュテーデル美術館の建物を撮りにいく。これまで撮ったものよりもいいものをと思ったからだった。ところが工事中で一部シートがかかっていたので残念だった。
このところフランクフルトで泊まるホテルは空きがある限りいつも同じホテル。駅のすぐそばということ、安いということ、ちょっと狭いが清潔であること、そしてここの朝食がすこぶるいいということも主な理由である。ということで、今朝もたっぷり朝食を頂く。
電車でカッセルヴィルヘルムスヘーエ駅まで。ここでホテルにチェックインして荷物を預ける。ここのホテルも定宿にしている。手ごろな値段、駅のすぐそば、部屋は清潔で、狭くない。おまけに市内乗物フリーパスがついているというのが理由。
実はここに2泊する予定だったのだが、ティミィの成人式に出席するため1泊だけに変更することにした。だいたいスケジュールの変更なしと思われる場合は、返金不可という部屋を予約している。より安くなるからだが、キャンセルはできない。
それでもティミィの成人式のほうを優先させて、返金なしで1泊キャンセルする旨をフロントに伝えた。主任らしき男性がとても気の毒に思ってか、明日の朝食をご馳走しますと言ってくれた。このホテルの朝食は別払いなので、私はいつも頼まない。この対応はとても嬉しかった。
その後、カッセルからローカル線を乗り継いでエッシュヴェーゲという町へ行く。この町は日本ではあまり知られていない。私も昨年初めて訪れ、いろいろ取材させてもらった。ツーリスト・インフォメーションの女性は日本人に初めて会ったと言っていた。この町については6月に出版される拙著に詳しく紹介してある。
まだ校了前だったので、いくつか確認したいことがあり、また差し替えできるようなよりよい写真を撮るということもあり、再度ツーリスト・インフォメーションの方に協力をお願いしていた。13時30分から3時間あれば大丈夫だろうと考え、夕方はカッセルのメルヘン街道観光局のブーフホルツさんと会う約束をした。
ところが乗り換え駅で私の乗る電車がなぜか運行中止になっていた。乗り合わせたドイツ人に聞いてもわからないということだった。この駅、無人駅!
ということで1時間後の電車を待つことになった。エッシュヴェーゲ駅から市内まではバスかタクシーか徒歩。もう2時間しか残っていない。歩けば時間がかかる。バスが来るのはまだまだ。タクシー乗場で待っているも、なかなか来ない。小さな駅である。駅の横にファーストフードのような店がある。そこでタクシーを頼む。やってくるのに時間がかかるで、インフォに着いたのが3時。待っていてくれたダーリモントさんとすぐさま町に飛び出す。
駆けるようにして確認したい場所を回り、「夏には出来上がった本を持って、ゆっくり来ます。そのときはお茶しましょう」と言って再び電車でカッセルに戻る。帰りは別なルートを取ったので、時間通りカッセルに着き、時間通りにブーフホルツさんに会えた。
ブーフホルツさんの家で夕食をご馳走になり、その後、ホーフガイスマル近くのカフェで待っているウッフェルマン氏のところへ。3人でおしゃべりして、ブーフホルツさんにホテルまで送ってもらい、ヤレヤレ、忙しかった1日が終る。
4月29日(金) カッセル―ヴェアニゲローデ
午前中は市内をいくつか見て回り、その後、カッセル・ヴィルヘルムスヘーエ公園に写真を撮りにいく。ドイツの天気予報をネットで見ると、私の滞在中はずっと雨のはずだったが、見事に外れて、一度も雨は降らなかった。
昼過ぎの電車でハノーファーを経由してヴェアニゲローデに夕方着く。駅に迎えに来てくれたゲルディの車でホテルへ。このホテルは初めて。町から歩いて12,3分のところ。きれいな木組みの家で、部屋も清潔。市内からちょっと離れているのが難。
一休みしてゲルディの家に。ティミィはすっかり大きくなって、スーツ姿で粋に帽子など被ってお出迎えしてくれる。ヴェアニゲローデは旧東ドイツ。キリスト教の行事である堅信礼はしないで、代わりにユーゲントヴァイエという文字通り成人式を行ってきた。このことはまたいつか。
ゲルディの家の広間は広く、飲み物や料理がすでに用意され、親戚の人たちが集まって、もうビールを飲み始めている。顔見知りの人と挨拶する。そのとき、ゲルディの弟さんに紹介される。彼は東日本震災のことをとても心配してくれて、ゲルディと二人からと言って、支援金を渡してくれた。帰ったら日本赤十字に持っていくと言うと、できれば顔の見える人に渡してほしいという。
どこにどう使われるかわからないのではなんとなく気持ちがしっくりしない。帰国してから、今回の震災で家が全壊し、建て直しを迫られている知り合いがいることを知り、その方に渡すことにした。
福島原発の事故でドイツ大使館はさっさと東京を引き払ったし、語学学校のドイツ人教師が授業をそのままに帰国してしまったという話も聞いた。
しかし、そういう人だけではない。ゴスラーでいつもお世話になるY子さんは地元の人々に声かけして懸命に支援活動をしている。
さて、パーティは、食べて飲んで、ちょっと踊りがあって、最後にティミィのお礼の言葉があって終わり。
4月30日(土) ヴァエニゲローデ―シールケ―ヴェアニゲローデ
午後1時から市主催の成人式が市のホールで行われる。その前に町の土産物屋を覗く。どの店を見ても私の探している魔女人形がないことに愕然とする。ハルツの魔女人形の特徴は、大であれ小であれ、顔も手足も木彫りで、色鮮やかなスカートとブラウス、そしてスカーフを被った人形である。 ところがどの魔女人形を見ても、ステレオタイプの鷲鼻、黒い服に星の模様のついたマント、とんがり帽子。魔女のイメージがどんどん変わっていくのも時代の流れとは思っても、がっかりしてしまった。薬草籠をもったおばあさんタイプの魔女人形だけは辛うじて生き残っていた。それだけでも嬉しかった。
いくつかし残したことがあったのだが、時間切れ。ゲルディと一緒に市のホールに。ドレスに、スーツに着飾った若者たちが集まってくる。ホールの扉の横に記念撮影する場所があって、順を待っている若者がいる。一緒に祝う親類縁者もたくさんいる。
式は2時間。挨拶と歌と踊り。名前が読み上げられた5人が1グループになって舞台に立つ。一人ひとりに認定書と記念の本が手渡され、最後に若者代表の挨拶で終る。式を挙げた若者は50名だった。
この夜はヴァルプルギスの夜。去年と同じくヴェアニゲローデ城の夜で〆る予定。その前にエーレントに行くつもりだった。しかし、交通の便がうまくいきそうもなく、シールケにする。いろいろな町から歩いてやってくる魔女の行列が7時半頃に市庁舎の前について気勢を上げる。前からやっていたことだが、ここ数年規模が大きくなり、評判をとっている。
それを見てから、ヴェアニゲローデに戻る。町中の広場では、生バンド演奏。踊る若者。すっかり春迎えのイベント。ヴェアニゲローデ城では、中世の店や屋台が出て、落ち着いた雰囲気。大道芸もあり、魔女コンテストもある。ティミィの妹のレアちゃんも参加。レアちゃんは2年連続優勝している。今年は惜しくも賞を逃して悔し涙を流しているレアちゃんに「来年また来るからね」と、これが慰めになるかどうかわからないが、そう言ってゲルディ一家とサヨナラした。
5月1日(土) ヴァエニゲローデ―ゴスラー
午前の電車でゴスラーへ。由紀子さんにユネスコ文化遺産になっているランメルスベルク鉱山博物館を案内してもらうことになっている。彼女は鉱山博物館のガイド資格を持っている。たまたま日本からやってきたツアーの方たちもオプションで一緒に案内してもらう。
夜はアレックスの家にお呼ばれ。ベーベキューに舌鼓を打つ。小学生の息子さんレオナルドが大のマンガフアンで、日本にとても興味を持っている。今回訪問するにあたって、「ダンゴ」というものを食べてみたいと伝えてきた。アレックスも奥さんも「ダンゴ」を見てみたいと言う。
私がイメージするダンゴは粒アンの草ダンゴやみたらし団子。それならどこでも買えると安請け合いをしてしまったが、そうはいかなかった。これらのダンゴは日持ちが2,3日しかないのである。出発する日に買っても、会うときはとっくに賞味期限が切れている。
お腹でもこわされたら大変。通販を調べてみたが、やはり賞味期限は短い。やっとのこと松山の「ぼっちゃんダンゴ」なら大丈夫ということになって、出発前日に我が家に着くように松山の店に手配する。せっかくの機会だから、羊羹、饅頭など日持ちのする和菓子を箱詰めにして持参。和菓子には日本茶。これも持参。レオナルドは美味しいと言って食べてくれた。
さて、ゴスラーのホテルも初めて。由紀子さんのお勧めだった。老人のために有料養護施設で、その一部がホテルになっている。ドイツの老人ホームがどんなものかよくわかる。泊まった部屋は完全バリアフリー。駅からも歩いて行ける距離だし、値段も手ごろでなかなかよかった。
5 月2日(土) ゴスラー―マールブルク
マールブルクでは写真と場所の確認など、拙著のために1日使う。ホテルは駅の近くの安ホテル。それでも部屋は清潔で。朝食もまあまあ。あちらこちら飛び回って終る。
5 月3日(火) マールブルク―カールスルーエ
カールスルーエは久しぶり。今回の目的はここの国立美術館にある版画をみせてもらうことだった。版画は特別展以外は版画室に保管されていて、申し込みをしないと見られないのが普通。ここは月と水の午後だけ申し込めば見られるということだったので、明日の午後をお願いする。帰る日だったが、夜の便なので助かった。
ホテルに荷物を預けて市内見物にでかける。久しぶりではあっても、よく覚えている町だったので、行ったことないところはどこだと地図を見る。駅の近くに私の好きな動物園がある。気がつかなかった。しかも、これまた私の好きなミアキャットもいるという。これだと決めて、さっそく行ってみる。
敷地はかなり広く、いたるところ春の花が満開。動物の種類も多くて、ここはお勧めだと思う。ミアキャットもいつだったかウィーンのシェーンブルン動物園で見たより数も多く、じゅうぶん楽しめた。
前日、オサマ・ビン・ラディンが暗殺された。今日の新聞は一面トップでこのこと。一部買う。
5 月4日(水) カールスルーエ―フランクフルト
まずは国立美術館へ行き、午前中はじっくり館内の作品を見る。いい作品がたくさんある。かなり時間が必要。館内のカフェーでお茶して、約束の2時に受付に行く。待っていてくれて、私の希望の版画を見せてくれた。実物は印刷と違って美しい。
荷物を預けているホテルへ戻る途中、数日後に始るという日本展のポスターを貼った広告塔を目にする。さて、どんなポスターだったか、写真で見てください。
フランクフルト空港へ。
5 月5日(木) 成田着
短くて忙しかった春の旅行も終わり。思ったのはプロのカメラマンは凄いなということ。どうしてうまく撮れないのか情けなく思いつつの旅行だった。
6月末に拙著が出る。ほとんどの写真が素人の私のものである。嫌になるが、仕方ない。興味があったら読んでください。
3月26日 (土) 羽田~松山
松山城、二の丸史跡庭園、 道後温泉本館、子規記念館、子規堂、石毛寺
3月27日(日) 松山~高松
金比羅宮、栗林公園、玉藻公園、高松平家物語歴史館、善通寺(空海三大霊跡の一)、 屋島(屋島山上・談古嶺展望台から壇ノ浦を望む)、白峰寺(崇徳天皇ゆかりの寺、西行)
3月28日(月) 高松~高知
はりまや橋、桂浜、竹林寺(五台山の名刹。夢想国師作の庭園)
3月29日(火) 高知~松山
四万十川沈下橋、宇和島城、木蝋資料館上芳我邸、内子座
3月30日(水) 松山~羽田