作成中。
今回の旅行は3部立て(?)だった。第1部は娘と二人旅、第2部は私の一人旅、第3部は仲間たちと「これぞドイツという名所めぐり」の旅。それぞれ味わいがあってよかった。
まずは第1部から。
8月21日(土) 成田―フランクフルト
成田でチェックインしようとしたら、係員の女性が「すみません」と近寄ってきた。「もしや」と胸が高鳴る。昨年の夏、同じようにチェックインしようとしたら、1つ上のランクである「プレミアム・エコノミーに移っていただけないでしょうか」と言われた。
成田への電車の中で、「まさか二匹目のドジョウなんていないよね」と娘と話していた、その二匹目がいたのだ。「すみませんが」と言われたが、まったくそんなことあるわけないじゃないということで、ちょっとラッキーな出発になった。2度あることは3度あるというから、来年の春か夏も期待しよう。
フランクフルト空港そばのホテルに泊まる。翌朝早いので、とにかく空港の近くということで探したホテルである。部屋の窓から離着陸する飛行機がすぐ目の前に見える。
8月22日(木) フランクフルト―クラクフ
Krakow(oの上にアクサンテギュ)を私はこれまでドイツ語表記(Krakau)でクラカウと覚えていた。しかし、ポーランド語ではO+アクサンテギュは「ウ」、wは「ヴ」と発音するそうだ。ワルシャワ(Watszawa)もポーランド語の発音なら「ヴァルシャヴァ」である。するとクラクフは「クラクヴ」になるはず。
ドイツ語のw(ヴェ)は日本ではいずれも英語読みにされて「ウ」となる。クラクフもワルシャワも同じなのか。今更ポーランド語の勉強をしている時間はないしで、とにかく日本で発音されているままを受け入れることにする。ポーランド語を知っている人は笑ってしまうだろう幼稚な疑問も解決せずに、クラクフ空港に到着。
空港前から無料のシャトルバスでクラクフ・バリツェ駅まで。そこからポーランド鉄道に乗り換え、田園の中を走って、20分ほどでクラクフ中央駅へ。
各プラットホームから正面駅舎に出るには、そのプラットホームの端っこまで行って、そこから地下道を通っていかなければならない。このプラットホームが実に長いので、端まで行くのに時間がかかる。電車に乗るときは発車時間にこの分を足して考えておかないといけない。
駅前のホテルでチェックインしたあと、テニエツ修道院へ行く。市街からちょっと離れているが、丘の上に建つ修道院のたたずまいが素晴らしいと聞いていたので、選んだ。
トラムとバスを乗り継ぎ、そこから15分ほど歩いていくと修道院の門に着く。修道院のある中庭から横手の坂を降りていくと、遊歩道になり、そこから岩の上に建つ修道院を見上げることができる。遊歩道は河畔にそって続いている。どんどん歩いていくが、なにせ、この日は暑かった。
今年の日本は猛暑続きで、一刻も早く逃れたいと思った。しかし、天気予報ではポーランドも暑いというので、覚悟はしていた。それにしても暑い。じゅうぶんに景色を楽しむ心のゆとりが生まれない。もう少し涼しいときなら、もっと楽しめたかもしれない。
修道院内で現代画家によるイコン展があったので、それを見る。ポーランドがカトリックの国であることを思う。
再び日陰のない道を歩き、バスとトラムを乗り継いで、市街に戻る。マルクト広場のマリア教会に入る。色や造りはいかにも東欧風だった。ここにはイコン「頬に傷のある黒い聖母」が祀られている。もちろん複製である。本物はチェストホーヴァの巡礼教会ヤスナ・グラ修道院にある。
ヤスナ・グラ修道院にはなんとかして行ってみたいと思ったが、クラクフからもワルシャワからも電車で2時間以上かかり、本数も少ない。日帰りで行けないこともないが、クラフク、ワルシャワからその1日を削ることは日程上難しいと思い、諦めた。
バルバカンという円形の砦はヨーロッパに三箇所しかなく、ワルシャワと合わせて2つ。残る1つがどこにあるのかガイドブックには書いてない。知っている人、教えてください。
バルバカンは思っていたほどではなかった。円形でなくても大きな砦はドイツにもたくさんある。レンガの色がきれいではあった。
夜はポーランド名物のピエロギとスープを食べに行く。ガイドブックに載っていたマルクト広場近くの店。英語のメニューがあるというので、助かったと思いきや、奥のカウンター横に出来た料理が並んでいる。英語のメニューと比べても、どれがどれやらわからない。スペインのバール風。とりあえずピエロギ1人前にスープを2皿(バルチシとジューレック)注文。ピエロギはドイツならマウルタッシェン、日本なら餃子にあたる。ちょっと皮が固い感じだった。一人前でも量が多すぎて残してしまう。
フローリアン門からマルクト広場に抜ける商店街は古めかしい家が残っていて落ち着いた感じでいい。織物会館は立派な建物で、100メートルもあり、1階にはずらりと小さなお土産屋が並んでいる。浅草の仲見世通りがそのまま建物の中に入ったような感じと言えるかもしれない。
8月23日(月) オシフィエンツィム(アウシュヴィッツ)絶滅収容所
ワイマールの近郊ブーヘンヴァルト強制収容所を訪れたのはもう23年以上も昔になる。
そのときの強烈な印象に心がうちひしがれて、もう強制収容所を訪れるのは止めようと思った。ところが、数年前、ドイツの知人の叔父さんが収容され、そこで命を奪われたというベルリンのプレッツンゼー強制収容所に案内されたことから、少し気持が変わった。そのことがあって、昨年はダッハウ強制収容所に行ってきた。
私には強制収容所について語ることはできない。ただひたすら見るだけ。見たものを自分の中で消化することなどおそらく出来ないだろう。ずっしり溜まった澱のようなものを抱えていくしかないのだろうと。それしかできないし、それだけでいいのだと。
そして、この日、アウシュヴィッツへ行ってきた。ポーランドへ行くというのはここを訪れることなのだと言うと、ちょっと気取った言い方になるだろう。アウシュヴィッツが私個人にとってどんな意味があるかというと、究極の選択をしなければならない立場に立たされたとき、私はどうするかということを考えさせられた場であったということである。もってまわった言い方をしてしまった。
アメリカの作家ウイリアム・スタイロンの小説『ソフィーの選択』(1979年)を読んで私は選択することの恐ろしさを知った。これは1982年に映画化され、ソフィー役のメリル・ストリープが好演し、アカデミー賞を受賞した作品である。
ソフィーはアウシュヴィッツの生き残りだった。戦後、彼女はブルックリンで荒れた生活をしている。やがてソフィーの秘密がいくつも少しずつ明かされる。そして、最後の最後にソフィーは自分が選択しなければならなかった過去の秘密を語ることになる。彼女は二人の子どもと一緒にアウシュヴィッツに送られ、選別される際、二人の子どものうち一人だけ生かしてやるからどちらかを選べと言われたのである。
筋書きはあまり言わないほうがいいだろう。ソフィーはどうした?映画を見、小説を読んだ当時の私にも二人の子どもがいた。私ならどうするだろう?ソフィーがした選択でいいのか、それを否定するなら私はどういう選択をするべきか?
これは私にとってまさに恐怖だった。これ以上の二者択一はあるまいと思った。なんとかして私なりの答えを見つけなければと真剣に考え、数年後、それなりの答えを見つけたが、果たして実際にはどうなるかわからない。
ソフィーが選択を強要されたのはアウシュヴィッツ第二絶滅収容所ビルケナウ(=ブジェジンカ)のプラットホームでのことだった。彼女たちは鉄道で輸送され、ビルケナウ収容所に着く。鉄道引込み線は門を通り、広い敷地の奥まで続く。長い線路と長いプラットホームが今も残っている。
個人的な思いでしかないし、小説といえばそうなのだけれど、私はその線路に立って、ソフィーの選択のことを思った。
話は変わって、アウシュヴィッツ第一収容所に入る鉄の門に「ARBEIT MACHT FREI 労働が自由を作る」(働けば自由になる)という銘が刻まれていることはよく知られている。この銘は強制労働収容所に共通するもので、たいていの収容所の門扉に刻まれている。ただし、ここアウシュヴィッツではARBEIT のBがさかさまに刻まれていることでも知られ、作らされた囚人の抵抗のしるしであると伝えられている。
「自由」が死による解放であることは明らかだからだ。しかし、このスローガンは第一次世界大戦後成立したワイマール共和国のスローガンだった。失業対策の一つとして公共事業が盛んに行われるようになった。働けば自由(豊か)になるということだ。
このスローガンは実は19世紀のドイツ人作家ロレンツ・ディーフェンバッハの小説のタイトルだったのだそうだ。私はまだ読んでいないので、これがどういう意味を持ったものなのかわからない。
ところが、このタイトルには元になるものがあった。中世の都市で習慣法としてことわざのように使われていた文言Stadtluft macht frei(都市の空気が自由を作る)だそうな。
中世の農奴たちは過酷な領主の支配下を逃れようとして、都市に入りこもうとする。市民になれば、外部の脅威から守ってもらえる。つまり、都市の空気を吸うことができれば自由が約束されるということだ。
ユネスコ「負の文化遺産」から再びバスで市内に戻り、ユダヤ人地区を歩く。この日も暑かった。
8月24日(火) 市内見物とヴィエリチカ岩塩採掘場
雨。ヴァヴェル城へ行く。この町一番の観光名所ということでチケット売り場が行列になると聞いていたから、早めに出かける。大聖堂や旧王宮を見終わった頃には、雨にもかかわらず観光客が大勢になっていた。
夕方からヴィエリチカ岩塩採掘場に行く。ここもユネスコ文化遺産に指定されている観光名所である。最近、日本のテレビでも紹介番組があり、地下大ホールにある塩でできた豪華なシャンデリアなど見たいと思っていた。また個人的に塩の採掘や精錬に興味があったので、それも見られるかと期待していた。
バス停は駅前にあるものと思っていたが、駅前の道路を渡って、数分ほど歩いたところ。初めてだったので、ちょっとわかりずらい。バスが渋滞にかかって、着いたのが4時だった。ここはガイド付きツアーのみである。ドイツ語によるガイドは終了していた。ツアー最終回の英語によるツアーに参加。
どんどん階段を下りて、600段だったか。エッ、帰りはどうするのと思ったが、それはエレベーターがあるというのでよかった。やっと採掘場跡に着く。ここに関連のある人物たちや採掘場の再現など、塩で作った等身大の像があるところを延々と歩き、シャンデリアのあるホールで解散。2時間かかる。
そこからなお岩塩博物館を希望する人は同じガイドが案内してくれる。私はもう少し見たかったので、それに参加する。5名ほどだったので、気安く質問ができてよかった。というもののドイツ語は憚れたし、ガイドもドイツ語は話せないということで、心もとない英語だけでは聞きたいこともじゅうぶん聞けなかった。ここは採掘した塩をそのまま運びだすまさに採掘場であって、ほとんど精錬はしなかったそうだ。この広さでは相当の量だったろう。
約1時間。帰りはエレベーターであっという間に地上。雨は上がってきれいな空だった。
8月25日(水) クラクフからワルシャワに
クラクフからワルシャワまで飛行機は使わず電車の移動を楽しむことにした。2時間半で着く。車窓から見る田園風景はどの国でも心が和む。
ワルシャワ観光は到着したこの半日だけ。明日は早い時間の飛行機でベルリンへ行く予定。そんな少しの時間でもぜひワルシャワという地を踏んでみたかったのだ。
ワルシャワと言えば、音楽の好きな人にはショパン、特に今年は生誕200年ということだから、コンサート一つ聴かないで何のワルシャワかと顰蹙を買いそうだが、私にとってワルシャワと言えば、「そこまで戻るか」と友人に呆れられたが、やっぱり、アンジェ・ワイダの「灰とダイヤモンド」、「地下水道」です。
クラクフを京都とすれば、ワルシャワは東京というのが両都市を見て思ったこと。夜まで目一杯歩き回った。そのうちのいくつかを。
・旧王宮の美術館
ここしかないというダヴィンチの「白テンを抱く貴婦人」を見る。
・旧市街市場広場と人魚の噴水
この一画は木組みの家が並ぶドイツのマルクト広場と似ていて、とてもよかった。ベンチに腰掛けてしばらくぼんやり。
・ワルシャワのバルバカン
円形の砦としては完全な姿にはなっていないが、それを囲む壁が長く残っていて(戦後新しく復元したものだが)、この一画もよかった。私にはクラクフのバルバカンより印象に残った。
・1944年のポーランド市民による対ナチス抵抗運動像
力強い彫刻。
・コペルニクスの像
コペルニクスの地動説を支持したガリレイが異端者として幽閉されたのに、当のコペルニクスはなぜ異端者とされなかったのかというと、彼がその説を唱えた著書は彼の死の直前に出版されたからだと知って、なるほど、なかなかだと思った。像を囲む地面には惑星の軌道が線描きされていて、太陽系の惑星が円形のブロンズ版ではめ込まれている。私は木星の上に乗って記念撮影。
・聖十字架教会
ショパンの心臓が納められている教会。
・ワジェンキ公園
この公園が辿った歴史を知り、中まで歩いて見たかったが、時間の制約があり、とりあえずショパンの像だけ。バス停のそばの入り口を入るとすぐに見える。この像はよく写真でみるのだが、ショパンの頭の上を覆う雲のようなものが何なのかどうしてもわからなかった。どなたか教えてください。
・私たちが泊まったホテルからの夜景
このホテル、けっこう高級で、普通なら手がでないところなのだが、日本でいくつか予約サイトを見比べた際、異常に安いサイトをみつけ、信じられない思いで、予約。夜遅く帰ってきて、39階の部屋から見た夜景の美しさに目を見張る。明日は朝食の時間には間に合わず空港に向かうことになる。どんな朝食だったのだろうと意地汚くも心が残る。
8月26日(木) ワルシャワ~ベルリン
ホテルを6時に出て、ワルシャワ空港へ。そこからミュンヘン経由でベルリンへ。たった1泊でもベルリンへやって目的は二つ。その一つは知人のジョニーに会うこと。あとの一つは、笑われるかな?前回ベルリンで食べた行列のできるカリーヴルスト(カレーソーセージ)の店でもう一度食べ、ついでにカリーヴルスト博物館(昨年8月オープン)を見るというもの。カリーヴルストは駅構内のインビス(軽食の店)や屋台などでよく売っている。
ハンブルクが発祥という説もあるらしいが、ベルリンこそ間違いなく発祥の地だそうで、1949年にヘルタ・ホイヴァーという女性が考案し、自分のインビスで売り始めたという。
博物館と言っても、ケッチャプの材料や世界に広がる主なカリーヴルストの店を示す地図(日本では六本木にあるようだ)など、取り立てて興味を引くような展示はない。カリーヴルストが登場する映画の場面などを流している一角はまあまあだったが、この博物館、いつまでもつだろうかと心配になるほど。平日の午前とはいえ、館内は閑散としていた。
入り口の横手にスタンド式の店がある。ここの入場券で3種類のカリーヴルストが食べられる。どこかのサイトでカリーヴルストは白ソーセージと書いてあったが、そんなことはない。太めだが、赤みのもの、ハーブ入りのものなど、むしろ皮つきか皮なしかの選択が重要。私は皮付きのほうがパリパリして好き。博物館に入らなくても、食べるだけはできる。味はまあまあ。でも、私たちの目的は行列のできる店。明日ホテルをチェックアウトする前に食べに行く予定である。
その後、チェックポイントチャーリ博物館(ここは記録ビデオも含めて、しっかり見れば、ゆうに半日はかかる)を見て、ジョニーと彼の娘さんローザに会う。彼との付き合いは長く、これまでの旅日記にしばしば登場する。ベルリンに行けば必ず会う。今回はほんの2時間ほどカフェーで話しあう。奥さんのアンチェは仕事で来られなかった。 雑談のあと、彼の車で絵画館まで送ってもらう。木曜は夜の8時半まで入場でき、7時半からは無料である。ホテルに戻るにはちょっと早いかなというとき、木曜だったら、利用するといい。いい絵がたくさんある。何度みてもいい。
8月27日(金) ベルリン~ドレースデン
予定通り、行列のできる店に行く。店は6時から開いているというので、朝食の代わり。ホテルは中央駅のすぐ横なので、S-Bahnを乗り継いで、30分ほどで行ける。ところが途中で、目的の駅は目下工事中なので代替バスに乗るようにという掲示。工事中?嫌な予感がした。だって、店は駅の高架線の下にあるのだから。案の定、店は跡形もない。諦めきれずうろうろしていると、ちょっと離れたところに店の看板が見えた。臨時の出店(軽トラックを改造した屋台)だった。開店は10時と書いてある。
どうする?今度はいつベルリンに来られるかな?忙しい思いして、スケジュールやりくりして、せっかくベルリンにきたのだもの。というわけで、一端ホテルに戻り、チェックアウトして、再び10時にお店に。美味しい、美味しいで食べた、食べた。
さて、満腹の後は電車でドレースデンへ。駅前のホテルでチェックインしたあと、グリューネゲヴェルベへ。ザクセン強王の収集品(ガラス、宝石、象牙などを使った素晴らしい飾り細工が山ほど)を集めた美術館である。
前に見たときは、これほど贅を極めることができる王の権力と財力を目の当たりにして、強い反発心を持ったが、今回はもう少し冷静(?)になれたようで、目を見張るようなこのような細工の巧みさとそれを作ろうとした職人の思いに心が向いた。一つ一つ丹念に眺めて、心底感歎する。閉館の時間になってしまい、外へ出る。一端上がっていた雨がまた降り始めた。
8月28日(土) ライプチヒ(ドレースデンから日帰り)
朝から雨だったので、今日行く予定のザクセンスイスと呼ばれる景勝の地ラーテンを明日に延ばし、ライプチヒに行く。娘は初めてなので、観光を中心に市内めぐり。
・造形美術館
ベックリンの「死の島」。構図がほぼ似た絵が3枚あり、他の2枚はベルリンとバーゼルにある。何度見てもいいので、真っ先に行く。
・トーマス教会
バッハのお墓がある。たまたま、3時からモテットのオルガンコンサートがあった。確か3ユーロだったか、1時間10分じゅうぶん楽しめた。
・アオアーバッハスケラー
『ファウスト』に出てくる酒場。本当は地下の酒場がモデルなのだが、昼は閉まっていて、上の階の大きなレストランだけ。
・諸国民戦争勝利の記念塔
対ナポレオン戦争(1813年)のライプチヒでの勝利を記念して建立された高さ91mの塔(1858~1913年)。350段の階段を登って一番上まで行く。狭い螺旋階段なので、息も切れるが目もまわる。
8月29日(日) バスタイ橋とケーニヒシュタイン要塞(ドレースデンから日帰り)
昨日の予定を今日に変更したのは正解だった。ザクセン州でスイスのような景観が見られる地帯という意味でザクセン・スイスと言われる地域がある。ドレースデンから電車の1日券で有効な範囲にあるので、嬉しい。
今日も雨だったら、また明日に延ばすしかないかと思っていたが、起きたら晴れていた。勇んで出発。ところが、予定のラーテン行き電車が昨夜の落雷のため運行中止になっていた。途中の駅からバスに乗っていけというので、そうしたが、私たちが行きたいところへ行くバスはなぜか出ていなかった。駅で聞いたら、ドレースデンからの電車が動いているので、ここで待てという。ということで、大幅に時間を無駄にしてしまった。
ラーテン駅から歩いてエルベ川の船着場はすぐ。船は5分ほどで対岸に着く。そこから坂道を登り、バスタイ橋まで行く。山道はけっこう厳しい。1時間ちょっとかかる。だが、そびえる奇岩の群れを見上げ、エルベを眼下に見て、疲れも吹き飛ぶ。ずいぶん前になるが、一人で来たときは奇岩と奇岩の間をつなぐバスタイ橋が恐ろしくてついに向こう側まで行けずに戻ってきた。私は高度恐怖症なのである。
今回は娘の腕にしがみついてなんとか渡ることができた。渡った先の道を行くと、ホテル、レストラン、土産物屋、展望台があり、観光馬車も走っている。なんと賑やかな観光地になっていたのだ。そのもっと先にはバス停や大駐車場もある。
ここからバスで往復した人は、フウフウ言いながらも、豊かな自然にどっぷり浸れたあの山道の楽しさを知らないのかと思えば、なんとなし優越感(?)もある。と言いながらも、次に向かうケーニヒシュタイン要塞行きのバスがここから走っているのがわかり、山道を下ることなく、バスを利用することにした。多くの観光客は自分の車かツアーバスでやってきたようで、私たちの乗ったバスは貸切状態だった。
バスの終点はケーニヒシュタイン要塞のふもとの町。そこからミニトレインで要塞の下まで行く。あとは階段を登ってもいいし、エレベーターで上にあがってもいい。前回来たときは要塞の壁の中に設営された普通のエレベーターだったが、今回はそれに加えて、ガラス張りのエレベーターもあった。怖いけど、眺めは抜群。
青空のもと、自然を満喫できた1日だった。
8月30日(月) ザイフェン(ドレースデンより日帰り)
雨。エルツの木彫り人形を娘に見せたくて、2度目の訪問。乗り継ぎと帰りの最終バスを見ると、ドレースデン7時9分発のバスということになる。今回の旅行は早起きが多い。
バスはザイフェンに入りおもちゃ博物館前まで。大通りの左右に軒を並べるザイフェン人形の店。見るだけで楽しむつもりがつい何点か買ってしまった。その一つが写真にある「ヘンゼルとグレーテル」の煙出し。家の部分をすっぽり取って、そこに香油入りローソクを立てる。煙突からいい香りの煙が流れる。
今日が一番寒かった。
8月31日(火) ドレースデン市内 ドレースデン空港
今日も雨で寒い。ドレースデンから17時55分の便で娘はフランクフルト経由で成田へ。私もほぼ同時刻の便でハンブルクへ。
それまでの過ごし方は、ノイシュタットにあるノイマルクトで朝食をとったあと、アルテマイスター美術館へ。それから空港に向かう時間までグローサーガルテンに。
この庭園のことはこれまでまったく知らなかった。駅からトラムで15分もしないところに文字とおり大きな庭園(グローサーガルテン)がある。奥には宮殿もあるという。無料。入り口を入ったところにミニトレイン駅がある。一周に30分以上かかる広さ。私たちは宮殿に近い駅で降りて、歩く。こんな広い庭があったのだ。びっくり。雨がかなり激しくなってきたので、残念ながら宮殿を眺めるだけ。
ハンブルクでは常宿にしている駅前のホテルに落ち着き、明日からのスケジュールの確認をし、早めに眠る。
明日からの一人旅についてはいつかまとめてお伝えすることになるかと思うので、ここでは行程とほんのちょっとだけメモ風に。
9月1日(水)
午後から友人のアンゲリカと電車でリューネブルクに。私の大切だったシャルロッテが3年前に亡くなり、この5月に彼女の息子さんも亡くなった。彼の奥さんは今年の暮れには息子さんの住むシュヴァルツヴァルトへ越すという。
リューネブルクから車で30分ほど。キルヒゲレルゼンという村に二人のお墓がある。二人だけではない。シャルロッテを通して仲良くなったたくさんの友人たちが眠っている。もうそうそうここに来ることはないだろうと思うと、目頭が熱くなる。花束を捧げてお別れする。
9月2日(木) ブレーマーハーフェン(ハンブルクから日帰り)
ブレーメンからローカル線で35分ほどの港町。ブレーメンも港町だが、ここはまだヴェーザー川だが、ブレーマーハーフェンはヴェーザー川が北海に注ぐ河口の港町。19世紀から第二次大戦後もしばらく外国に移民するドイツ人の80パーセントがここから出国したという歴史を持つ。
二つの川がメルヘン街道のハン・ミュンデンという町で合流し、ヴェーザー川となり約600キロを経て、ここで北海に流れこむ。展望台で見た光景は忘れられない。もう少し晴れていたらと思う。この町にはまた来ようと思っている。
9月3日(金) ハンブルクからエッシュヴェーゲへ
エッシュヴェーゲはメルヘン街道のゲッティンゲン駅かカッセルから行くことができる。日本では馴染みのない町。ここは木組みの家がきれい。私の目的は、この町にある魔女の塔と魔女を収監していた小さな監獄。この町の魔女研究をしている歴史家ファオペルさんを紹介してもらっていた。彼女は私を親切に案内してくれた。「日本人に会うのは初めてです」と言われた。
9月4日(土) ギーゼルヴァーダーからカッセル
この村は白雪姫の村としてメルヘン街道に属している。小さいけれどとても雰囲気がよい。村の真ん中にある織物博物館には「信じられない出来事」と銘打って、本当に信じられないものが見られる。博物館を改修した際に、壁から7つの帽子と7個の欠けた皿が見つかったという。それを見るのが目的。
車で10分ほどのところにある公園にはドイツの城のミニチュアーが60以上も見られる。これも目的。
9月5日(日) シュヒテルンからニュルンベルク
シュヒテルンもメルヘン街道の町。町はずれの丘に建っているのが、ブランデンシュタイン伯爵の城。内部にシーボルト博物館がある。城主はシーボルトの末裔である。知人のブーフホルツさんの車で彼女の娘さん(彼女はフランクフルト大学で日本学専攻)と一緒に連れていってもらう。伯爵とブーフホルツさんが知り合いということもあり、お昼は庭で奥様手作りの美味しいパイをご馳走になる。快晴。シーボルトに関係する植物を集めた庭園は見ごたえがあった。
*このあたりのことは旅行後刊行された拙著『ドイツメルヘン街道夢街道』(郁文堂)に写真ともども詳しく紹介しています。
9月6日(月) コーブルク(ニュンルンベルクから日帰り)
バイエルン州は広い。ところがバイエルンチェケットなら、特急と時間制限さえクリアーすれば、一人20ユーロで1日乗り放題なので嬉しい。大いに活用する。
コーブルクの目的。魔女の塔。コーブルク城。コーブルク名物のソーセージ。
9月7日(火) アウクスブルク(ニュルンベルクから日帰り)
目的は「魔女のブルンネン(井戸)」。モーツアルトの家のそば。ずいぶん前からネットで写真を見、ぜひとも見たいと思っていた。やっと念願が叶ったというところ。でも、ブルンネンのそばにはこれが魔女のブルンネンだとは書いてない。なぜこれが魔女と言われるのかもわからない。これから調べることになる。
社会福祉住宅フッガーライの中を初めて見る。年間家賃が0.88ユーロだそうだ。まるでタダ同然である。巨万の富を築くことができた人が、その富をどう使うかはさまざまである。手を汚すことなく富みを築くのは奇跡に近い。フッガーが豪商になるまでにはさまざまなことがあったろうが、その後もフッガー家が約500年このような慈善事業を続けてきたことには感歎する。敷地には第二次大戦の空襲から守るために作られた防空壕が残っている。実際に使われている部屋のモデルを見ると、人間が快適に住むことのできる最低の空間が確保されているのがわかる。入居条件は貧困なカトリック教徒であること。
話は別。ドイツ鉄道の10分や15分の遅延はもう当たり前。30分、ひどいときは1時間というのもあった。予定をたてるときに、乗り継ぎにちょうどいい電車なんか選んだたら大変なことになる。1電車遅いのを予定したほうが気が楽。アウクスブルクからの帰りもひどかった。
9月8日(水) イトシュタインからフランクフルトへ
ニュルンベルクからまっすぐフランクフルトへ。ホテルに荷物を預けて、イトシュタインに。目的は前回見られなかった魔女の塔の内部見物。しかし、今回も見られなかった。事前にインフォメーションセンターに問い合わせていたにもかかわらず、この日は案内日ではないといい、「ごめんなさい」(と言われてもしかたないが)もない。ちょっと不快な気持になる。でも、塔の内部は実際には魔女を収監していたわけではないというから、まあいいか。
夕方の便でフランクフルト空港に着く仲間たち(魔女の会!)と落ち合うために空港へ向かう。元気に到着した7名の仲間。これから15日まで私を入れて8名、ドイツ観光の旅が始る。それが第3部。
5年前に魔女の故郷ハルツを中心に一緒に旅をして以来、すっかり仲良しになってしまったグループ。今も忘年会とか新年会といっては集まっている。今回はコテコテのドイツ旅行をしようということになって、それならライン下りにロマンチック街道+ビールにソーセージでしょうということになった。
新しい仲間も二人加わって、9月8日出発、9月15日帰国という日程を立てた。こうして8日にフランクフルト空港で待ち合わせ。
グループ旅行も楽しい。なにより食べて飲んで、好きなことを言いあって、笑い皺ができるほど笑う。詳細な日記は年内では無理。でも年を越したくないので、簡単に。
ホテルにチェックイン。明日が早いので、夕食はフランクフルト駅そばのレストランで軽く。さて、「軽く」だったかどうかはどうだろう。帰国まで何度「軽くいこう」と言ったことか。
9月9日(木) フランクフルト~リューデスハイム~ローテンブルク
フランクフルトから週1出ている添乗員付きバスツアーを利用。リューデスハイムまでバス。昼食後、船でライン下り。からバスでローテンブルクまで。
ラインの船下りをしたのはずいぶん昔に1回だけ。その後は電車に乗れば、車窓からばっちりライン河が見えたので、それでじゅうぶんだった。ところが十数年前にできた新幹線はライン河から離れた平野を走るのでラインはまったく見えなくなった。東海道新幹線と東海道線のようなものか。風が強かったが、最上階の甲板でラインの流れを楽しむ。
ローテンブルクで泊まるのは初めて。夕暮れの中、町を散策。シュピタール門の上部に書かれた「来る者にやすらぎを。去る者に幸せを」というラテン語の銘文をかろうじて読み取る。ラテン語が読めたのではなく文字として見たということ(情けない!)
この銘文は東山魁夷の本で知ったが、ローテンブルクだけでなくいろいろなところで引用されているそうだ。日本でも羽田空港や草津町の市憲章として使われているようだ。
今日の夕食は重かった。仲間の一人Kさんが見つけて予約を入れてくれたレストラン「地獄亭」。テーブルはふいごを用いた洒落たもの。9月初旬しか飲めない発酵前のワイン、フェーダーヴァイサー入りのスープが珍しく、かつ美味しかった。
9月10日(金) ローテンブルク~ノイシュヴァンシュタイン~ミュンヘン
ノイシュヴァンシュタインは相変わらずノイシュヴァンシュタイン。いつも思うがガイド別のグループで急きたてられないで、思う様ゆっくり見てみたい。
ふもとのホーエンシュヴァンガウで昼食。観光地値段だったようでどれも高め。ヴィース教会をちょっと見て、一路ミュンヘンへ。
ホテルの予約は私がしたのだが、よく泊まるホテルがどこも満員だったので、初めてのホテルにしてみる。それなりに名前の知れたチェーンホテルで、今回のグループ旅行では一番高かった。立地、部屋、朝食はまあまあだったが、チェックイン時の受付の対応にはとても不満だった。新しいホテルを選ぶのは難しい。
夕食は名物シュヴァイネハクセ(焼いたアイスヴァイン)の店で思うぞんぶん食べ、飲む。
9月11日(土) ミュンヘン市内見物
ホーフガルテンで白バラ記念碑を見て、エジプト収集館へ。仲間の一人Aさんがオリエント文化のオーソリティーだったので、彼女に案内をしてもらうことをお願いしていた。専門家の説明があるとないとでは大違いだと実感する。(魔女のことはザーゲになんちゃってね)一番の収穫はなんとなしにわかっていたつもりのオベリスクについてきちんと知ることができたこと。
昼食はラーツケラーで。この日の昼食は絶対に「軽く」のはずだったが、そうはいかないのが私たち。午後からは6時半まで自由行動。私はAさんとアルテピナコテークへ。帰りにカロリーエンプラッツの交差点に建つオべリクスを見る。形はオべリクスだが、バイエルン州の戦没者記念碑として 年に作られた新しいもの。銘文を読んで首をかしげる。「バイエルンとロシアの戦いで戦死した人々へ」とある。さて、この戦いはいつのことなのかどうしてもわからない。後で調べるからとAさんに言ったものの、いまだ調べていない。
さて、夕食はコテコテミュンヘンということでホーフブロイハウスへ。ところが舞台の見える席も中庭もすべて満席。入り口そばのテーブルで我慢する。でも静かだったので会話も邪魔されなかった。そして、飲み、食べる。
この日は市内の飲食店はどこも満員だった。18日からオクトバーフェストが始るので、観光客が押し寄せている。夕食を終えたあと、テレージエンヴィーゼにある会場へ。開幕前。暗闇に浮かぶ大きなテント。嵐の前の静けさ。
9月12日(日) ザルツブルク日帰り
バイエルンチケットを使う。日曜なので9時前の電車にも乗れる。11時少し前に到着。ザルツブルク駅は工事中。前回来たときと様子がまったく違い、ザルツブルクカードを購入する場所がまったく別なところだった。仲間のMさんが探して無事カードを購入。
バスとケーブルカーでホーエンザルツブルク城に。この城(要塞)が時代とともにどのような変遷を経て現在の形になったかを模型で見せる部屋が面白い。幸いお天気に恵まれたので、展望台での眺望を楽しむことができた。昼食は城の中のレストランで。デザートにザッハトルテ。
モーツアルト広場ではモーツアルト像と記念撮影。ドーム広場やレジデンツ広場でそれぞれ土産物の店を覗く。ついでモーツアルトの生家はパスし、彼が何年か住んでいた住居を見物。ここはオーディオガイド(日本語あり)で簡単な説明とモーツアルトの曲が聴ける。時間があればもっと丁寧に見ることもできるが、夕方にはミュンヘンに戻らなければかれならない。受付で私はピアノの形をした小さな鉛筆削りを買う。帰国後、同じものを買ったSさんから、「後ろをみたらメイドインジャパンって書いてあった」とお知らせ。日本でもどこかで同じものを売っているのだろうか。
ついでミラベル庭園に。日曜は屋敷に入れないので、庭園だけ。色鮮やかな花が目に心地よい。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台にもなった庭というだけあってか、観光客が多い。
さて、次に訪れたのは、私の勝手でぜひ見たいと希望した「魔女の塔」跡。調べてきた行きかた通りに行っても、 見つからない。地理に得意なMさんとK.Kさんの二人が一生懸命探してくれる。やっと見つけた通りは私が調べた通りとは名前が違っていた。
魔女の嫌疑を受けた人々が裁判を受けるまで収容されていたのが市壁に備えられていた防御塔。かつてザルツブルクでも魔女裁判は行なわれ、ここにあった塔に収容されていたという。今は高いビルになっていて、その壁面に記念のレリーフが取り付けられ、その上部には火の燃え盛る薪の山が大きく描かれている。
塔探しに思わぬ時間を使ってしまった。近くのバス停からバスで駅へ。夕食をザルツブルクでするかどうか迷ったのだが、ミュンヘンに戻ってからにした。駅構内のレストランで「軽め」の夕食。
9月13日(月) ミュンヘン~レーゲンスブルク~ヴュルツブルク
レーゲンスブルクで途中下車する目的はドナウ河畔にあるソーセージ店。Kさんのお勧めによる。私はレーゲンスブルクには3回来たことがあるが、このソーセージ店は初めて。
駅を降りて、コインロッカーに荷物を預ける。ドナウ川にむかっておしゃべりしながら歩く。ドームを見て、お目当てのソーセージの店に。歴史的なソーセージのキッチンという名前。小さなキッチンの前にテーブルが何脚も並んでいる。横手に同じ店のちゃんとしたレストランの建物もあるが、当然、私たちは外のテーブル席。
そして食べたのなんのって、おかわりにつぐおかわり。Kさんお勧めに間違いなく、実に美味しい。テーブルの上に乗っている籠の中のパンは後で自己申告。ポテトスープも美味しかった。皆で美味しい、美味しいの連発。
膨れたお腹を抱えて、駅に戻る。途中で買物に走る仲間。なんと私までセーターを2枚も買ってしまった。こんなことはこれまでになかったことだ。
ヴュルツブルクのホテルは駅のすぐ前。チェックインし、マリーエン教会を見て、夕食。
ヴュルツブルクならフランケンワイン。この町には大きなワイン醸造所つきレストランが二つある。そのうちの一つ、ビュルガーシュピタールに。これもKさんの予約。あっと今のグループ旅行だった。今日が最後の夜。飲んだ、食べた、笑った、しゃべった。
9月14日(火) ヴュルツブルク~フランクフルト空港
ホテルに荷物を預け、バスでマリーエンベルク要塞へ。まず領主館博物館を見る。これが案外面白くて時間をとってしまう。おかげで、マインフランケン博物館のほうは時間がなくなり、肝心のティルマン・リーメンシュナイダーの作品をじっくり見るというわけにはいかなった。要塞から歩いてアルテマイン橋まで。マイン川と橋の彫像を見ながら、写真撮影に余念のない仲間たち。
それから急いで昼食。このときだけは本当に本当に軽め。パン屋のカフェでサンドウィッチとコーヒー。
その後、レジデンツへ。凄い人だかり。なにかと思ったら、レジデンツの前一面を使ってロケが行われている。2011年公開予定の3D映画「三銃士」。オーランド・ブルームの姿をチラリと見る。
レジデンツ内部には入れるが、1階の一部は俳優たちの控え室になっている。見所の階段を上ったところで壁画や天井画を眺める。宮殿内部はドイツの宮殿を同じような作りと調度品。美しい庭には入れない。
*翌年、日本での上映の際、みんなで集まり、鑑賞し、その後はドイツビアレストランで楽しく盛り上がった。
早めの電車でフランクフルト空港へ。出発まで免税店を覗いたり、お茶したりで時間を過ごし、やがて機中の人となる。
9月15日(水) 成田へ
仲間の一人Sさんが駅の階段で転ぶというアクシデント、K・K・Kさん(この仲間はイニシャルがKの人多いのである)がお土産を電車の中に忘れるという失敗、K・Kさんはドイツの水が合わなかったのか、かわいそうなくらい手が荒れてしまったというようなことはあったが、それ以外に大きなトラブルはなく、全員無事成田に着く。荷物を手にしたところで解散となる。
私は今回携帯電話をレンタルして持っていった。携帯を使うのは初めてである。なかなか思うように打てず、電車の中でも携帯と格闘。車窓を楽しむ時間をかなり損してしまった。これで私が携帯に目覚めて帰国したら買うだろうと思った人もいたようだが、いまだ持っていない。
今回の旅行は3部立てで、それぞれが面白く、有意義な旅ができた。また、行きにプレミアムエコノミーに移るというラッキーなことがあったが、その席の電灯が壊れていて、そのお詫びにあとで3750マイルが送られてきたというおまけのラッキーもあった。
娘とは来年の夏はどこにしようかと相談を始めている。春は私の一人旅。ちょっとした目論見がある。それは来年春の旅日記で。魔女の会の仲間たちとは12月末に忘年会をすることになっている。ドイツでのあれこれ話題に事欠かない。
それにしても帰ってきてから時間が立ち過ぎたようで、忘れていることがいっぱいある。でも、細かいことはいい。楽しかった思い出だけでじゅうぶん。
2007年に魔女の祭に参加するツアーを催してから3年経った。GWということもあり、そう人数は集まらなかったが、主催者(モアビート)の決断で催行を決めた。祭の夜はザーゲを含めて日本から6名、現地の知人4名、現地在住の日本人女性1名の11名が参加。そのあとは6名でメルヘン街道の町をいくつかめぐることになった。そのときの報告を簡単に。
4月28日(水) 成田からフランクフルト経由ゴスラーへ
成田出発。フランクフルトから大型車でゴスラーまで約4時間。途中サービスエリアのレストランで30分ほど休憩。ゴスラーのホテルのロビーには天井からお馴染みの大きな魔女の人形が2体飾られている。
4月29日(木) ゴスラー市内見物のあと、ヴェアニゲローデへ
ゴスラー在住の知人由紀子さん(この旅日記にたびたび登場)の案内で、フランケンベルク、ペータースベルクの美しい木組みの家並みや教会、そしてジーメンス家の建物などを見る。皇帝居城にも入る。12時のグロッケンシュピールに間に合うようマルクト広場に駆けつける。
そのあと、市庁舎とシューホーフ(かつての商人街)をまわり、手作り工芸品の小さなお店がはいっているグローセスハイリゲスクロイツ(元教会)を見る。
ここでザーゲの失敗話。広場に向かう途中、リュックをしょっていないことに気付く。皇帝居城に忘れたのかもしれないと、由紀子さんに言い置いて戻るが、忘れ物の届出はないという。大切なものは電子辞書だけ。まあ、しかたないかとみんなのいるところに戻ると、仲間の一人がリュックなら専用車の中に置いてあったと言う。そうか最初からしょっていなかったのかと、まったくその自覚がないのだから救いがたい?慌て者め。
このあとユネスコ文化遺産にもなっているランメルスベルク鉱山跡の近くにあるレストランで昼食。レストランからゴスラー市内を見下ろす眺めは素晴らしい。ゴスラーそばに住む知人のアレックス夫妻と二人のお子さんに会う。今回はアレックスの家に寄る時間がないことを知らせたら、ではここでちょっとだけ会おうということになったのだ。アレックスもこの旅日記によく登場する。作家であり、音楽家でもある。
昼食を終え、由紀子さんに別れを告げ、大型車でヴェアニゲローデに向かう。途中トルフハウスという駐車場でいっとき休息。ここからブロッケン山の全貌がはっきり見えるのを数年前に知り、それを参加者に見てもらいたいと思ったのだ。天気予報では明日から小雨ということだったので、お天気のいいうちに見てもらえてよかったと思った。
ヴェアニゲローデのホテルに着いて一休みしたあと、町へ出る。魔女グッズを買うのが目的なのだが、店は遅いところでも7時には閉まってしまう。思うように店を見ることができなかったようだ。明日は必ず時間を取るからと約束。魔女グッズはここハルツでしか買えない。
マルクト広場のあたりを散策したあと、レストランで夕食。アスパラスープのあと、サラダとフライドポテ付きボリューム満点のシュニッツェル。誰一人として食べ切れそうにない。そこで、明日お世話になる知人のゲルディが打ち合わせに来てくれたので、彼女のお孫さんのレアちゃんにお土産にしてと一人前のシュニッツェルをお持ち帰りにしてもらう。
こうしてホテルに帰りつく。このホテルのエレベーターではとても不思議な経験をした。私の部屋は4階にある。降りる階を押すボタンは中にない。ボタンはエレベーターのドアの横にあるタッチパネルを押すようになっている。
さて、仲間と一緒に乗ったのだが、4階に止まらず5階まで行ってしまった。そこで1階だけ階段を下りればいいと思い、そうしたのだが、階段の下は3階だった。もう一度階段を昇るとそこは5階だった。4階がないのだ!5階で4階を押してエレベーターに乗るも、またも3階に行ってしまう。完全に4階が消えてしまった。フロントまで降りて、そこから4階を押してエレベターに乗った。エレベターのドアが開いたらそこは無事4階だったのだが、5階の部屋に行こうとした仲間が立っている。5階に行きつけないのだと。
このホテルは2つの建物からできていて、その間にエレベターがある。そしてエレベターに乗り込んだほうのドアが開くときは偶数階、反対側のドアが開くときは奇数階というようになっていて、タッチパネルをじゅうぶんに押さないと、うまく伝わらないらしいということがわかった。
わかればなんということはないのだが、5階を降りたら3階、そこをまた上ったら5階。私は4階に行きたいのだ。まるでカフカの『城』の世界に迷い込んだような感覚に襲われた。
4月30日(金) ブロッケン山からシールケ、そしてヴェアニゲローデ城でのヴァルプルギス
1年に一度の魔女の宴ヴァルプルギスの夜である。昨年、ヴェアニゲローデ城での祭を見て、ほどよい音楽と素朴な雰囲気、中世市場や大道芸、魔女コンテストもありで、今年はツアーが催行されたらぜひここで過ごしたいと思っていた。
初めて参加する人にはひょっとして物足りないかもしれないという不安はあったが、シールケなど伝統的なところでも最近はとみに騒々しいだけの春迎えとなり、おそらく失望するだろうと、でも2箇所を回るのは無理なので、私の独断でヴェアニゲローデにした。
午前中はブロッケン山にSLで登る。旅行に出る前からずっと気になっていたのがお天気。ドイツの天予報はこの週は曇りあるいは小雨。いつも持参するテルテル坊主を初日から飾り祈る思い。前日もアレックスから雨らしいよといわれていた。祭の夜はともかくブロッケン山に登るときに雨だったら、おそらく霧も出て、寒くて大弱りだ。
ところが、参加者のNさんに成田で会ったとき、すでにテルテル坊主をトランクにくくりつけていた。それらが功を奏したのか、なんと快晴。SLの車窓からも山頂からもハルツの雄大な自然を見ることができた。
山頂で1時間の散策。再びSLで下山し、途中のシールケで降りる。30分ほどハルツの山道を下って下のシールケ村へ。会場は夜の準備に余念がない。それだけ見て、すぐにSL駅へ引き返す。今度は登りである。フーフーの仲間も、でもこんなふうにハルツの森を歩けるのだからと納得してくれた?
山から下りてきたら、町中の店で魔女グッズの買物。魔女の帽子や鼻を買う人もいる。私もつられて黒いトンガリ帽子を買う。さて、それからホテルで魔女に大変身。参加者の皆さんはそれぞれ思い思いの衣装、小物を日本から持参。
猫やカラス(?)、仮面舞踏会用のマスクを持ってきた人は化粧も早い。私は前と同じ白いアフロフェアーのカツラに赤い花をつける。化粧は日ごろすっぴんなので、のりが悪いようで、イメージしていた化粧はやめて、ほほにハートやらダイヤやらを描いて終わり。鼻がうまくつかなくて苦労している人もいる。こうしてともかくも7名の魔女が出来上がり。
全員一緒に町へくりだす。市庁舎前で記念撮影。昨夜のゲルディは緑の顔に長い鼻。ご主人は真っ赤に顔を塗り、赤い角を頭に。手にはネズミのぬいぐるみをつけた二股の杖とドラのようなものを持っている。これをうちならす。立派な悪魔の巡礼者だ。気分がでる。お孫さんのレアちゃんは昨年、魔女コンテストで優勝した。そのときの認定証と333ユーロの入っていた賞金袋を見せてくれる。見知らぬ観光客も写真を撮らせてくれと頼んでくる。なかなか気分のいいものだ。
ミニトレインで城まで。ここからは自由に動くことにする。といっても城のバルコニーはそれほど広くない。片隅のベンチを占領し、飲み物、食べ物を買いもとめ、ときにうろうろ動き回る。舞台では司会者がなにか言っているが、ドイツ語。適当に聞き流し、私たちもほかの魔女たちと記念撮影。遠くバルト海沿岸のロストックからやってきたという二人連れの魔女は迫力あった。
夜10時頃ミニトレインで再び町へ戻る。マルクト広場のそばのニコライ広場でも祭りをやっている。舞台にはかなり知られているらしいロックバンドが演奏。人々は飲み、踊っている。すこしばかり見て、ホテルに戻る。
さて、明日からはメルヘン街道に入る。
5月1日(土) ゲッティンゲンからラインハルトの森(ザバ原生林、ザバブルク、トレンデルブルク)を経て、カッセルに
出発間際、ゲルディが見送りにきてくれる。昨夜の魔女コンテストでレアちゃんが2年連続一等だったと証明書を見せる。これは凄いこと!
専用バスでゲッティンゲン駅へ。ここでツアー最後の日までスルーでついてくれるガイドのハーさんと待ち合わせ。彼はいつも私のツアーのお世話をしてくれるインテリのドイツ人。到着まで少し時間があったので、マルクト広場を案内する。そのうちハーさんがやってきて、皆と顔合わせ。
ゲッティンゲンからザバブルク城へ。ここで昼食。そのあと、ザバ原生林で樹齢700年のオークの樹を見る。この樹のことは昨年の旅行記に写真と一緒に記している。ラインハルトの森まで来たのだから、ぜひ皆さんにも見てもらいたいと思っていたのだ。
この後、トレンデルブルク城に。「ラプンツェル」の挿絵のモデルの塔がある。これも見て欲しかったものである。さて、帰ろうかというとき、なんと騎士姿のディターが姿を現した。びっくり。彼は拙著やこの旅行記にもよく登場する。私がメルヘン街道を旅するときはいつもお世話になっている。
今回は個人で動くのではないので会えないが、一応今日の予定はメールで知らせておいた。しかし、その後、行程も変更になったりして、どうして、こんなにもタイミングぴったりで姿を見せるのかと本当にびっくりした。彼は騎士姿の絵葉書をもってきていて、皆に配って一人ひとりサインをし、記念撮影する。皆さん喜んでくれただろうか。
そんなこんなで時間がかかり、このあとハン・ミュンテンに寄るつもりが行けなくて、一路カッセルのホテルに。ホテルでチェックインしたあと、市電で市内まで。今日の夕食は各自自由にということになっている。ガイドのハーさんのお勧めと私が調べておいたレストランとが同じだったので、そこに入る。旬のホワイトアスパラを二人で一皿を注文した人もいる、味はまあまあだったらしい。
5月2日(日) ヴェラタール(リヒテナウとホレが池)
今日はグリムがらみの1日になる。昼間は「ホレおばさん」(グリム童話)にちなんだ「ホレ公園」と「ホレが池」をまわる。彼女が羽根枕を叩くと、それが雪になって降ってくるという。しかし、彼女の国に行くにはグリム童話では井戸の底、伝説では池の底にあるという。このようにホレは地下にも天にも同時に住んでいる不可思議な異次元の存在である。
また、勤勉な娘には褒美を、怠け者の娘には罰を与えるために、1月になると空を飛んで見て回るという。これがグリム童話の話に結びついている。
このホレが池へ行くのはカッセルから市電でヘッシッシュ リヒテナウで降りて、数少ないバスを利用する。リヒテナウは「ホレの国への入り口」として観光用に「ホレ公園」を作り、秋にはホレ博物館もできるそうだ。
私たちは市電と大型タクシーを利用して、リヒテナウからシュヴァルベンタール(池に行く途中の見晴台)を通り、ホレが池に行く。今日初めて雨が降った。上がったり止んだりなので、観光にそれほど支障はない。それにしてもこれまでよくもったものだと思う。
ホレが池のホレ像を見たあと、数キロ先のレストランで昼食。ドイツの田舎料理を味わい、再び大型タクシーでリヒテナウに戻り、市電でホテルまで。一休みして、夕食はバウナタールのクナルヒュッテというビアレストラン。
ここはグリム兄弟に話を聞かせたフィーマン夫人が生まれた家である。彼女の父はビール醸造を手がけ、旅人は旅の途次、ここに寄り、食事をした。フィーマン夫人は恐るべき記憶力で旅人が彼女に話して聞かせた童話を覚えていて、後年、それをグリム兄弟に伝えた。グリム童話第二巻には彼女から聞いた話がたくさん載っている。
このレストランに入るのは3度目である。残念ながら今回の食事が一番よくなかった。これは企画にたずさわったものとして反省。
5月3日(月) アルスフェルトからシュタイナウを経て、フランクフルト空港へ
早い、早い。あっという間に帰国日である。アルスフェルトの町で買物の時間をゆっくり取る。仲間たちは、ハルツで魔女グッズはしっかり買ったので、ここでは毛糸屋さんや文房具店など普通の店を覗いて楽しむ。
マルクト広場そばのジャガイモ専門店で昼食。ジャガイモとほうれん草のグラタン。やはり量は多く、半分しか食べられなかったが、味はよかった。
シュタイナウに向かう途中、大雨。しかしバスから降りると止む。乗るとまた大雨。ラッキーと思う。仲間の二人が延泊することになっていたので、シュタイナウの駅でサヨナラする。
早めに空港に着く。今回は私も皆と一緒に搭乗する。
5月4日(火) 成田
無事成田に着く。それぞれ帰宅。
8日、延泊の仲間から無事帰国の連絡を受ける。よかった。こうして2010年の魔女ツアーは終った。
満足度はどうだろう。5月26日に写真交換会をすることになっている。どんな感想をいただけるか不安もあるが楽しみである。
3月24日(水)
羽田から 松山空港へ。松山駅そばのホテルにチェックインしたあと、宇和島へ。芭蕉の句碑(龍光院境内)や宇和島城を見る。この城のガイドさんに城の歴史を説明してもらい、面白かった。
3月25日(木)
松山駅から 坊ちゃんエクスプレスで高松駅へ。高松平家物語歴史館、玉藻公園、栗林公園を見る。高松城は水城。お堀がそのまま海という面白さ。ここ高松で2泊。
高松平家物語歴史館は私としてはお勧めである。人形を使って再現している平家物語の有名な場面は立派なものである。琵琶法師の語りを聞かせるコーナーも興味深かった。
その名は知っていたが、栗林公園の素晴らしさにはすっかり心を奪われた。公園内のガイドさんが大変詳しく説明してくれた。それもよかった。
3月26日(金)
琴平電鉄で金刀比羅山詣で。本宮まで785段の階段がすごいという話だったので、不安だったが、ゆっくり、ゆっくり登っていけば大丈夫だった。高い料金でわずかの部分しか乗せてくれない駕籠など必要なかった。ただ、お店で貸してくれる杖はそのお店で何か買えば無料だが、そうでなかったら100円払う。私は何も買う気がなかったので、お金を払ったが、階段の途中から借りたので、これは最初から借りればよかったと思った。
更に奥ノ院があり、そこまではなお500段以上とのこと。どうしようかと考えあぐねていたところ、上から私と同年代くらいの女性が若い青年と降りてきたので、尋ねると、「息子についていったけど、何もない。ただきついだけ。お勧めしない」という言葉を聞いて止める。
日本最古の芝居小屋という「旧金比羅大芝居金丸座」は内部見学ができてとても興味深く見た。これはお勧め。
琴平駅から善通寺駅へ出て、弘法大師の生まれた善通寺に行く。駅から徒歩20分とあったが、私の足ではそれ以上かかった。それでも行ってよかった。さすが弘法大師、境内は広く、寺も立派だった。
3月27日(土) 高松 屋島 松山
高松築港から琴電志度線で琴電屋島駅に。コトデン屋島シャトルバスで山頂に。南嶺、屋島寺(西国84番)、談古嶺、獅子の霊巌、水族館前を通って一周する。
屋島の合戦も今は昔、そのあたりはすっかり整備されてしまった。右手に小豆島、向いに岡山がかすかに見える。昔、朝鮮からやってくる船はここを通って岡山に行くのがコースで、山頂に残っている城跡はその見張り用だったとか。
那須与一の駒止岩は下に降りてから歩いていくということで、残念ながらパス。岡山の言い伝えでは桃太郎は岡山の人。鬼が島が屋島から見える。面白いものだ。
3月28日 (日)
娘と松山市駅で落ち合い、内子へ。ガイドブックでお勧めしているほどの良さはなかった。期待していた絵づけ蝋燭を作っている店と歌舞伎の内子座がまあまあというところ。松山に戻り夕方の飛行機で東京へ。