作成中。
今回は夏の魔女街道ツアーが残念ながら不成立になってしまった。その期間を旅程に含ませていたので、現地26泊というちょっと長めの旅になってしまった。
ということで、旅日記も詳しく書けば、長くなりそうなので、伝えたいものだけにしぼろうと思う。
①スイスとリヒテンシュタイン (チューリヒ2泊)
8月22日(土)
フランクフルト経由でチューリヒに。ルフトハンザが遅れてホテルに着いたのは夜中。実に22年ぶりのスイスである。
安いホテルだからしかたがないのだが、部屋に入ってまず目にしたのが機能一筋という形の扇風機1台。でもお世話になるほど暑かった。
8月23日(日)
私が初めて黒い聖母子像を知ったのは、友人から見せてもらったアインジーデルン修道院の写真でだった。それ以来、黒い聖母子像に興味を抱き、いろいろなところで 黒い聖母子像を見る機会を持った。
今回は別な目的からスイス行きを決めたのだが、ならばアインジーデルンもルートにのせようということになった。
アインジーデルンにはチューリヒから電車で約45分。さすがアルプスの国、山と湖の景色を車窓から楽しむ。駅から歩いて10分もかからない。なんとなく小さな修道院を想像していたら、まったく違っていた。修道院は大きくて立派な建物だったし、修道院の前にはみやげ物屋が軒を並べ、一巡りしてその水を飲めば幸運をさずかるという、よくある噴水もある。その水を持ち帰るためのペットボトルも売られている。前の広い駐車場には車がいっぱい。以前行ったミュンヘン近郊のアルトエッティングと似ている。典型的な聖母マリア巡礼地である。
修道院の中に入ると、すぐのところに大きな「マリアの家」(聖母マリアが晩年を過したと言われるエフェソスの家を形作り、それを祭壇にしている)がある。そこに黒い聖母子像が祀られていた。黒い聖母子像は均整のとれた美しい姿だった。撮影禁止のため目に焼き付けるだけ。「やっと見たよ!」という感激を持ってこの町を去る。
その後、リヒテンシュタイン公国に行く。リヒテンシュタインは世界で7番目に小さい国だそうで、首都ファドゥーツの人口は約5千人。
アインジーデルンからは電車で1時間20分、サルガンス駅に着き、駅前から出ているバスにに乗って30分でファドゥーツに着く。バスをおりて目抜き通りへ出ても閑散としている。市内観光バス乗り場のあるあたりにはレストランや店もあって少しはにぎやかだが、それでも一国の首都だからもう少しにぎやかなのかと思った。
この国とドイツ史の関連を知れば面白いものも見えてくるはずなのだが、今回は何の準備もせず、まったくの観光気分。目抜き通りにある観光局でパスポートに2スイスフランでオフィシャルパスポートスタンプを押してもらう。
切手博物館を見て、遅いお昼を食べ、山の上にある王宮の内部は見学できないので、観光バスで市内を一回りして、再びチューリッヒに戻る。
②ベルナー・オーバーラント (ヴェンゲン2泊)
8月24日(月)
ベルンで乗り換え、インターラーケンへ。この公園からはユングフラオがよく見える。今日はまぶしいくらいの快晴。ハンググライダーが衝突しないかと心配になるほどたくさん空を舞っている。
ヴェンゲンに着いてホテルにチェックインしたあと、ゴンドラでメンリヒェンという山に登る。下から見ただけでは上のほうがどうなっているのかわからない。登って、景色を眺めて降りてくるだけかと思っていたら、上は広い牧草地で、アイガーやユングフラオなど4000メートル級の山々がよく見える。
たくさんの牛がのんびり草を食んだり、道端に横たわっていたり、人見知りしないらしく人々の前をゆったり歩いていたり、おとなしく一緒にカメラにおさまってくれたりする。可愛いものだ。
カウベルの音色はとてもすてきななのだが、これほどたくさんの牛に鳴らされると、うるさいくらい。夜までずっと耳に残っていた。でも、今ではそれがちょっと懐かしい。この山はユングフラオほど観光化されていないので、あまり人もいず、お勧めかと思う。
8月25日(火)
昨日の夕刻から雲行きが怪しかった。心配していたとおり雨。それで予定を変更し、都会なら少々の雨でもなんとかなるだろうとベルンへ行く。特に見たいものもなかったが、一応スイスの首都くらいは足を踏み入れるかという程度だった。
ベルンはアーケードの町だと聞いた。確かにかなり長い大通りの両側はすべてアーケードになっていて、そこに店が並んでいる。名の由来となったクマにあやかってクマグッズがいたるところ目に付いた。バラ公園ではちょうど満開のバラが見られて、これはよかった。
時計塔の仕掛け時計は一見の価値ありとガイドブックに載っていたので、時間を見計らっていく。大勢の人が集まっている。ところが、ところが、さて、こりゃなんだ、というほどあっけなく終る。今のは前座かと観光客はしばらく動かない。でも、どうやら終わりらしいとそれぞれ散っていく。これには本当にがっかりした。というわけで、しかもお天気も回復してきたので、昼食もせずに、山に戻る。
インターラーケンから登山鉄道に乗ってラオターブルンネンで降りる。バスでトリュンメルバッハの滝まで行く。この滝、それはそれはもの凄かった。入り口からエレベーターに乗って岩山を上がっていく。降りたら歩いて岩山の中へ入る。目を見張るような激流と滝。
うまく表現できないのが残念だが、上の岩から下の岩へとその割れ目を通って流れる大量の水が滝となって流れ落ちる。岩はいくつも割れ目を作っているので、滝は1つだけではない。この滝のそばの道を水に濡れながら下っていく。「太鼓」という名の通り大音響が響き渡りる。これにはかなり興奮させられ、デジカメで動画をたくさん撮ってしまったが、あの迫力は動画でも無理、実際に見てみないとわからない。
もう一つ滝の話。電車がラオターブルンネンに近づくと、向かいの高い岩山から垂直におちる滝が見える。落差300メートルだそうで、シュタオプバッハの滝という。これも見事な景色だった。私はこの滝の下がどうなっているのか、見たくてしかたなかった。電車からはちょうどそのあたりが木々で隠れていて見えない。
これだけ落差があれば水は霧のようになってしまい、滝つぼなんてできないと聞いていたが、それならそれでどうなっているのか、どうしても見てみたい。ラオターブルンネンの駅からも歩いて行けるが、トリュンメルンバッハの滝へ行くときにバスがその近くを通った。それで帰りに途中下車した。
間近に行ってもまだ見えない。そばに階段があり、それを登れば、滝の裏側に出て、滝の行く末(?)が見られるらしい。行ってみてわかった。本当に滝つぼなどなかった。霧のような水が下へ下へと落ちていって、そこには小さな小川ができているだけ。私には信じられない光景だった。シュタオプバッハ(粉塵の小川)の由来がわかったような気がした。
8月26日(月)
今日も快晴とはいかないが、昨日よりはまし。ユングフラオヨッホに行く。前に来たときは、氷の宮殿内にたくさんの氷の彫刻があり、千代の富士の像もあった。あれから22年経っている。もう千代の富士はないだろう、きっとイチローかななどと思いながら内に入る。氷の彫刻はずいぶん少なくなっていて、千代の富士もイチローもいない。おそらく日本のスポンサーが降りたのかもしれない。
この日の昼食はクライネ・シャイデックのレストランで食べた。ベランダの席からアイガー北壁が迫って見える。カウベルの音も聞こえる。夕方にはチューリッヒに戻ることになる。しばしこの大自然に身を任せる。
③スイスとドイツ(チューリヒ2泊)
8月27日(火)
チューリヒから電車でシュロス・ラオフェン・アム・ラインファル(ライン川の滝そばのラオフェン城)という長い名前の駅で降りる。駅の下はもうライン川、滝の一部が見え、音も聞こえる。階段を下りると、そこが船着場。船は向こう岸まで行き、そこでまた客を乗せて、ライン川の滝の真下にある中ノ島まで行く。
この中ノ島のてっぺんまで登ると、ライン川の水がたくさんの岩の間を勢いよく流れて、滝となって落下するのが目の前で見られる。スイスに源を発し、北海に流れる約1320メートルのライン川で唯一落差のあるところだそうな。ゲーテも感動したということだが、私は正直あまり期待していなかった。ところがどうして息を飲む素晴らしさだった。島の下で帰りの船を待っているとき、滝登りをしている鮎が1匹見えた。
この滝を見たあと、歩いてシャフハオゼン駅まで行き、そこから電車でライヒェナオ駅へ行く。そこはもうドイツ。ライヒェナオはボーデン湖に浮かぶ島だが、陸地とつながっていて、ライヒェナオ駅からバスが出ている。
ここを選んだ理由は、ドイツ薬草学の祖と言われる中世の修道士シュトラボがここの修道院に住み、『薬草園』という本を書いた土地だったからである。数年前から薬草に関心を持っていた私はぜひとも訪れてみたかったところである。
こう書くと、なにか神秘的な雰囲気の島のように思われるだろうし、私もそう思っていた。ところが私の期待とはまったく違っていた。この島は昔からだそうだが、農業の盛んなところで、島内いたるところ広々とした農園で、農業に関心のある人にはきっと面白いところなのだと思う。
この日は快晴で、暑くて暑くて、雨傘として持ってきたものを日傘に代用するほど。神秘的雰囲気などこれっぽちもない。まさに健康的な島だった。
島内にある教会はいずれも中世に建てられた由緒あるもの。シュトラボがいた修道院の博物館には彼のことについての資料も展示されてはいたが、ここに教会を作った偉い修道士が主役で、シュトラボは脇役。修道院のそばに作られた薬草園もとりたててこれというものではなかった。そういう意味ではかなりがっかりした。
チケットを購入すると島内をめぐる観光バスに乗り放題ができる。バスを乗り継ぎ、乗り継ぎして教会やコンスタンツから来る船の船着場を見たりして、早めにライヒェナウ駅に戻る。帰りはコンスタンツに出る。ボーデン湖畔でチューリヒまでの電車を待つ。
8月28日(水)
チューリヒ駅のロッカーに荷物を預けて、バーゼルに向かう。スイスを選んだ目的はここの絵画館を見ること。満足。ちょうどゴッホ展があり入場者が列をなしていた。
その後、小さな渡し舟でライン川の向こう岸に行き、帰りは橋を渡って町中へ戻る。おもちゃ博物館に入る。これは予想以上に面白かった。
チューリヒに戻り、夜の便でハノーファーへ向かう。スイスの都会を3つ訪れたが、私の気に入ったのはなんと言ってもチューリヒだった。
④ドイツ(4泊)
8月30日(木)
午前中にハノーファーの市庁舎や確認したい銅像を見て、午後の電車でカッセルへ。ヴィルヘルムスヘーエ公園にあるヘラクレスの像へ行く。これについては2008年夏の旅日記に記してる。その後、公園内の城博物館を見る。
8月31日
ハーメルンはもう何回も来ているのだが、夏の日曜日だけ上演する「ネズミ捕り男」の芝居を見たのは大昔。最近はどうなっているのか、日曜を狙って行くことにした。思ったより観客は少なかったが、それでも椅子に座ることはできず、立ち見である。
いくつか変わったこともあった。芝居が始る前にアナウンスで粗筋を紹介する。それもドイツ語、イタリア語、フランス語、中国語、そして日本語が流れる。主役の笛吹き男を演じていたのは若い女性。何代目だろう。最後に全員が舞台に立ち、中の5人がそれぞれの原語でお礼を言う。ずいぶん親切になった。
レストラン「ネズミ捕り男の家」の名物料理である「ネズミのシッポ」を食べるつもりだった。2008年の旅日記にも記したが、一人で食べるには多すぎなので、今回は娘も一緒だから絶対食べてみようと思ったのだ。ところが昼はやっていないということで残念。
9月1日
カッセルのホテルにトランク1泊を頼み、軽装で出発。今日は古城ホテルに泊まりたいという娘の希望で、ザバブルクを経てトレンデルブルク古城に泊まることにした。
今年の春と同じコースを歩く。ところがいくつか誤算があった。動物公園を一周できなかったこと。ミニトレインが走っているのだが、この日は私たち二人しかいなかったので、「最低5人じゃないと走れないよ」と断られてしまった。それで広い園内を半分も見られなかった。また、ここはザバブルク城の絶好のカメラスポットだったのだが、城が改築工事でビニールシートで覆われていたので、これも残念。
ここから歩いてザバブルク城まで行く道は春にはハマナスの花が満開で、それはそれは綺麗。秋は花が実となってそれも美しいのだが、目を奪われるのはやはり春か。
トレンデルブルクに着いて一休みしたあと、ヴォルケンブリュッフを見に行く。興味のある方はここをご覧ください。一人で行くのはかなり不安だったので、まだ1回しか行ったことがない。今度は娘が一緒だから心強くしてでかけた。
ところで、私は度し難い方向音痴である。娘が言うには、私が「絶対この道」と確信に満ちて言うときはたいてい違う。自信なさそうに「こっちだったと思う」と言うときは確実なのだそう。
でも、今回は絶対間違いないと山道に入っていったら、やっぱり迷ってしまった。獣道みたいなところに入り込んで、でも、下の道路を走る車の音は聞こえるので、心配はしなかったが、たどり着けるかどうか不安もあった。なんとか遠回りの末、見ることができた。
今年の春に大変お世話になったドイツメルヘン街道協会のブーフホルツさんが、私たちがここに泊まると聞いて、これまたいつもお世話になるウッフェルマン氏と私たちの3人を夕食に招待してくださった。古城ホテルのレストランのバルコニーでいただいた食事はことのほか美味しかった。
9月2日
カッセルに戻り、ホテルでトランクを受け取り、フランクフルトへ。娘は夜の便で帰国。それまでの時間をマイン川畔のシュテーデル美術館で過ごす。ここは何度来ても見飽きない。空港駅で娘に見送られて私は一人ニュルンベルクへ。
⑤ニュルンベルクからミュンヘンまで(4泊)
9月1日(水)
ニュルンベルクで泊まるのは初めて。とにかく駅に近くて安い宿を条件に探した。だから、それほどがっかりすることはなかった。駅から5分ほどで、しかも朝食付き2泊で78ユーロ!積極的にお勧めかどうかはわからないがそれほど悪くはない。
9月2日(木)
ヴァイマル近郊のブーヘンヴァルト強制収容所を訪れたのは二十数年前。そのときこういうところを観光客として訪れてもいいものかと考え込んでしまった。その後、知人の叔父さんがそこで生を終えたベルリンのプレッツンゼー強制収容所に連れていってもらった以外、自らそういうところへ行くのは控えてきた。
でも、今回はもう一度だけそういう場所に足を踏み入れる気持ちになった。たまたま日本初公開というレニ・リーフェンシュタールの映画「意志の勝利」を見たこともあり、まず、その舞台となったニュルンベルク近郊のツェッペリン広場と党大会会議場跡に作られたドクメントセンターに行ってきた。
ニュルンベルク駅前からバスでドク・ツェントルム下車。会議場は巨大な競技場みたいで、今は周囲の壁だけと何もない中庭があるだけ。その横の記念館ではそれぞれの部屋で当時のさまざまな映像を見せてくれる。初めて見たものもあって、これはとても役にたった。
この会議場の横にはきれいな池があり、それに沿って二十分ほどだったか歩くと大野外会場に着く。映画「意志の勝利」の舞台である。今は会場中央の建物が少しと崩れかけた階段だけが残っている。ドイツでよく見かける「自己責任において登ること」という看板がある。上に登ると会場跡が見渡せる。今は広い道路が貫き、その向こうは公園になっている。映画や写真で観たヒトラーが登場してくる扉と演説用に作られた場所はそのまま残っている。
壮絶な風景だった。「つわものどもが ゆめのあと」などという感傷など吹き飛ばすような、それこそ「かつての巨大な意志」が伝わってくる。そして、こういう場所を完全に取り壊さず残し、多くの人に公開する「ドイツの意志」も感じられた。
市内に戻り、Uバーンでベーレンシャンツェというところまで行く。地上に出てちょっと歩いたところに立派な建物、州立裁判所がある。その裏手にニュルンベルク裁判が行なわれた第六法廷のある建物がある。現在改修工事が行なわれていて中には入れない。わかっていたが、外からだけでも見ようと思った。
再び市内に戻り、ゲルマン国立博物館へ。水曜日は入場無料の上に夜9時まで。「冷戦」というテーマの特別展をやっていた。今年はベルリンの壁崩壊から20年。いろいろなところで記念の展覧会が目についた。くたくたになって宿に戻る。
9月3日(木)
朝早くニュルンベルクを出てミュンヘンに。ここのホテルも初めて。駅そば、朝食付き2泊で138,60ユーロだからニュンルンベルクの約2倍。まあまあのホテルだった。お勧めかも。
ホテルに荷物を預けてSバーンでシュタルンベルク湖まで。ここから船に乗ってレオニという村で降りる。今回の旅の目的の一つはルートヴィヒニ世関係でまだ訪れることのなかったところに行くことだった。
ルートヴィヒ二世が軟禁されたベルク城と溺死体があがったシュタルンベルク湖畔に立てられた十字架を見に行く。今日はかなりの雨。それでも行くしかない。
レオニ村から湖畔に沿って歩く。しばらくして坂道になり、その上に教会がある。そこから湖がよく見え、湖畔に立っている十字架が見える。十字架のそばまで行く。かなり激しい雨。ルートヴィヒ二世が溺死した夜も大嵐だった。こんな感じだったのかなと思えば雨も僥倖か。
9月4日(金)
ヘレンキームゼー城へ行く。ルートヴィヒ二世の建てた城の一つで未完成のままに終る。これまでどうも気が進まずにいたが、都合があって初めてやってきたものの、やっぱり私のお気に入りにはならなかった。それはなぜだろう。それについてはいつか。
9月5日(土)
今回の旅で最も気が重くなる日。ミュンヘン郊外にあるダッハオ強制収容所に。ダッハオ駅前からバスで20分。ヴーヘンヴァルトは唯一収容者たちによって解放された強制収容所で、少なくともそれが救いだったが、ここは何一つ救いがない。
⑥メミンゲンからシュトゥトガルトまで(4泊)
9月6日(日)
昨夜メミンゲンに着く。メミンゲンはミュンヘンから西に電車で1時間ちょっとのところにある。私には初めての町である。いくつか見たいものがあった。
その一つはドイツ最後の魔女と言われたアンナ・マリーア・シュヴェーゲリンが恋人のためにカトリックからプロテスタントに宗旨替えをした場所聖マルティンス教会を見ること。彼女はのちにここからそう遠くない町ケンプテンで裁判を受け、魔女として死刑の判決を受けることになる。彼女の生涯については拙著『魔女街道を旅してみませんか』に。
ここにはまた「魔女の塔」もある。本当に魔女が収監されていたかどうかは不明だそうだが、これも見たかった。その他、いくつか見たいものを見ることができた。おまけというと変だが、この町はとてもいい町だった。落ち着いた雰囲気とそれなりに見所がある町。時間の余裕があれば半日でも立ち寄ってみることをお勧めしたい。
夕方の電車でドーナオエッシィンゲンに行く。
9月7日(土)
ドーナウエッシンゲンはフライブルクに近い小さな町。ここにドナウ川の源泉があるというで見たかった。市内にある城に隣接して石で丸く囲った泉がある。小さな泡が水底から浮かんでくるのがわかる。表面に達するとそれは波紋となって広がる。このような波紋がいくつも水面に広がり、いくら見ても見飽きない。下手な動画も撮ってきた。
ところでこの源泉の水だが、市内を流れる小さなブリガッハ川に流れ込んでいる。その川はここから東に2キロ弱のところで、フルトヴァンゲンのほうから流れてくるブリーク川というこれも小さな川と合流する。この合流した川が正式にドナウ川というそうだ。
つまりどちらの源泉も二つの川に注ぎこんで、やがて合流して1本の川になるのだが、どちらもこちらこそドナウの本家と言い張っているという。地理学上どう区別して元祖というのかわらないが、この合流点までは2キロ弱なので歩いて行ける。木々に囲まれた遊歩道を歩いていくとある。
小川みたいな小さな川がこれもそれほど大きくない川となって東へ流れていく。何の案内板もない。この小さな川がやがて大河となり、約2880km、黒海まで流れていく。
この町からフルトヴァンゲンまでのバスが出ているのだが、行ったことのある人の話では源泉にはそこから車がないと無理ということだったので、次回まわしにしようと思った。
夕方、シュトゥットガルトへ。暗くなるまでには時間がじゅうぶんあったので、大学の町チュービンゲンに行く。
ネッカー河畔に建っている可愛い塔のある建物は詩人ヘルダーリン(本当はヘルダリーンという)が住んでいた家で、ヘルダーリンの塔といわれる。このあたり一帯に見所があり、シュティフト教会の前にはヘルマン・ヘッセが働いていた書店がある。坂を登っていくとホーエンチュービンゲン城にいたる。ここからの見晴らしは掛け値なしに素晴らしい。
9月8日(火)
シュトゥットガルトは大昔来たことがある。近郊のルートヴィヒスブルク城を見るためだった。そのあとすぐにバーデン・バーデンに行ってしまったので、とりあえず新・旧宮殿やマルクト広場あたりをサッと歩いただけだった。そのときに今度ここへ来たら州立絵画館へ行ってみたいと思った。今回はたっぷり時間を取って見ることができて満足だった。
⑦シュトゥットガルトからハノーファーまで(3泊)
9月9日(水)
私の知人が今年6月の旅行でシュパンゲンベルクに泊まると聞いて、とてもいいところだとお勧めした。その際、昨年夏、私が経験した城内にある井戸の話をした。
その井戸は深さ128メートルあり、今は水が枯れているということで、上から水を落とすと、ずいぶんしばらくして井戸の底(水がないので石底)でパシッという金属的な響きが聞こえる。この音はなんとも言えずに恐ろしく、私を案内してくれた城の人が言うには、この音を聞いた人は夜眠れなくなりますと。そして本当にそんな音だった。
ところが知人が行ったときは水は枯れてなくて落とした水はポチャンと普通の水音だったそう。そんな馬鹿なと思った。事実、パシッというかキーンというかあの恐ろしい響きと案内人が話してくれた言葉が今も私の耳に残っていて消えない。
どうしても納得がいかず、今回もう一度行ってきた。結論からいうと、昨年のあの恐ろしい音とはまったく違って、聞こえたのは水の音だった。思わず、信じられなーいと叫んでしまった。
今回案内してくれたのはレストランの係りの男性で、彼は「どう恐ろしい音?穏やかでしょう?」と言う。落ちどころの関係かもしれないと、右端、今度は左端でお願いとなんども執拗にお願いしてしまう。もう一つ別な井戸があるんじゃないですかとまで尋ねてしまった。彼はとても親切に応対してくれた。この音を聞きたくて遠く日本から来てくれたのですからと。
昨年案内してくれた男性はレストランとは反対にあるホテルのレセプションにいたのだが、今度は閉まっていた。
信じられない思いで城を後にしたのだが、そういえば、昨年はあの中庭にある扉を開けると右に階段があり、そこを降りてちょっと歩いたところで井戸のある部屋に出たと記憶している。ところが、今回は扉を開けるとすぐに階段があり、降りるとすぐに石の部屋で、その奥に井戸があった。
ひょっとしたら、あの右手に降りる階段は異次元の世界へ通じていたのか?なんとも奇妙は体験だった。あのホテルの支配人に会って真相を尋ねるしかない。また行くか。
シュパンゲンベルクはカッセルから電車でメルズンゲンへ。そこからバスに乗っていくのが便利。このメルズンゲンも木組みの家の素晴らしい町だと知人から聞いていたので、行ってみる。電車やバスの待ち時間を利用して散策するのもお勧めだと私も思った。
カッセルに戻り、ハノーファーへ。
9月10日(木)
午前中はハノーファー近郊に住む知人(日本人女性)の家にお邪魔する。久しぶりに和食をいただき舌鼓を打つ。本当に美味しかった。
午後にはハノーファーから電車で40分ほどのところにあるバート・エーンハオゼンに行く。ここは大きなクアハウス(温泉療養所)のある町でそこにドイツメルヘンとヴェーザー川伝説博物館がある。昔一度行っているので、再訪。
昔はヴェーザー川伝説についての資料がもっとあったと記憶していたが、今の展示はグリム童話を中心としたものだった。また2階は現在改修中で数日後にオープンとのことで残念だった。
療養所のある公園と駅を挟んで反対側にグラディアーヴェルク(濃縮塩水装置)がある。行ってみたが、バート・ゾーデン-アレンドルフのほうがはるかに大きく面白かった。これについては昨年夏の旅日記に報告してある。
9月11日(金)
ハノーファーからハンブルク・ハールブルクで乗換えてブックステフーデという町へ行く。ここはグリム童話の「ウサギとハリネズミ」の舞台となった町。この話のブルンネンがあるのだが、そのことでちょっと確認したかったのだが、現在修復中ということで見られなかった。
その足でブレーメンに。ここでも確認したいものがいくつかあった。それはすべて確認できたので、よかった。ハノーファーに戻る。
9月12日(土)
ヴィーデンザールという村に行く。ハノーファーからシュタットハーゲンに出て、そこからバスあるいはタクシーを使う。この村には絵本『マックスとモーリツ』の作者ヴィルヘルム・ブッシュの生まれた家と博物館がある。
これまでにヴィルヘルム・ブッシュに関する博物館、亡くなった家や墓などをめぐってきて、残るは2つの村だけになった。その一つがここ。初めて訪れる。バスの運行を調べた結果、今日は土曜日なので午後からの運行はないということがわかっていたので、タクシーを使おうと思っていた。シュタットハーゲンの駅舎は綺麗で素敵なのだが、どうやらタクシーは1台くらいしかないのかいうほど待たされた。タクシーは15ユーロ、そう遠くない。
村を貫く一本道の約300メートルほどの間に、見たかった教会、郷土博物館、ヴィルヘルム・ブッシュの家がある。郷土博物館にもヴィルヘルム・ブッシュ関連のものはあったが、ここに展示されていたたくさんの糸紡ぎ機に私は興味を持った。
糸紡ぎ機のことで私は知りたいことがあって、よその博物館などで糸紡ぎがあると質問するのだが、納得する答えがいただけずにいた。ここでも受付の男性に尋ねると、彼はものすごく親切に機械を動かして説明してくれた。でも、私の疑問については彼もわからなかった。グリム童話と関係している疑問だったので、彼は笑いながら、「僕は機械専門だから、今度はグリム童話をよく読んでおきますからまたいらしてください」と言われ、最後は握手して別れた。でもほぼ私の疑問は解決したので、嬉しかった。
ハノーファーに戻り、マクデブルク経由でハルツ山地の東クヴェードリンブルクへ向かう。
⑧クヴェードリンブルク(3泊)
ハルツ山地ではいつもヴェアニゲローデかゴスラーに宿泊していたが、今回は訳あってクヴェードリンブルクのホテルに泊まることになった。このホテルは人気が高いと聞いていた。各部屋毎にインテリアが異なるとてもロマンティックなホテルなのだそうな。
期待して部屋に入ったのだが、この日は猛烈に暑かったこともあるが、なんと大量の蝿が部屋の中を飛び回っている。まずこれを追い出すのに苦労した。室内照明をつける入り口そばのスイッチが壊れていた。案内してくれた女性は部屋係りに伝えておくと言ったが、結局そのまま。
蝿についてはドイツ人はかなり無神経だと思う。ケーキや甘い菓子パンのケースに蝿がいない店は少ないほうだ。蝿などで文句を言われるのはきっと信じられないだろうと私は結局遠慮してしまい何も言わなかった。本当は言うべきだったのだと今はちょっと後悔している。
自慢のインテリアについては、開いている部屋を覗いた限り、ツィンの部屋はよさそう。私はシングルだったので、簡素なインテリアだった。それはそれで蝿さえいなければよかったのだが。
この日と翌日はクヴェードリンブルクの祭日。マルクト広場を中心にいろいろなお店が出ている。広場には舞台が設営されている。これまでこういう祭りのときのライブはロックなどにぎやかな曲が大きな音で流れて、私などはかなりうるさく感じられて嫌だなと思ってしまう。ここもかと思ったのだが、夕方になったら、なんとクラシック音楽のライブ。夜にはほのかな照明の下でクラシックなジャズ演奏。それに合わせて町の人や観光客のペアーが踊り始める。まるで映画などでみる1920年代の世界のよう。これは見ていてとてもよかった。
9月13日(日)
木組みの家博物館、城のふもとにあるクロップシュトック(この町生まれの詩人)博物館、城を見る。市主催の祭だったのですべて入場無料。
ついでファイニンガー美術館に。ファイニンガーはナチス時代に退廃芸術家として睨まれた画家。ハルツに数年滞在していたときの絵を展示している。主に版画と水彩画。これまで見てきた油絵と違ったタッチで面白い。
城の裏手を歩いて10分弱のところに、ミュンツェンベルクという小高い丘がある。ここからの見晴らしはいい。下のほうに城がきれいに見える。丘の上の修道院は今は跡だけだが、これもいい。
クヴェードリンブルクはユネスコ文化遺産の町で観光客も多いのに、駅にはロッカーもなく、日曜には、というより今日は祭だというのに、7時になると広場の店も早々に閉めてしまう。今はドイツのいたるところで見られるマクドナルドやバーガーキングの店もない。広場は静かに暗くなる。でも、夜のダンスといい、これがこの町の魅力なのだと思った。
9月14日(月)
駅にロッカーがないことがわかり、予定を変更。日帰りでハルバーシュタットへ行く。何年前だったか一度来ているが、そのときとはずいぶん町の様子が違って観光客を受け入れる体勢になっていた。見所を紹介する詳しい地図がインフォでもらえる。ドームや教会にどのくらい時間をかけるかを別にすれば、2時間くらいで見てまわれる。リープフラオエン教会で見たカーレンバッハという女性画家の特別展が面白かった。
このあと、ブランケンブルクへ行く。ここは車で通りすぎたことが数回あり、丘の上にそびえる城がよさそうに見えたのでいつか来てみたいと思っていた。WEBで調べたら、今は工事中で城には入れないということだったが、外からでも見てみようと思った。
ブランケンブルク駅で降りてしばらく歩くと、坂道になり、その上が町。そのまた上に城。334メートルということだが、私はフウフウしながら登る。裏手の城公園がよかった。
⑨ゴスラーから帰国まで(1泊+機中泊)
9月15日(火)
ゴスラーに直行。いつもは駅そばのホテルに泊まるのだが、今回は特別にマルクト広場にあるカイザーヴォルトという由緒ある建物。でも部屋は普通で、特別仕立てでないところがいい。
夕方、由紀子さんと待ち合わせする。彼女は普通の会社に勤めながら、町のガイド資格を持ち空いている時間にガイドの仕事もしている素晴らしい女性。毎年彼女に会ってゴスラーの町を案内してもらうが、それでも見所を見尽くせない。私はこの町の魅力にどっぷりはまっている。今回もとても有意義な時間が過ごせた。最後に新しくできたビール自家醸造のビアレストランで夕食。もちろんこの町に由来するゴーゼビアをたっぷり飲む。
9月16日(水)
ゴスラーからゲッティンゲンに。前回見逃してしまったものを見るため、数時間途中下車。午後の電車でフランクフルト空港へ。そういえば、成田でチェックインしたとき、何とプレミアムエコノミーの席になりましたと言われた。初めてのことで、ラッキーと叫んでしまったくらいだ。帰りもそんなことになるといいなと思ったけど、そうはいかなかった。
9月17日(木)
夕方成田着。私の住む町まで行くバスに乗る。いつもはすぐに寝てしまうのだが、今回は綺麗な夕陽に目を奪われて、寝込んだのは銀座に近づく頃。
夏の旅行は終った。来年の春まで仕事をしよう。
法事で延暦寺へ行く。
今回は9泊11日の短い旅行。春はこれが取れるギリギリの休み。昨年夏に続いてメルヘン街道の町めぐり。もちろん4月30日のヴァルプルギスの夜のためにハルツにも入る。駆け足旅行だったが、収穫は大きかったとそれなりに満足できた旅だった。
4月25日(土) フランクフルト (フランクフルト泊)
18時にフランクフルト空港に着く。20時に市内で知人と会い、のんびり夕食をする。明日からは駆け足の旅行になる。
4月26日(日) ゲルンハオゼン、シュテーデル美術館 (カッセル泊)
ゲルンハオゼンは「魔女の塔」で何度もザーゲの旅日記に登場している町である。にもかかわらずバルバロッサ赤ひげ王の居城跡を見に行ったのは初めてである。特別これといったものはなさそうだと思っていたからである。現在は建物の一部と壁だけが残っている。内部には展示室があるが、やはり全体に興奮するほどのものではなかった。
2時間半ほど滞在し、そのあとはフランクフルトに引き返して、シュテーデル美術館に行く。ハンス・バルドゥング・グリーンの「二人の魔女」の絵の場所を確認する。ここには数少ないファルメールの作品の一つ「地理学者」がある。今年の秋から来年の夏までボッテチェリー特別展がある。夏にまた来よう。
夕方の電車でカッセル中央駅に。ホテルは、カッセルでは始めてだが、フランクフルトやベルリンで利用しているチェーンホテルなので、まあまあと思って予約したが、よくなかった。ここに3泊するだけに少々がっかり。町の中心街には私の足で10分弱。駅のそばというのだけが利点。
わけあって、おそらく来年もカッセルに来ることになりそう。そのときは昨年夏に泊まったカッセル・ヴィルヘルム駅そばのホテルにしようと思った。
さて、今日は日曜日なのであたりのレストランはどこも閉まっている。中心街まで歩いていってもおそらく閉まっている店が多いだろうと思い、駅横のバーガーキングお持ち帰りの夕食。ヤレヤレ。
4月27日(月) ハン・ミュンデン、バオナタール (カッセル泊)
ドイツメルヘン街道協会カッセル本部のブーフホルツさんに会う。本部の入っている建物は中央駅のそばにある。
ブーフホルツさんはてきぱきと仕事をこなす素敵な女性である。初対面だったが、私の知り合いのトレンデルブルク元観光局長ウッフェルマン氏の紹介ということもあって、親切に応対してくれた。明日訪ねるリヒテナオのことでいろいろと手配をしてくれる。17時にグリム博物館前で再び会う約束をして、私はハン・ミュンデンに向かう。
ハン・ミュンデンは私の好きな町である。見所はいくつかあるが、一番ポピュラーなのは「鉄ヒゲ博士」の亡くなった家とその壁面に取り付けられている彼のフィギュアー。このフィギュアーは何度か見ているのだが、昨年夏に見たときにどうも前の位置と違っているように思い、帰ってから写真を見比べたところ、やはり違う。とても気になってどうしても確認したくなった。そのことをブーフホルツさんに尋ねていたところ、ハン・ミュンデンの観光局長ヤーンさんを紹介してくれたので、写真を持って出かけることにしたのである。いろいろ面白いことがわかった。これについてはいつか紹介する。
私はこのフィギュアーについてだけわかればすぐにカッセルに戻る予定だったのだが、ヤーンさんとけっこう気があってしまって、結果的に2電車遅れてカッセルに戻ることになってしまった。
ヤーンさんも素敵な女性だった。市庁舎レストランで美味しいビールとランチをご馳走してくれた。そのためカッセルに戻る電車に乗り遅れて、カッセル中央駅からタクシーに乗り、ブーフホルツさんとの約束の時間ギリギリにグリム博物館到着。
この夜はブーフホルツさんの招待でウッフェルマン氏と3人で食事をすることになっていた。彼女の車でカッセル近郊バオナタールのクナルヒュッテというビアレストランに向かう。昨年の夏、私は初めてここを訪れ、ウッフェルマン氏と食事をしている。
クナルヒュッテはかつて旅籠だった。グリム兄弟にたくさん話を聞かせたフィーマン夫人が幼少時代を過ごした家である。私は相変わらずヴァイツェンビーアを飲み、ウッフェルマン氏から「それは単なる炭酸飲料水ですよ」とからかわれた。
4月28日(火) フラオ・ホレ・ランド(カッセル泊)
カッセルのケーニヒツプラッツから市電で50分、ヘッシシュ・リヒテナオという小さな町へ行く。グリム童話で有名な「ホレおばさん」にまつわる伝説の地がこのあたり一帯に残っていて、リヒテナオは「フラオ・ホレ・ランドへの入り口」として観光地になっている。
ここでもブーフホルツさんが手配してくれた観光局の局員ラオシャーベルクさんに町を案内してもらう。初めての町である。中世の市壁がずいぶん残っている。町はずれに「ホレパーク」があり、ホレおばさんにちなんだ彫刻など面白いものが見られる。現在「フラオ・ホレ博物館」も準備中だそうだ。
グリム童話では「ホレおばさん」という訳で知られているが、フラオは女性の姓につける敬称で、「おばさん」というのは違和感がある。というのはフラオ・ホレは、ときには若い美しい女性であったり、ときには突き出た歯をした恐ろしい老婆のようであったりと、その姿は一定していないからだ。
フラオ・ホレが水浴したという池がこの近郊にある。昔ウッフェルマン氏にカッセルから車で連れてきてもらったことがあるのだが、その後、池畔にホレの木像が作られたということを知り、ぜひ見てみたいと思った。それに今度は自分の足で行ってみたいと思った。それでブーフホルツさんに行き方を尋ねていたのである。
夏場ならリヒテナオから日に数本バスが出るようだが、この時期は車を使うしかなさそうである。それでまたもブーフホルツさんが車を手配をしてくれた。運転手のシュルツさんとガイドのギュンターさんがリヒテナオまで迎えに来てくれた。
今日は天気が悪い。ホレの池に着く頃にはすっかり霧。池畔に立つホレの木像もかすみ、かえって神秘的。そば近くまで行く。このホレはどちらかというと若いほうか。
ここ一帯はカウフンガー・マイスナー地方といって、ホレの池だけでなくホレの岩などいくつか見所を通るハイキングコースがある。今回は雨だったこともあり、またところによっては急な坂道もあるということで池と岩だけにする。
途中で立ち寄ったレストランで食べた料理は典型的なドイツ料理。びっくりしたことには味が予想に反して塩っぱくなかったこと。ドイツの料理はたいてい塩分取りすぎかと心配になるほど。でも、ここの味はちょうどいい塩加減で、とても美味しかった。
4月29日(水) バート・ゾーデン・アレンドルフ(ゲッティンゲン泊)
カッセルを朝早く出る。ゲッティンゲンのホテルに荷物を預かってもらい、バート・ゾーデン・アレンドルフに行く。
ここは2004年の夏に一度訪れている。確かめたいことがいくつかあって再び行くことになった。
ついでにシューベルトの曲で有名な「泉に沿いで繁る菩提樹」の泉の水は飲めるかということも確認したかった。確かこの水は飲めなかったはず。だから当時私は飲まなかった。ところがあるHPの旅行記にこんなことが書いてあった。業者らしき人たちがポリバケツにこの水を汲んでいて、おそらくこの水をどこかで売るのだろう、いつまでも汲んでいて自分は飲めなかったと。気になると確かめないではいられないのがザーゲの性分。あの水は本当は飲めたのだろうか。なぜ私は飲めないと思ったのだろう。そんなわけでまた来てみたのである。
もし飲めるなら私も今日の渇はこの水で癒そうと空のペットボトルを持っていった。しかし、ブルンネンのまわりには飲める水とも飲めない水とも書いてなかった。それでインフォメーションで尋ねることにした。やはりこの水は飲めないということだった。
ずいぶんつまらないことにこだわって半日も潰すのかと思われるかもしれないが、目的は他にもあったので、笑わないでほしい。
4月30日(木) ヴィルヘルム・ブッシュ記念館、パン博物館、ハルツ(ゴスラー泊)
早起きしてホテルに荷物を頼み、ゲッティンゲン駅からバスでエーバーゲッツンに行く。これについては、昨年夏の旅行記で少し報告しているが、このときは時間がなくて、ヴィルヘルム・ブッシュの記念館もパン博物館もじゅうぶん見られなかった。それでまた行くことにした。
ここのパン博物館は南ドイツのウルムにあるパン博物館にははるかに及ばないが、ウルムになかった世界中のパンが展示されていた。お煎餅に似たパンがあると思ったら、なんと日本のゴマ煎餅だった。これもパンの一種なのか。
昨年夏には見事に赤い実をつけていたリンゴの木も今はほのかなピンクの花をつけて真っ盛り。春だなあと思いつつ、ゲッティンゲンに戻る。
ゲッティンゲンからゴスラーへ。ホテルに荷物を預け、そのままバート・ハルツブルクへ。今日はヴァルプルギスの夜。毎年、どこで過ごそうかと悩むのだが、ゴスラー近郊のハーネンクレーが最近は盛んだと聞いた。何回か見ているのだが、あまり面白くなかったので、ずっと行っていなかった。それでまた行ってみようかと思って、ゴスラーに宿を取った。
ところがその後、ヴェアニゲローデの城で今年初めてヴァルプルギスの祭りをするということを知った。それならそれにしようと決めた。しかし、そのあとの日程はゴスラーのほうが都合がいいので、宿は変更しなかった。最終電車で戻ってくることにした。
ヴェアニゲローデに行く前に途中のバート・ハルツブルクで降りる。3時から子どもの魔女行進を見る。なかなか面白かった。
ヴェアニゲローデでは知り合いのゲルディと待ち合わせする。ブロッケンに向かうSLのホームに行く。魔女や悪魔に扮した観光局の人たちが歌を披露し、そのあと機関車の上に乗ってポーズを決める。客車にもたくさんの魔女たち。時間になってSLは出発。
私はゲルディと彼女のお孫さんのレアと一緒に城へ向かう。城へ行く坂道には中世風にしつらえた店が並び、一つ一つ見ていくのも楽しい。城のバルコニーには小さな舞台が設営されていて、その前には椅子も用意されている。
定番の焼きソーセージやビール、パンなどをほおばる。時間が来て舞台では歌が始まる。ついで、魔女姿に自信のある人たちがエントリーして舞台に上がる。彼女たちの中からミス魔女が一人選らばれる。賞金は333ユーロ。
レアちゃんはやる気満々。舞台度胸もいい。発表は夜中の12時。私は残念ながらゴスラーに戻らなければならない。
なんと、翌朝ゲルディからホテルに電話があり、レアちゃんが1等になったという。きっと新聞に載るから送るねという。楽しみにしている。
数年前にザーゲと一緒に日本からやってきてこの夜を過ごした魔女仲間の皆さんはレアちゃんを知っていますよね。あのレアちゃんがミス魔女ですって。
5月1日(金) ハーメルン(ゴスラー泊)
ハーメルンは何回目だろうか。これまた確認したいことがあって朝早い電車に乗り、ゴスラーから日帰りでハーメルンへ行く。
びっくりしたことにはザーゲの魔女街道ツアーでいつもお世話になっている現地ガイドのハーさんにぱったり出くわしたこと。ツアーがこの数年お休みになっているので、彼とはしばらく会っていなかった。ツアーの仕事で今日はハーメルンに来たという。最初のツアーのときのドライバーさんも一緒だった。こういう偶然はとても嬉しい。
昨夜はハーネンクレーのヴァルプルギスを見たが、まったくつまらなかったという。それを聞いて「ヴェアニゲローデにしてよかった」と胸をなでおろした。
市庁舎前にカリーヴルストの店が出ていた。ベルリンのカリーヴルスト以上のものがあろうかと思っていたが、なんとここのも実に美味しかった。その後、別の町でも食べたがそれはどうということもない平凡な味だった。出店なのでいつも出ているとは限らないだろう。ベルリンのときと同じようにもう1本食べておけばよかったと思っている。
5月2日(土) メヒツハオゼン、アレックスの家(ゴスラー泊)
メヒツハオゼンはヴィルヘルム・ブッシュが亡くなった町で、記念館とお墓がある。どうやって行ったものか調べるにつれてわかったことは、ゴスラーから電車でゼーゼンまでは本数もあり便利なのだが、ゼーゼンから出ているバスを利用するとしたらたった1本しか可能性がないということ。それも曜日によって運行が異なるので無理な場合もある。
このことをゴスラー近郊に住む知人のYukikoさんに話したところ、車で連れていってくれるという。ありがたい。彼女は私の旅日記によく登場する素晴らしく親切な日本人女性で、ゴスラーのガイドの資格ももっている優秀な人である。
彼女の車でまずゼーゼンの町を案内してもらう。このとき、ヴィルヘルム・ブッシュ記念館が午後の2時からしか開いてないことを思いだす。午後にはお互い予定が入っているので、昼頃にはゴスラーに戻りたい。Yukikoさんは「まかせて」と言って、記念館に電話をする。わざわざ日本から来た人を案内しているので、ちょっと見せてくれないかと。オーケーが出て、メヒツハオゼンに向かう。
この記念館はヴィルヘルム・ブッシュを愛する人たちの半ばボランティアで成り立っているものなのだそうで、私たちを受け入れてくれた案内人の女性もこの町の住民で、私たちのために午前の時間を工面して来てくれたのである。感謝、感謝。
昨年夏からヴィルヘルム・ブッシュに関係するところを数ヶ所見てきたが、この記念館がブッシュの人間的な側面を一番よく見せてくれるものだった。
外へ出てから墓地へ行き、お墓を見る。墓石には上部に花輪が刻まれているが、「ヴィルヘルム・ブッシュ」と名前しかない。どんな質素なお墓でも、普通は生没年くらいはある。しかし、名前だけというのがブッシュの意志だったそうだ。いかにもブッシュらしいと思った。
午後早くにメヒツハオゼンを出て、Yukikoさんの家にお邪魔する。今が旬のシュパーゲル(アスパラ)を料理してご馳走してくれるという。途中でシュパーゲルとハムを買う。私も台所でシュパーゲルの皮むきを手伝う。Yukikoさんは手早い。ジャガイモを茹でて、シュパーゲルも茹でて、あっという間に出来上がり。ハムをつけ合わせにして、バターソースでいただく。美味しくないわけがない。
その後、知人のアレックスの家へ。Yukikoさんも一仕事終えてからやってくる。奥さん、お子さん2人、いつも快く歓待してくれることが本当に嬉しい。バーベキューの肉がやたらと美味しい。ワインもけっこういただき、気分よくホテルに戻る。
5月3日(日) リューネブルク、ハンブルク(ハンブルク泊)
リューネブルク近郊に住む知人に会い、17時にハンブルクに。18時にハンブルクに住む知人に会う。彼女は昨年結婚し、今日はご主人を紹介してくれることになっている。港のそばのポルトガル料理店で夕食。イカ焼きが美味しいといわれて、食べてみる。確かに美味。
彼女はイタリアと日本にそれぞれ10年ほど住んでいたドイツ人女性。日本語はとても達者。しかし、ご主人はスコットランドとドイツを往ったり来たりで英語しか話せないスコットランド人。
それでは退屈しないだろうかと彼女に尋ねたら、クロスワードパズルでもやっているから大丈夫よと。でもそれではあんまりだろう。ザーゲはほとんど使っていない英語で四苦八苦。それでもなんとか楽しい時間を過ごすことができた。最後の頃は「来年はスコットランドに行きます」と調子いいことを口にしてしまうザーゲ。彼も「待ってますよ」と調子よく応える。スコットランドは行ったことがない。さて、どうなるか。
5月4日(月) ツェレ
夜の便に間に合うようフランクフルトに戻ってくればいいので、どこに行こうか迷ったのだが、今日は月曜なので、どの町へ行っても見たい美術館は休館。考えた挙句、ツェレに寄ることにした。初めてである。ツェレはキレイな町だと聞いて知っていたが、なんとなく敬遠していた。
鮮やかな色や模様のある木組みの家が並ぶ町。繁華街のほとんどの建物はこうした木組みの家である。ということは1階が店になっている。活力が感じられる。
ハルツにも木組みの家の並ぶ町はたくさんある。ゴスラーもそうだし、ヴェアニゲローデ、クヴェードリンブルクもそう。もっとたくさんある。私が初めてハルツの町を見たとき、それはまさに不思議な世界だった。ツェレのように店を開いている家もあるが、ただの住居であるもののほうが多い。だからたいてい戸口は閉ざされている。静謐とでもいうような雰囲気が支配している。こんな不思議な町のこんな不思議な家に人が住んでいるんだという思いだった。
それに比べて、ツェレは開放的だった。どちらがザーゲの好みかといえば、やはりハルツかな。そんな思いでツェレを後にした。
雨も降ってきたので、早めに空港に向かう。今年の春は特にトチノキ、リンゴ、サクラ、リラの花が美しかった。車窓からながめる菜の花畑も相変わらず美しい。
ドイツよ、夏までさようなら。
3月19日(木)
四国は2003年に鳴門の大塚美術館を見にきて以来である。今回は松山に住む娘と一緒に初めての高松へ行くことにした。
松山空港から急行で1駅、JR松山駅で降りる。駅で1dayチケットを購入。これはお得。子規と漱石が一緒に住んでいた愚陀仏庵へ。反対側に雲の上ミュージアムがあるがそこは行かない。入り口に坊ちゃんとマドンナの扮装をした案内人。
その後、道後温泉駅に。松山市内を市電で15分ほど走るともう温泉街。坊ちゃん電車も走る。道後本館を外から見るが、思っていたより小さい。今日から道後温泉祭りということでからくり時計の前にきれいどころ揃って餅つき。温泉街とは反対のところにある松山市立子規記念館に入る。これは充実した記念館だった。
3月20日(金)
松山駅発からなんごくエキスプレス(ネットで予約)で高知へ。今日のWBC韓国戦が気になる。ホテルにチェックインの際、ロビーで経過を尋ねると、テレビをつけてくれた。2時ちょっと前まで見て、日本勝ちそうだとわかり、市内へ。
歩いてはりまや橋へ。こんなものだったのか。大通りにかかった大きな橋の横にちょこんと。だが、観光客が絶え間なく記念撮影。近くの店でかつおのたたき定食。味は普通。
高知県立美術館へ。シャガール展。一部屋のみ。その後、坂本竜馬誕生の地へ。そして高知城へ。石落としや狭間など典型的な城。
夕食。はりまや橋そばで土佐料理を食べる。鯖の姿寿司が美味しかった。
3月21日(土)
市内1日券を買い、高知駅前からバスで牧野植物園へ。なかなか充実した記念館と庭だった。南門を出たところが竹林寺(西国霊場31番札所)への登口。一通り見て下へ降り、バスで桂浜へ。
坂本竜馬の像と浜と岬。こんなものかな。土佐犬の闘犬ショーを見る。始めてだ。これはショーなので、ちゃちっこいが、本物の試合だったら迫力あるかも。
桂浜からバスで高知駅へ。なんごくエキスプレスでJR松山駅へ戻る。
3月22日(日)
今日の天気は予報通り雨。道後温泉駅へ。セキ美術館を見る。特別展はロダンだった。常設展も数は少ないながらいいものが揃っていてなかなかのもの。ビデオを2本見る。
タクシーを呼んでもらって石手寺へ。宝物館は見ず。巡礼寺というのは、詳しくは省くが、キリスト教の巡礼地とよく似ている。時間があまったので、松山市駅まで出て、子規堂へ。17歳のときまで家を模した平屋建ての家。
道後温泉の目玉は道後温泉本館の建物と浴場。旅館で浴場の無料券をもらう。ロビーにタオルと石鹸を入れた籠が置いてあり、それを持っていく。本館浴場には何も置いてない。風情あり。由緒ある2階の風呂は有料だった。財布を持ってこなかったので見られなかった。
3月23日(月)
荷物を駅のロッカーに預けて、バスで護国寺に。この近くに種田山頭火の終の棲家がある。平屋。現在その脇に休憩所を作っていて工事中。それが終ったら中も見られるそうだ。
再びバスで松山城のふもとのバス停まで。ロープウェイは片道だけにする。立派な城。天守閣見物が面白い。桜も三分咲き、場所によっては満開。
城から県庁通りへ抜ける道を通って二の丸跡庭園へ。ここは跡地に区画だけで再現した庭園になっていて、ほとんど人もいなくてよかった。手水鉢のある一角が面白かった。地面に甕を埋めてその上に手水鉢を乗せ、その底に穴を開けてあるそうだ。すると水滴が甕に落ちて反響し琴の音のような音がする。脇に竹筒があり、そこに耳をあてると聞こえる。なんともいえない素晴らしい音。これにはすっかり魅せられてしまった。
県庁まで下って、電車で市駅へ。高島屋の地下のラーメン屋に入る。しょっぱくて不味かった。産地直送という文旦を2個買う。家で食べたが、すごく美味しくてもっと買ってくればよかったと思った。
夕刻の便で羽田に。娘の住む松山という町を見て、住みやすい町だと思った。安心。